130 転校生。
昨晩の嵐が去った翌日。
「高校生の職務を果たすべく、学校に向かうのでしたとさ……」
昨日出来事で疲弊した身体と精神は、ベッドの中に溶け込んで、泥のように眠り続けてることを主張していたが、そんな事を母親に説明できるはずもなく、俺は重い足取りで学校へと向かうのだ。まぁ足取りと言っても自転車通学なわけだから、思いペダリ取りとでも言えばいいのだろうか?
自転車に乗りながら、俺はときたま唇に手を触れると、昨日の感触を思い出して思わず顔をニヤけさせた。だがその思い出の最後に、あの蛇紋神羅との、トラウマに達するレベルのキスを思い返されては、思わず吐き気を催すのだった。
※※※※※
俺が教室に入ると、いつもの様にクラスメイトたちは口々に世のため人のために何一つならない雑談を繰り広げていた。
まぁ、男子高校生のどうでも良いお喋りが世の中に役に立っていたらそれはそれで驚きだ。
俺は朝の挨拶をする相手も居ないので、無言で自分の席についた。
「よぉ!」
「ウワァァァッ!」
俺は自分の席に着くやいなや、椅子のバネでも仕掛けられているかのようにビョンと飛び跳ねた。
「お、お、お、お前! なんで、居るんだ!」
俺の目の前に、極々当たり前に顔を見せているのは、向日斑その人だった。
「何でって、お前、むしろ学校に俺が居ないほうがおかしいだろ? なに言ってんだか。まぁおはよう」
「お、おう……。おはよう……」
昨日、忍者の姉、花咲里と共に夜の闇に消えていったはずなのに、何事もなかった顔をして、いまこうして自分の席に座っている。
一体、俺たちの視界から消えたあと、何があったのか……。とても興味があったが、それを聞くのは恐ろしい事のように思えてならなかった。
「あ、あのさ、昨日のことなんだけどさ……」
遂に好奇心が恐怖を上回り、俺は向日斑に問いかけた。
「ん? あぁ昨日な。俺の方こそ聞きたいんだけど……。俺昨日何してたんだっけか?」
「はぁ?」
「なんかな、俺気がついたら、街外れの森のなかにいてさ……。手には女物の着物の切れ端みたいなもの持ってて……。何があったかさっぱりわからないんだよ……。怖いよな?」
――怖いのはお前のほうだ……。
と、言ってやりたかったが、そこはグッと我慢した。
「後な、妹の花梨のやつも、昨日のことがかなりあやふやらしくてさ。確か、お前と一緒にでっかいお金持ちの家に行って……。その後がよくわかんないんだよ。思い出そうとすると、頭が痛くなっちゃってさ。花梨のやつも同じみたいらしいんだが、お前なんか知ってるか?」
向日斑は、自分の後頭部をポンポンと叩きながら、記憶をトコロテンのように押し出そうとしているようだった。
「えっと……」
事の真相を話すべきなのか、そうではないのか、俺は悩んだ。
お前はハイパー向日斑になって金色のオーラを身にまとい、いたいけな少女の身体を余すこと無くペロペロなめまわした挙句、おしっ◯すらもベロンベロンして、その後闇夜に消えた。なんて事を告げていいものか?
さらに、花梨の場合は、愛する兄がそんなことをしている光景を見たショックで記憶を失ったに違いない。それも教えていいのか? それをすることで、兄妹の関係に大きな亀裂が走るのではないのか?
これは悩む必要もなかった。
「別に何もなかった。ウンウン、何もなかった。何かあったっていうやつが居るなら連れて来なさい、俺が説教してやる!!」
時には、忘却すること、嘘を付くことも必要なのだ。
「そうか、お前はそこまで言うなら、本当に何にもなかったんだろうなぁ……。しかし、何か得も言われぬ心地よさを感じていた気がするのだが……。うーむ、あれは夢だったのか……」
「夢だ! 間違いなく夢だ! ああ、夢に違いない! これだから男子高校生は、自分の妄想を現実だと勘違しがちなんだよ!」
「そ、そうか……。なぜそこまで力説するのかわからんが、そういう事にしておくわ……」
俺の迫力に尻込みしつつ、向日斑は黒板の方を向き直すと、そそくさと朝のホームルームに備えだした。
これでいい。俺は嘘を付くことで、兄妹の仲を守り通したのだ。
とは言え、元から0に近い俺のスタミナゲージは、朝っぱらからゴリラを説得させることで、マイナスにまで突入しようとしていた。これは、ホームルームが終わったら、一限目から睡眠タイムに突入してしまうだろう。まぁいいか、期末テストも終わりあと数日で夏休みだ。それに今日は土曜日、半日で終わるのだから、何とかなるだろう。
ガラガラガラと教室の扉が開き、担任の教師がやって来る。
そう言えば、俺は未だにこの担任の教師の名前すら覚えていない。興味が無いことは覚えられないって言うが本当だ。漫画に出てくる糞長い必殺技名前とか呪文はす具覚えられるのにな。
担任の教師はルーチンワークのように、朝の挨拶を済ませると……。
「今日は転校生を紹介する」
と、サプライズな発言をしたのだった。
「転校生?」
「この時期に?」
「うわ、最悪じゃん、今転校してきてもす具夏休みだぜ?」
「かわいそー、友だちもできないまま夏休み突入かよ」
などと、クラスのやつらは自分が転校生でないのをいいことに、口々に無責任なことを言い合っていた。
俺はといえば、男子校の転校生というものにミジンコほどの興味もないので、すでに寝る体制に入っていた。だってだって、美少女が来ることは百パーセントないんだぜ? まぁ、美少女がわけあって男装してきて転校なんてことが、あれば別だろうか、世の中そんな漫画みたいなことがそうそうあるわけがない。
というわけで、俺は自分の腕を枕にして、いざ眠りの世界に……という所で。
「転校生の、蛇紋神羅くんだ」
の一言に、飛び起きたのだった。
「うむ。紹介ご苦労。大財閥である蛇紋家の跡取り、蛇紋神羅だ。庶民のはその身の程をわきまえて、この俺と接するが良い! あーはっはっは!」
今にも後ろに倒れんでしまいそうなど、身体をエビ反りに反り返させて、慇懃無礼な自己紹介をしてみせる。こんな男が、この世の中に二人といるはずがない。そう、あの蛇紋神羅その人なのだ。
「あと、もう一人、て、転校生が……」
「あ、禍神真宙です。あの……よ、宜しくお願い致しますです……」
先生の背中に隠れるようにして、自己紹介をしたのは、身長百五十センチあるかないかというほどの、小柄な少年だった。
どこか、忍者の面影を思わせたが、忍者のそれとは違い、この禍神真宙という男の子は、何かに怯える小動物のような、はかなげな面影を見せていた。うん、身体つきは似ていても、凛々しくきりりとした忍者とはまるで対照的だ。
兎に角、この禍神真宙という少年は、おどおどしているが顔立ちの整った優しい瞳の少年だった。このはかなげな感じ、そしてショタフェイス……これは女子にウケが良さそうだ。とすると、敵か? 敵なのか? いや待て待て、昨日から俺はモテ期に入っていると言って過言ではない、とすると――ふふーん俺と同じリア充だな! ナルホド、仲間じゃねえか!
俺が転校生である、禍神真宙を観察していると、その横にいる蛇紋神羅と目があってしまった。
「おぉ! そこに居るのは! ファーストキスの相手であるところの、神住久遠ではないか!」
その言葉に、クラス中からどよめくような声が湧き上がる。
「ちょ!? な、何を言ってるんだ!」
俺は思わず席を立ち、全身全霊を持って抗議した。
いや、確かに、キスをしたのは認めたくはないが事実だ。しかし、なんでまたこんな場所で公言しやがるんだこの糞馬鹿野郎は!
そして、なぜその横にいる、禍神真宙くんは頬を赤らめてドキドキした瞳を俺に向けているんだ。
まさか、まさか……この二人……。二人してガチなあれなんじゃないだろな!
いやいやいやいやいやいや、落ち着け。禍神真宙くんのことはわからないとしても、この蛇紋神羅はセレスのことが好きなはず、ゆえにノーマルだ、ウンウンきっとノーマルだ。ただこいつは糞馬鹿だから、昨日あったことを素直に口に出したにすぎないんだ。そうだ、そうに違いない。
「教師よ!」
「あ、はい」
「俺は、あの神住久遠の隣の席に座らせてもらうぞ」
「え? いや、あの席にはすでに座っている人がいるので……」
「何だキサマ、この蛇紋神羅の言葉に従えないというのか……。たかだか高校の教師一人など、簡単に首にできるのだぞ?」
「えーっと、お好きなところにお座りくださいませ」
「うむ、よろしい」
担任教師は、抵抗することもなく権力に屈した。
俺の左隣りに座っていた、名前も覚えていない男は、やれやれといった感じで席を変わっていった。
去り際に。
「ホモの隣じゃなくてよかったぜ……」
と、言ったような気がしたが、きっと気のせいに違いない。うん気のせい。
「あと、禍神は俺の後ろの席にしてもらうぞ? いいな教師」
教師は何も答えずに、ただ取り入るように笑うだけだった。
「よろしくな、神住久遠」
蛇紋神羅の邪悪な笑みが俺に向けられる。
「よ、よろしくお願いします。神住さん」
禍神真宙の、男なのに思わず抱きしめてしまいたくなるような笑みが俺に向けられる。
こうして、昨日に引き続き、俺の苦難はまだ続くのだった。




