129 舌を絡めろ!
永劫なる時を経て、俺は甘くとろけるようなキスを終えた。
実際の時間にしてみれば、ほんの数秒足らずの出来事だったのだろうが、俺と……きっとセレスにとっても長い長い夢の中のまどろみの様な時間だったに違いない。
セレスは、近がら抜けてしまったようで、俺の首にかけていた腕を少し緩めた。
俺とセレスの身体の間に、二十センチ足らずの隙間ができる。
「ふぅ……」
セレスの口からもれる熱を含んだ吐息が、俺の頬に当たった。
俺は思わず大きく鼻を広げて、クンカクンカとその熱のこもった吐息を吸い込んでしまいたい欲求に駆られそうになるが、微かに残る理性がそれを静止させた。
キスを交わしたあと、その後に何を言えばいいのか? 何をすればいいのか? わからない。わかるはずがない。だから俺は、溶けてしまいそうになる感情と表情と、緊張感という支え棒で維持させることだけで精一杯だった。
「……まだですわ」
「え?」
「一回だけでは、あの空手バカ女と同じになったに過ぎませんわ……」
「えっと、セレスさんそれは一体どういうことで……」
そう言いかけた俺の口を、突如セレスの唇が塞いだ。
セレスの体重が俺の背骨と腰骨にのしかかる。倒れそうにかる身体を支えながら、俺はセレスの腰に手を回す。あまりの不意の出来事に、俺は目を閉じることが出来ずに、夢見る乙女の表情をその眼に焼き付けた……。身体は小刻みに震えているのに、けれどどこか安心したような表情を浮かべて……ただただ、その表情が、セレスが愛おしく思えた。
そうか、キスってのは、ただ唇をつなげる性的な行為ではなく、愛情を育むために大切な儀式だったんだ。
だって、俺は今凄く凄くセレスのことが好きになってしまっているのだから……。
強く身体を抱きしめて、引き寄せて、唇の感触とそこから流れ込む愛情を感じ取る。
しかし、ここで俺は思い出してしまった。思い出したくないことを思い出してしまった。セレスの望みをすべて叶えるとするならば、冴草契との偽りのキスを超えるとするならば……。俺はセレスの口の中に舌を入れねばならぬのだ!
そう、催眠状態にあったとはいえ、俺は冴草契の口の中に舌を入れてしまっていたのだ。いわゆるひとつのフレンチ・キスをしてしまっていたのだ。
回数だけでなく、行為の内容も超えるというのならば、俺はセレスの口の中に舌をねじ込まなければならない……。そうすることで、セレスの気持ちとプライドを満足させねばならない……。
――出来るのか……この俺に! 催眠状態ではなく正気の状態で、口の中に舌を入れるなんてことが……。いや、出来るかどうかではない! やらねばならないんだ! そして、俺は今……やりたいと思っている! これはエロい感情からなどではなく、あれだ! あの……その……なんだ……うん、ちょっとエロい気持ち入ってる、ごめん。
さぁ行こう。難攻不落の唇をこじ開けて、その中にある唾液にまみれたエルドラドに!
そこにはきっと、誰も見たことのないガンダーラが待っている。
俺はキスの最中に舌を伸ばす。
その動きの変化に、セレスは気がついていないようだ。
いける。このままきっと行ける!
唇をこじ開けるようにして、俺は舌をセレスの口内へと忍び寄らせる。
「!!」
セレスが逃げるように身体をビクンと反応させる。けれど、それは一瞬の出来事で、すべてを受け入れるように身体の力を抜いていく……。
俺の舌が、セレスの舌を発見すると、まるで愛を語り合うように二つの舌は絡みあった。
ベチョベチョという、聞こえるはずのないいやらしい音が俺の脳内に響き渡る。きっと、セレスもそうだろう。
「んっ……ん……」
セレスの腕が、まさぐるように俺の胸を這いずりまわっては、シャツごと俺の胸元を強く掴んだ。重ねあわせるように、俺はその腕を自分の腕で捕まえる。
二人の身体が重なりあって一つになっていくような気がした。
このまま一つに繋がりたいと、渇望した。
これか……これが性への渇望なのか。だから、人はセックスをするのか……。そうか、いままでリア充爆発しろとか言い続けてきたが、お前らはこの為に生きていたんだな……。
頭が沸騰しそうなほど熱くなる中、今まで守衛にまわっていたセレスが、俺の舌を執拗に攻めたてだした。
「うっ……」
俺の口から声にならない音が出てしまう。
駄目だ、駄目だ、駄目だ。このままでは、今セレスの腕を握りしめているこの手が、あんなところや、こんなところを触りたくなってしまうに違いない。そうなってしまったら……衆人環視のもとに俺はなんてことをおっぱじめてしまうのか……。
落ち着け、落ち着くんだ。
気持ちいい……。けれど、快楽という獣に身を委ねてはいけない……。
俺は、俺は……身を任せてしまいたいと思っている……。
俺はすでに獣だ、理性も何もかもかなぐり捨てて、ただ快楽のみを追求する獣だ……。
「ウギャッ!」
その快楽から俺を現実世界へと呼びどしたものは、ケツに突き刺さった一本のクナイだった。
その痛みが俺を正気へと戻すと同時に、繋がっていた俺とセレスの唇と舌は、いやらしい唾液を落としつつ引き離されたのだった。
「神住……。それくらいにしておいたほうがいいぞ? そうしないと、今度は狙いを外さずに心臓を貫くからな……?」
忍者は笑顔だったが、目はまるで笑ってはいなかった。
忍者の目は、まるですべてを飲み込んでしまうブラックホールのように空虚で闇に満ちていたのだ。怖い、実際怖い。
俺は今日一番の恐怖を感じながら、愛想笑いでかわすしかなかったのだった。
そして、腕の中から離れてしまったセレスに目をやると……。目は虚ろ、顔は上気した放心状態で、口元をだらしなく緩めながら『うふふふっ……うふふふ』と小さく笑い声をあげていた。
花梨はといえば、まだ気絶して寝転んだままだ。
冴草契は、両手で顔を覆って何も見てない何も着ていないアピールを繰り返していた。
そして、老紳士ブラッドさんはというと……慌てて手に持っていた小型カメラを隠したと思うと、俺に向かって小さくピースサインをしてみせる有様だった。
……そんでもって、今回の黒幕、蛇紋神羅はと言うと……。
「あーはっはっは……。あは、あははははは……。びゅーびゅーん、どっかーん! びびびびぃぃぃ!」
天を仰ぎ見て、口をだらし無く開けてよだれを垂らしては、まるで生まれたばかりの子供のように、近くにあった石を、車や戦闘機に見立てて、一人遊びを繰り返していたのだった……。
かわいそうに、完全に心が壊れて、幼児退行してしまったようだ……。南無阿弥陀仏。
「そ、そうだー。そうだー。いまそいつにキスをすればァァ、俺はァァァ間接的にキスをしたことになるぞぉぉ、そうだぁぁぁぁ!」
狂人の如き口ぶりで、蛇紋神羅は訳の解らないことを口走っていたが、俺は目に入れないようにして無視していた。
それが大失敗だった。
蛇紋神羅は、突如勢い良く立ち上がると、俺に向かって一直線に走ってくるではないか!
まさか、ここで本人自らバトルに突入するのか?
俺は咄嗟に慣れないファイティングポーズで身構える。
だが、その予測は外れていた……。
蛇紋神羅は、両腕を広げたまま俺に近づくと、そのまま腕を俺の身体に回し動きを封じた。そして……強く強く俺の身体を抱きしめたのだ!
「か、関節キッスゥゥゥゥゥ!」
「まさか?!」
ここで俺はようやく奴の本当の目的に気がついた。だが時すでに遅し……。
蛇紋神羅は俺の唇に……自分の唇を押し当ててきて……。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁ」
俺の大絶叫は闇夜を切り裂いた……。
「やれやれ……」
俺の身体を押さえつけていた蛇紋神羅は、忍者様のケツの穴を突き刺すクナイの攻撃によって、その場に倒れたままピクリとも動かなくなった。
ありがとう忍者。お前が居なかったら俺は俺は……くそぅ、涙が止まらねえ……。
口直しだ、口直しをせねばなるまい……。
そうだ、俺の隣には忍者が……忍者の唇を奪えば……。
わかっている。この時の俺は男にキスをされたことで、完全にどうかしていた……。
ただ、月明かりを浴びた忍者の肢体があまりにも綺麗で……。そのぷっくりとした男の子とは思えない唇があまりにも可憐で……。
「忍者ァァァァァ!」
結果は……。
俺のケツの穴に、クナイが二本突き刺さるという、素敵な幕引きとなるのだった。
「完全に、ムードをぶち壊してくですわ……」
セレスがプンプンと腰に腕を当てて、俺を見下したような瞳で見つめて怒っている。
ほんの少し前まで、俺はセレスを心の底から愛していたような気がしたが……アレは何だったんだろうか……。
ほんと、男心はというか、自分で自分の心がよくわからない。
でも、俺は今までよりずっとセレスのことが好きになった。それだけは確かだ。
「ごめんな」
俺が素直に謝ると、セレスは俺の前に腕を差し出す。
差し出された腕を俺は自然に掴む。
「今日だけは許して差し上げますわ……」
空に輝く月が、とてもとても綺麗だった……。
忍者が横でブーブーと小声で文句を言っているような気がしたが、きっと俺にやきもちを焼いているに違いない。ふふふっ、モテル男は辛いぜ……。
男にキスをされるというアクシデントはあったが、遂に俺にやってきたのだモテ期が!
そう、俺は異世界へと続く道に至りはしなかったが、リア充の道にはたどり着いたのだ。
こうして、蛇紋邸突入作戦は幕を閉じたのだ。
ハイパー向日斑と花咲里の行方はわからないままに……。




