114 恋の選択。
確かセレスは、今までにデートもしたことがないと言っていたはずだ。その言葉は嘘ではないはず……。だって、あいつはアホっ子だ。そんな嘘をつけるほど頭が回るわけがない。
まさか『デートはしたことがないけれど、許嫁はいました、てへぺろ』等という、ふざけたオチなのか……。いや、あいつは大財閥のお嬢様、生まれた時に財閥同士で許嫁を決められていた、なんて漫画的な展開があったとしてもおかしくないのかもしれない。とすれば、今日校門で、あいつの表情が曇っていたのも、足取りが重かったのも、俺が嫌な予感を感じたのも、すべてが合点がいく。
どうしてだ、どうしてあの時、俺は……。
「どうした、自分の立場に気がついて口も聞けなくなったか」
「証拠は……」
「は?」
「お前が、セレスの許嫁だという証拠はどこだ!」
「セ、セ、セレスとか……呼び捨てだと! キサマいい気になるなよ!」
蛇紋神羅は、あからさまに動揺した。こいつ、本当にセレスの許嫁なのだろうか? 俺の不信感はさらに募るばかりだ。
「い、いいだろう! 花咲里、見せてやるが良い!」
「え? 何を?」
花咲里は言われた言葉の意味がまるで分からないで、小首を傾げていた。
「アレだ、アレ! わたしと金剛院セレスとの婚約の誓いを出せ!」
「ああ、あれ? あれ出すの?」
「そうだ!」
「はいはい」
花咲里は面倒くさそうに、着物のたもとから一枚の画用紙を取り出した。えらく色あせた画用紙は、十年近い年月を感じさせた。
しかし、この姉弟どこからともなく物を取り出すのは大得意のようだ。
「さぁ、魅せつけてやるが良い、このわたしと金剛院セレスのと愛の約束を!」
花咲里はやれやれといった仕草で、俺と忍者の前にその画用紙を広げて見せつけた。
そこには……。
『わたくし、こんごういんせれすは、じゃもんしんらくんのおよめさんになります』
と、ひらがなだけの拙い子供の文字が、クレヨンで書かれていた。
「どうだーっ!」
「……」
俺と忍者は絶句した。
花咲里は、まだこの画用紙見せてなきゃいけいないの? もう腕疲れたんですけどー、とだるさをアピールし続けていた。
「まさか、これが許嫁の証だとか言うんじゃないんだろうか……」
「何を言っている。これ以上の証拠がどこにあるというのだ! 筆跡鑑定してもらってもいいぞ、これは金剛院セレスの直筆に間違いないのだからな!」
蛇紋神羅、こいつはもしかすると、いやもしかしなくてもかなり残念系イケメンなのではないだろうか……。多分幼稚園の頃に、セレスが気まぐれに書いたであろうこの画用紙を、今まで大事にとっておいたのだろう。なんか、それ想像しただけで少し泣けてきた。あれ、こいつ悪いやつじゃないんじゃないか……。
「ふふふ、そして今日親族会議で、正式に許嫁として二人の間を認めてもらおう事となったのだ! あーっはっはっはっはっは!!」
蛇紋神羅は、今にも後ろに倒れそうになるくらいに、身体をのけぞらせて大威張りで笑ってみせた。
もし俺が、セレスと何の関係もなければ、この残念系イケメンを応援してやったかもしれない。しかし、今は状況が違う、俺とこいつは敵対する運命のもとにあるのだ。
「その親族会議で、セレスはお前との婚約に賛成したのか!」
「うっ……」
蛇紋神羅はのけぞるのをやめて姿勢を正した。
「確かに、金剛院セレスは、婚約に反対した。しかし、それはきっと照れているだけだ! 落ち着いて考えれば、きっとわたしのもとにやって来てくれるに違いない! 違いないのだ! 違いないよな? そうだよな? そうだと言ってくれ? 言ってください!!」
後半は悲しいくらいに自信なさげだった。思わず『大丈夫だよ!』と肩をたたいて励ましてやりたいくらいだった。
「つまりは、キサマのような邪魔者がいるから、彼女はこちらを振り向いてくれないのだ! そう、キサマさえ居なければ……」
「あれだよ、簡単に言うと、神住くんが居ると勝ち目がないから、君をなんとかして亡き者にしてしまえ、って言ってるんだよ? わかったー?」
花咲里は笑顔で、蛇紋神羅の言葉をわかりやすく解説してくれた。しかし、その内容は……つまるところ、俺の命を狙うってことではないか!?
「あーっはっはっはっはっは、キサマは自ら身を引くのであれば、その生命は保証してやろう! しかし、それでもなお金剛院セレスに付きまとおうというのならば……」
「そこでボクたち御庭番衆の出番ってわけなんだよね。ボクって、かわいくて強いしね」
なるほど、ようやく話の流れが理解できた。
俺がセレスと付き合うのをやめろという、脅しをするためにこいつらは来たわけだ。
そんな脅しに俺が屈すると思っているのか……割と屈するぞ!!
誰だって、自分の命が一番大事だ。ついさっきだって、この花咲里の異能の力によって、病院送りにされる寸前だったのだ。一生に一度しかない高校生活を病院のベッドで過ごすなんて、あまりにも悲しすぎる……。
そんな負け犬根性に取り憑かれそうになった時、セレスの悲しそうな顔が脳裏に浮かび上がった。あいつはアホだ。何が一番アホかって、俺みたいなやつを好きになるなんて、アホ以外の何物でもない。だって、俺は忍者の足の指をペロペロしたがるようなド変態で、今まさに脅しに屈し用とするような意気地なしなんだぜ。
「まぁ、今唐突にこんな話をされても、キサマの小さな脳味噌では判断に困るだろう。数日の猶予をやろう。その間によく考えるんだな。ではさらばだ! あーっはっはっはっはっは!」
「それじゃ、バイバイ! なかなか面白かったよ」
花咲里は忍者に向かってウィンクを一つ。そして、俺に向かって投げキッスを一つすると、夜の闇の中に溶け込んでいった。
蛇紋神羅は高笑いを途絶えさすことなく石段を降りていった。途中むせて咳き込む声が聞こえたが、優しい俺は聞こえなかったふりをしておいた。
こうして、神社の境内には、俺と忍者の二人が取り残された。
「すまない、姉のせいで迷惑をかけて……」
素直に忍者は頭を下げた。
「いや、この問題の大本は俺なわけだからな……」
忍者の足の指ばかりに気を取られていたが、良く見れば花咲里との戦いで、忍者装束はボロボロ、きれいな顔は砂と土にまみれて汚れていた。
「ほら、顔汚れてるぞ」
俺はポケットからハンカチを取り出して、忍者の顔の汚れを拭おうとした。
「や、やめろ! それくらい自分で出来る!」
忍者は俺の手から顔を背けた。そして、ハンカチだけを受け取ると、自分で顔の汚れを拭いだした。
「ありがとう……。それより、自分の顔を鏡で見たほうがいいぞ、ボクなんかよりよっぽど汚くなっている。あ、汚いのは元からだったか?」
「うっさいわ! 俺は汚れててもいいんだよ。あれだ、忍者はきれいな顔してるから、汚れてると、ほら、アレだろ……。うん……」
何照れてるんだ俺、今ここは照れるところなのか?!
「何を言ってるんだ?」
「だーかーらー! 忍者の顔は綺麗でかわいいって言ってるんだよ!!」
「ば、バカッ! な、な、な、何を言うんだ! ボ、ボ、ボ、ボクは男の子なんだぞ!」
ボフッと、忍者の顔から炎が出るエフェクトが見えた気がした。忍者は超高速スピードで、背を向けて俺から顔を隠した。
「そ、そんなことよりもだな。これからどうするんだ!」
「そうだよなぁ……」
セレスから身を引けば、全てはそれで終わる。だが、それでいいのか? 俺の恋愛の定義は未だにわからないままだが、俺はセレスに好意を持っているのは確かだ。それを、こんな事であきらめていいのか? いいや、違う。俺はそんな恋愛好きで人の良い男ではない。俺はこの命を狙われるという危険な状況を……なんかカッコイイんじゃね? と、中二病的感覚で捉え始めてしまっているのだ。
命をかけて愛を貫く……。まさに漫画的、ラノベ的展開ではないか。俺が夢にこがれた状況の一つと言っても過言ではない。まぁ出来ることならば、俺はチートで無双できる異能力者であって欲しかったところなんだが、それはもう仕方がないので諦めることにしよう。
「まぁ、これからはボクが神住を警護することになる。不本意ではあるが、お嬢様からの命令だからな……」
「忍者が俺を警護してくれるのか?」
「い、嫌々なんだからな! お嬢様に言われて仕方なくなんだからな! 本当だからな、誤解するなよ!」
なんて言うテンプレなツンデレ! そうか、セレスとの付き合いをあきらめなければ、もれなく忍者の護衛がついてくるわけだ。これは一粒で二度美味しい!
「兎に角、今日は色々ありすぎて頭が混乱しているから、一度寝てからもう一度考えることにするわ……」
忍者との二人の会話で、心が落ち着いた俺の身体には、一気に疲労と痛みが舞い降りてきてしまっていたのだ。今すぐこの場に倒れこんで泥のように眠ってしまいたいという欲求が、俺の身体を支配しそうだった。
「そうだな、その方がいい。ただでさえ頭が悪いんだから、もう少し頭がマシなときに答えを出したほうがいいだろう」
「うっさい! 俺だってな……」
そこまで言いかけて、俺の記憶は途切れた。
遂に疲労が限界に達したのだろう……。
※※※※
「あれ、ここは……」
俺が目を覚ましたのは、自分の部屋のベッドの中だった。
どうやら、忍者のやつが連れてきてくれたらしい。それに、体の痛みもいくらか収まっている。これも忍者が手当してくれたのだろうか? それとも、いつもの様にどこからともなく老紳士ブラッドさんがやってきて、治療してくれたのだろうか? きっと、あのブラッドさんならば、異能の力を持つ花咲里にも余裕で勝てそうな気がする。ただ、あの人は勝ち負けなんかよりも、状況を楽しみそうではあるのだけれど……。
「まぁ、今は考えるだけの力が無いや……。朝まで寝よう……」
俺は再び深い眠りの中に落ちたのだった。




