109 大絶叫。
耳を疑った。目を疑った。脳を疑った。
夢なのではないかと、この世界の存在すら疑った。
「えへへへ、でも神住さんにはセレスさんが居ますもんね」
現実を認められない俺を、放置していくように、桜木さんは言葉を続けていく。
「わたしわかってるんです」
俺は何もわかってはいない。
「でも、この気持だけはちゃんと伝えておきたくって」
俺はちゃんと理解してはいない。
「知ってますか? 実は電波で伝えようとしてたんですよ?」
俺にそんな電波は届いては居ない。
「わたしは勇気がないから、そんな事でしか気持ちを出せなくて……」
俺にはもっと勇気がない。
「でも、神住さんと出会って、それから色んな人と知り合って、自分の気持をちゃんと伝えていこうって、思えるようになったんです。これって、成長……? ですよね?」
俺はきっとミジンコほども成長していない。
「わたし一人で話しちゃってますね」
俺の思考はまるで何かに責め立てられているかのように、ネガティブモードに入ってしまっていた。
言葉や気持ちは、胸の奥に押し込められて、頭の先っぽほども顔を出そうとはしてくれない。
「……今日はお話を聞いてくれてありがとうでした」
桜木さんはブランコに座ったままの俺に、頭を下げた。
「それじゃ、わたしバスに乗って帰ります!」
敬礼のポーズをしてニッコリと微笑むと、桜木さんは俺に背を向ける。
「あ、お見送りは結構ですよ。わたし一人で大丈夫ですからねっ」
背中を向けたまま桜木さんは言った。
肩口が少し震えているように見えた。
「……勝手に気持ちだけ伝えてごめんなさい」
俺はブランコを握りしめたまま、微動だに出来ないでいた。
人の気配がだんだん遠のいていく。桜木さんがこの公園から去っていく。
俺は校門のセレスの時と同じように、何もできないでいる。動けないでいる。
「なんなんだよ……。青春かよ……。俺にはわかんねぇよ、そんな青春なんて……」
一人きりになった公園で、俺は俯いたまま呟いた。
恋愛、愛情、俺はそれが理解できないままだ。
きっとそんなのは、ずっとシンプルで、心のまま気持ちのままに行けばいいのかもしれない。
けれど、俺は友達が出来たことだけで、キャパシティがいっぱいいっぱいになってしまって、それ以上の関係を考える余裕なんてなかった。
いや、寝る前に妄想しないわけじゃないんだ。
セレスとだって、恋人同士のようにイチャイチャしたいと思わなくもないんだ。
ただ、それが正解なのか、間違っているのか、答えがまるでわからないままだ。
桜木さんは、俺にとって今のこの状況を作り出してくれた大本の存在であり、突如として俺の現実を壊してくれた妖精さんだ。
そして、俺にとって妖精さんは妖精さんであって、恋愛の相手としてみたことなんてなかった。いや、この言い方だと嘘になる。見ようと思おうものならば、冴草契に殺されるから、考えないようにしていたというのが正しいかもしれない。
そんな訳なので、俺は桜木さんに告白されても、今どう返事をして良いのかわからないのだ。
「……って考えてることを、ちゃんと桜木さんに伝えればいいじゃないかよ」
電波があれば良いと思っているのは、きっと桜木さんではなく俺の方に違いない。俺の膨大な頭の中の無数の言葉の本の断片でも相手に伝えることが出来たならな……。
桜木さんは今頃、バス停に着いただろうか? もうバスは着ているだろうか?
俺はブランコから立ち上がると、思い立ったように全速力でバス停に向かって走りだした。
自転車? そんなものは置いてきた。急ぐときは、自分の足で走るものと相場が決まっているからだ。
「ハァハァハァ……」
急いで走った。結果がわかっているから急いで走った。
俺がバス停に着く頃には、もうバスは桜木さんを乗せて出発した後で、俺はこう言うんだ『ああ、もう少しで間に合ったのに……』けれど、本当は最初から間に合わないことをわかった上で走っていたんだ。
――俺ってば、頑張ったじゃん? 間に合わなかったけどさー。
そんな言い訳を作るためだけに走っているのを、俺はちゃんと心の中で理解していた。
俺がバス停に着くと、案の定バスが走り去っていくところだった。
きっとこのバスの中に桜木さんは乗っていることだろう。
ああ、惜しかったなー。もう少しだったなー。俺があと少し足が早かったらなー。
さぁ言い訳は完璧だ。俺は俺自身をそうやって誤魔化して生きてきたんだ。
「あれ、神住さん?」
「はぁ!?」
俺の背後からいきなり現れたのは、なんと桜木さんその人ではないか!
「え? あの? さっきのバスに乗って……」
「あ、わたしバスの定期券を鞄の何処に入れたのかわからなくなっちゃって、探している間にバスが行っちゃったんですよぉ……ドジですねわたし、えへへ」
後ろ頭を自分でコツンと小突いてみせる。
「そ、そうだったんだ……」
「神住さんはどうしたんですか?」
「お、俺か? 俺は……」
間に合ってしまった場合のことを、俺は何一つとして考えてはいなかった。世の中って本当に何があるのかわからないもんなんだな……。
兎に角だ! 間に合ってしまった以上、何かを言わなければならない。息を切らせて走ってきて、何も用事がありませんです。なんてのはあまりにも不自然すぎるのだ。
探せ、探せ、言葉を探せ! 何か何かあるはずだ……。
困惑の一途をたどる俺を、桜木さんは不思議そうな顔で見ている。
「お……」
「お?」
『お』という単語は、何も考えずに口の形のままに言葉を出してしまっただけだった。しかし、言ってしまったのならば、勢いでも何でも言葉を続けなければならない。キェェェェ、これは久々の訳の分からないとんでも無い事を言ってしまうパターンになるのでは……。
「お、俺はハーレム展開でもどんと来いな男だぜ!」
うわぁぁぁぁぁ、よりにもよって何をトチ狂ったことを言ってんだよ!! しかも、キメ顔で! 俺の脳みそのどこから《ハーレム》なんて単語が出てきたんだよ! ギャルゲーか? ギャルゲーのし過ぎなのか?
「は、ハーレム……」
見ろ、桜木さんがキョトンとしてどう反応して良いかわからなくなっているじゃないか。
「それじゃ、わたしはハーレムの端っこにでもくわえてもらおうかなぁ〜」
「は?」
今度は俺がキョトンとした顔を擦る番だった。
「じ、冗談ですよ? 冗談ですからね? それじゃ、次のバスが着ましたから……また明日です」
桜木さんは逃げ出すように、あたふたとバスに乗り込んでいく。
「お、おう」
今度こそ、桜木さんはちゃんと定期券を出してバスに乗り込んでいった。
バスの中から、桜木さんがこちらに向かって小さく手を振っている。
俺はこの時、とんでも無いことを考えだしていたのだ。
「ハーレム……その手があったか!」
誰とどう恋愛をして良いかわからない。どの距離感で接して良いかわからない。それならば、全員と仲良くすればいいのではなかろうか! 誰も傷つかない素晴らしい世界の誕生ではないか!
※※※※※
「なわけねえよ!」
俺のハーレム妄想は、家に辿り着いた頃にはすでに鎮火していた。
今俺がセレスと桜木さんに好かれていること事態が奇跡だというのに、ハーレムなんてとんでも無い。
ただ、ハーレムとは少し違うかもしれないが、誰とも特定にお付き合いをセずに、平均的に仲良く接していくというのはありなのかもしれない。
『何ふざけたことを言っているんですの!』
俺の脳裏に怒り狂うセレスの顔が浮かびあがってきた。
「そうだよなー。(仮)とは言え、セレストは恋人同士なわけだし、それは流石にないわなぁ……」
と、思案にくれていると、スマホに着信が……。
「またか、またなのか……」
着信相手は冴草契。
そして、要件はいつもの様に境内まで来いだった。
※※※※※
境内に向かうのも手慣れたもので、途中の道の何処にコンビニがあってとかまでわかるようになってしまった。
「しかし、またか? またなのか? あれなのか、実は桜木さんに盗聴器でも仕掛けていて、俺への告白のことでも知ってしまったのか? それか、俺の電波が嘘だとバレたことか?」
どっちだったにしろ、俺の命危ういことには違いがなかった。
それなのに、逃げもせずにちゃんと向かう俺は偉いといえる。いや、アホだって言えるのか?
いつものように、ひーこらひーこら言いながら長い石段を登ると、そこにはこれまたいつものように冴草契が仁王立ちで待ち構えていた。
ただいつもと違うのは、空手道着ではなく、七分丈のパンツにTシャツという私服で待っていたことだった。
「よ、よお」
俺はビクビクしながら挨拶をした。
そして、いつ飛んでくるかもしれない、パンチやキックに備えた。
しかし、いつまでたってもパンチもキックも飛んではこない。それどころか、言葉も発しない。
一体どうしたんだろうか? そう言えば、こいつ今日空手の道場に用事があるとか言ってたな? それと何か関連があるのだろうか?
「な、なぁ、今日は道場に用事があったんだってな? 桜木さんが言ってたぞ」
うわぁ、やべぇ、この言い方だと俺が今日桜木さんと会っていたことを、バラしているようなもんじゃねえか……。
俺は腹にパンチが来ることを予期して、ガードを固めようとした。が、パンチはやってこない。
「ひ、姫に言った用事は……嘘なんだ……」
「へ?」
今日の冴草契はどこかおかしかった。いや、こいつはもともとおかしなやつではあるが、そう言う意味ではない方向でおかしかった。そう、言うならば、珍しく女の子のような表情を見せているのである。
「じ、実はだな……今日、わ、わたしは……」
そこまで言いかけて、冴草契は言葉を止めた。
そして、周りに人の気配がないかを丹念に確認すると、深呼吸を三回繰り返して……。
「男子に告白されたんだ!」
顔を赤面させて、中学生のように少し子供っぽい口調で、冴草契は言ったのだった。
「……は?」
俺は耳を疑った。
幻聴に違いない。この暴力空手バカ一代女で、さらに激烈百合馬鹿である、冴草契に告白する男子など居るはずがないのだ。
「えっと、ちょっと耳がおかしくなったみたいなんで、もう一度言ってもらえるかな?」
「だ、か、ら! わたしは男子に告白されたんだよ!」
「ほぉほぉ、男子に、告白を、された? へぇ……。って、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
今世紀最大の叫び声を上げた俺は、ショックのあまり真後ろに倒れてしまったのだった。




