107 お勉強会 後編。
「やっぱりそうなるのか……。この糞ゴリラ!」
初見であったならば、前回同様にスーパー化した向日斑の速度とパワーの前にやすやすと抱きしめられたに違いない。しかし、忍者は前回の事によって学習をしている。聖闘士に同じ技は二度通じないように、忍者は二度と同じ轍を踏まないのだ。
猪突猛進をして向かってくる向日斑を、まるで跳び箱を飛び越えるように背中に手をついて上空へと退避することに成功したのだ。
しかし、向日斑の忍者に対する執着心は常軌を逸している。その強大な精神力は、慣性の法則をも歪めてしまう。勢いのついた身体をその場で停止させると、垂直に飛び上がったのだ。
「なんなんだよ、この化物ゴリラっ!」
まさかの空中戦が今まさに始まろうとしていた。
このような高速のやり取りを、一般人である俺が何故視認できているのか? 疑問に思われることだろう。驚く無かれ、俺は忍者の痴態を見るためならば、五感の精度を超人並みにアップさせることが出来るのだ! これぞ愛の御業と呼べよう……。ってか、この部屋天井がえらく高い作りになっていたのは、こういう時のためか? ってどんな時だよ!
「ウホウホッー!」
向日斑は空中で両手を大きく開いて、その手の中に小さな忍者の身体を抱きしめてしまおうおとした。空中では回避行動を取ることの出来ない忍者は、哀れにもそのまま向日斑の腕の中に抱かれてしまうのか……と思われた刹那。忍者は空中で一回転することで落下速度を緩め、向日斑の腕の中ではなく、腕の上に乗ることが出来たのだ。
「セイッ!」
忍者は向日斑の腕に乗ったまま、顎に向けて蹴りつけた。
「ウホーッッッ」
脳を急激に揺らされた向日斑は、バランスを崩してもんどり打って仰向けに床に倒れ込んだ。
そして、忍者は華麗に着地を決めた。
この空中での攻防戦は見事に忍者が制してみせたのだ。
「ふん。何度も同じようになると思うなよ1」
倒れた向日斑を、忍者は見下ろすようにして言葉を履きつけた。
これがいけなかった。
今の忍者はミニスカートだ。
つまり……仰向けで倒れている向日斑は……忍者のスカートの中を視認できてしまっているのだ! なんと羨ましい……。
「ウホオオオオオオオオオオオオッ!!」
忍者のパンツを見たことにより、向日斑は一瞬にしてゾンビのごとく復活を遂げた。
ゴリラのパワーを持ちながら、その速度も衰えることのないゾンビ。なんと恐ろしい事か……。ホラー映画に出てきたらラスボスレベルである。
それよりも俺が気になるのは、今忍者が履いているのはどんなパンツなのかということである!
完全に気を失っていると思い込んでいた忍者は、隙をつかれる形となるのがが、そこは神速をモットーとする忍者である。雄叫びを上げて向かってくる向日斑に向かって、正中線五段突き決めてみせるのだが、ゾンビと化した向日斑は身じろぎ一つすることなくそのまま忍者を抱きしめてしまったのだ。
「イヤァァァァァー!!」
忍者の悲鳴が部屋の中を埋め尽くす。
捕まえられてしまっては、圧倒的な腕力の差により忍者は向日斑の腕の中から脱出する術を持たない……。即ち、前回同様ペロペロの悲劇が繰り返されてしまうのである……。
「お兄ちゃん、何やってんのよぉー!」
花梨は走った。そして、超低空の高速足払いを向日斑に仕掛ける。まるで鋭利な刃物のような鋭い足払いは常人ならば足を刈られて転倒すること必至である。だが、今の向日斑は地面に根をはっているかのように微動だにしない。更に追い打ちを掛けるように、背中に向かって何度も何度も蹴りを放つのだが、その効果はまるでありはしなかった……。
こんな時こそ、柔術による関節技が有効なのだが、頭に血が上っている花梨にそんな考えは浮かびはしないようだった。
そうこうしている内に、向日斑の腕が忍者の腰回りを撫で回すように擦りだす。指先がワシャワシャと動いては、忍者の敏感な部分を刺激する。
「アッ……。だ、ダメぇぇ」
うむ、どうやら忍者は腰回りが感じやすいようだ。これはテストに出るぜ! メモしておこう。
さらに、ワシャワシャする指使いは、上に登って行き……。忍者の脇の部分に達しようとしていた。
「んっ……。はぁん……」
熱いと生きのような声が、忍者の端正な唇から漏れだす。
なるほど、脇もありなんだな。うーむ、今日のお勉強会はすごく勉強になる……。
「な、何をしているんですの! 早く七桜璃を助け出しなさい!」
遂に辛抱たまらなくなったセレスが、直立不動で事の成り行きを見守っていた赤炎さんに命令を下す。
こんな時こそ、雌ゴリラを鎮めた麻酔注射の出番なのだ。
しかし、赤炎さんは何をしていたかといえば……。
「ぐへへへへ……。苦痛と快楽の間に歪む七桜璃の表情……最高です! ゾクゾクしてきます! あぁ、これぞこの世の歓喜、悦楽、愉悦! 素晴らしいですわァァァァ」
頬をとろけさせ、口からよだれを滝のように流すさまは、本当にこれがあのクールビューティな赤炎さんなのか? と疑問に思ってしまうほどの変わり様だった。
「もっと、もっと、もっとォォ! 七桜璃のもだえ苦しむ声をわたくしに聞かせてくださいッッッッッ!」
女装美少年の苦しみ悶えるさまを見て、恍惚の表情を浮かべる赤炎さん、その気持ちをわからないでもない俺が居た。
「駄目ですわ。ここには変態しか居ませんわ……」
セレスが落胆のあまり、床にぺたりと座り込んでしまった。それを慰めるように、チョコが膝の上に乗ってはセレスの頬をペロペロと舐めた。
「あなただけですわ。変態じゃないのは……」
どうやら、変態のカテゴリーには俺もしっかり含まれているようだ。
まぁこの部屋に今居るのは……。
女装男子に激烈ラブなゴリラ。
実の兄であるゴリラを愛している妹。
美少年が苦痛に苦しむ姿をよだれを流して喜ぶメイド。
忍者の象さんにキスをしたことのある俺。
見事に変態が勢揃いだ。しかも、性癖的な意味での変態である……。
「七桜璃すわぁぁぁん」
ワシャワシャ攻撃を終えた向日斑は、その攻撃をペロペロへと移行させようとしていた。
そう、ついに忍者の可愛らしい顔に、向日斑の汚らしい舌が這いずりまわる瞬間がきてしまうのだ……。
すまない忍者……。非力な俺はどうしてやることも出来ない……。俺にできることといえば、スマホのカメラで動画撮影をすることくらいなのだ……許せ! 最高のアングルで撮ってやるからな!
「こんな事もあろうかとなのだ!」
突然扉を開けて現れたのは、小学生と見紛うほどの低身長に、可愛らしく括られたサイドテールの髪型。
そう、黄影里里さん、その人だった。
「行くのだ! 雷轟丸!」
黄影さんの背後から現れたのは、全長二メートルを超える、金属で出来た人型の物体だった。
「まさか、ろ、ロボット!?」
「そうなのだ! 里里の科学力は世界一ィィィぃなのだ!」
えっへん、と黄影さんはあるのか無いのかわからない胸を張ってみせた。
「さぁ、雷轟丸、お前の超絶パワーでそのゴリラ人間から七桜璃を助けだすのだ!」
雷轟丸と呼ばれたその鉄人は、ガシャンガシャンと関節を鳴らしながら向日斑と対峙する
そして……。
スーパーゴリラ人向日斑VS鉄人雷轟丸の世紀の一戦が幕を開けたのだった。
……
…………
……………………
戦いは終わった。
雷轟丸によって向日斑は倒され、忍者がぺろぺろされるのは見事阻止されたのだ。
それに比べれば、勉強会に使ったこの部屋が、惨憺たるありさまになったのも、些細な事だといえるだろう……。言えるだろ?
「はーっはっはっは! 里里の科学は最強なのだー!」
みんながぐったりとへたり込む中、黄影里里さんだけは元気いっぱいだった。
「はぁー、里里ときたら……。お掃除が大変です……」
赤炎さんは、通常モードに戻ったらしく、部屋の掃除を始めようとしていた。
元はといえば、この人がすぐさま麻酔注射をしてくれていれば、こんな有り様にはならなかったものを……。
「どうして、いつもこうなってしまうんですの……」
セレスはまだ床にペタンと座り込んだままだった。
チョコは、セレスの横でスヤスヤと寝息を立てて眠ってしまっていた。あの騒動の中で眠れるなんて、こいつ中々の大物なのかもしれない。
セレスはスカートの埃を叩きつつ立ち上がろうとした。
「ほれ」
俺はセレスに手を差し伸べる。
「あ、ありがとうですわ」
セレスは自然に折れの手を掴んで、ゆっくりと立ち上がった。
なんだろう、こういう一連の動作を自然にできるようになったのって、少し二人の関係が進歩しているってことなんだろうか?
「お兄ちゃんのバーカ、バーカ!」
花梨は白目をむいて気絶している向日斑を、ポコポコポコポコと殴り続けていた。
「はぁ、また青江を呼んで、記憶を消してもらわないといけませんわね……」
「そうだな……」
こうして、波乱に満ちたお勉強会は幕を閉じたのだった。
ああ、桜木さんたちを呼ばなくて本当に良かった……。




