100 特別編「忍者の一日☆」
忍者こと、七桜璃の朝は早い。
と言うか、もはやいつが朝でいつが夜なのかすらわからない。
こいつはそもそも寝ているのか? そこから疑問に思うべきである。
ベッドの中で目を覚ました七桜璃は、暫くの間まるで時間が止まった世界に迷い込んでしまったかのように、呆けた顔で一点を見つめ続ける。
その行為は、これといった用事がない場合は小一時間にも続けられる。
そう、七桜璃は超低血圧なのだ。
そして、なんの用事もないであるならば、それは小一時間にも続くのだ。
寝ぐせのついた銀髪に、焦点の合わないうつろな目、そんなもので見つめられた日には、何の変哲もない無機物の壁であっても妊娠してしまうこと必至である。
こんな超低血圧の忍者ではあるが、一度お嬢様のお呼びがかかれば、高圧縮ポンプのように瞬時に脳に血液を送り込み、戦闘態勢へと移行することが出来るのだ。
その時の七桜璃は、コンマ数ミリ秒で寝ぐせの髪のセットを完了させ、執事衣装へと着替え完了を行うのだ。
着替えシーンを、ウルトラスローモーションで見てみよう。
ダボッとしたパジャマを放り投げるように脱ぎ捨てると、アンダーウェアが露出する。上半身はノースリーブのシャツ、下半身はボクサーパンツ。そして、おもむろにパンツの脱ぎ捨て……。ここでカメラは破壊されてしまいました……。残りの着替えシーンは脳内で保管してくださいませ。
「はぁ……。家にいるときは、執事衣装で本当に良かった……」
と、安堵の息をつくのだが、最近少し忍者衣装にハマってきていることも真実なのだった。
こうして、何処からどう見ても立派なショタっ子執事へと変身を完了させた七桜璃は、セレスお嬢様の元へと赴くのだ。
「お嬢様、おはようございます」
「おはよう、七桜璃」
金剛院セレスは、椅子に腰掛けてお茶の最中だった。部屋中にアールグレイの良い香りが漂っていた。
「御用は何でございましょうか?」
七桜璃はセレスの前に立つと、軽く会釈をした。
「一発ギャグ」
「へ?」
「七桜璃に、一発ギャグを言ってもらいたいのですわ」
「お、お嬢様、それに一体どういう意味が……」
「あらあらあらあら、一発ギャグに意味が必要ですかしら?」
「いえ……」
七桜璃は終始笑顔を崩すことはなかった。
しかし、それは表面的なものだけで、内情はといえば……。
『うわああああ、どうしよう……。ギャグ? それも一発ギャグなんて、ボク一つも知らないよ……』
と言った感じに、大パニック状態なのだった。
しかし、金剛院家の仕えるものには、絶対遵守のお題目があった。
『執事たるもの、不可能があってはならない!』
この、一見無茶苦茶のようであるお題目を、金剛院家に使えるものはモットーとして守り続けて生きているのだ。
そしてそれはまだ若い七桜璃にとっても同じであった。
お嬢様が、空を飛べと言われれば空を飛び。地中に潜れと言われれば土に潜る。
これまでそれをやりぬいてきた七桜璃にとって、たかだか一発ギャグ程度なんでもないこと……であるはずなのに、七桜璃は困惑を極めていた。
『そうだ、昔ブラッド様に、教わったギャグが一つあった……。あれだ! あれをやれば……。でも、ボクに出来るのだろうか……。ううん、出来る出来ないじゃない、やるんだ! それが金剛院家執事としての勤めなんだ!』
七桜璃は決意を固めると、大きく息を吸った。
そして、右手をゆっくりと流れるような動きで、胸元の少し前の辺りにまで持っていく。そこから弓を引き絞るように、手のひらをすぼめつつ、脇を閉めて、腕を一気に引きながら……。
「ガチョーン!」
これぞ、老紳士ブラッドから伝授された、伝説の一発芸『ガチョーン』である。本来は、谷啓と呼ばれる芸人の持ちネタなのであるが、ブラッドはそれを大層気に入っており、普段から多用しているのだ。同系列の一発芸としては『ビローン』『ムヒョーん』などが存在する。
『やった……。ボクちゃんとやりきりましたよ、ブラッド様!』
七桜璃は、我ながら見事な所作でガチョーンをやりきれたと、いくら感動すらしてしまっていた。
そして、それを見たセレスお嬢様は……。
「で、それがどうしましたの?」
と、真顔で問いかけてきたのだ。
一発ギャグを殺すには刃物はいらぬ、ギャグの意味を聞けば良い。
まさに芸人殺しの一言である。
「そのガチョーンが、どう面白いんですの? 七桜璃、説明してくれますかしら?」
さらに、一発ギャグに説明を求めるという非道っぷり。このセレスお嬢様、本当はわかってやっているのではないかと思ってしまうほどだ。
「いえ、あの、その……。が、ガチョーンは……意味のない言葉と、意味のない動きを合わせることによって、発生するナンセンスな空気をですね……」
身振り手振りを交えながら、必死になって説明する七桜璃の姿は、柱の陰になくれ老紳士ブラッドによってコッソリ録画されているのだが、当の本人の七桜璃は知る由もなかった。
※※※※※
執事である七桜璃の仕事は、お嬢様の御用聞きだけではない。
部屋の掃除、食事の支度、などなどエトセトラと、家事全般を当たり前のようにこなすのだ。
「よし、出来た」
ここでエプロン姿の七桜璃が今まさに作り上げたケーキを見てみることにしよう。
まず色合いは……なんというのだろうか、末期にピカソの画風、そんな感じだと思っていただければよいだろうか。形は……これまた末期のピカソを思うかべてもらいたい。そして、肝心の味はというと……人間が食すには適さない物体だとだけ申しておこう……。
そう、七桜璃は家事全般をこなしはするが、得意と呼べるわけではないのだ!
「な、七桜璃……。台所の仕事はもういいから、自分の鍛錬でもしてこいよ……」
出来上がった謎の物体を目にした青江虎道は頭を抱えながら、七桜璃を台所から追放したのだった。
ちなみに、青江虎道は料理が大好きだ。
本当は食べることが大好きなのだが、美味しく食べるためには作る労力もいとわないのだ!
チャイナドレスの上にエプロンを付けて、料理に腕を振るうその姿は、その豪腕無双っぷりを知らないものからすれば、お嫁にしたいと勘違いしてしまうほどだろう。
※※※※
台所を体よく追い出された七桜璃は、言われた通りに修練に励むことにした。
『執事、メイドたるもの、強くて当たり前!』
これも、金剛院家に仕えるものとしては至極当然なことである。
日々の鍛錬は欠かせないものなのだ。
さらに、七桜璃にはやらなくてはならない修練があった……。
忍術の習得である。
「あの、クソ神住が、あんなことを言い出さなければ……」
セレスお嬢様のお気に入りの男性である、神住久遠、この男が現れたからというもの、七桜璃は執事ではなく、忍者としての修行もこなさなければならなくなったのだ。
日夜、手裏剣、クナイ、忍者刀の修練に励み。
更には、火遁の術、水遁の術、土遁の術、分身の術、といった定番の忍術の習得にも余年がなかった。
最近では、チャクラの性質変化にも取り組むという進歩を見せだしている。
「ふぅ……」
忍術修行の最中は、勿論忍者装束である。
つい先日、セレスお嬢様が『夏用の衣装を用意しましたわよ』と、新しい忍者装束を要してくれたのだ。
「え……。これ……。これをボクが……」
肩と脇が顕になったノースリーブの着物、さらに下半身は超絶ミニスカート丈。
少し動けば、無防備に鳴った腋から、忍者のピンクの小粒が見てしまう可能性も! さらに、さらに、真っ白なおみ足は、絶えず視線にさらされることになり、それはもう世の特殊な趣味男子を魅了するために生まれてきた存在と言っても良いだろう!!
「でもまぁ、動きやすいし、修練もしやすいし、まぁいいか……。それに、なんだかちょっと癖になってきちゃってるかも……」
修練を終えて疲れきった七桜璃は、顔を少し上気させたまま地面にペタリと腰を下ろした。
腕と足を伝う汗のしずくが、まるで宝石のように見える。
出来ることなら、ぺろぺろぺろぺろぺろぺろペロペロ……。
※※※※※
「ふぅ……」
そんな妄想をしながら、俺は家に向かっていた。
ファミレスでの仮面忍者騒動の後に見た、忍者夏服ヴァージョンがあまりにも刺激的すぎたために、俺は自転車を漕ぎながら、ず~~っと妄想を続けていたのである。
うーむ、俺は(仮)とは言え、彼女が出来たというのに、こんなことを考えていてもいいのだろうか?
まぁ、細かいことを考えるのはやめよう。好きなモノは好きなのだからしかたがないのだ。
こうして、俺はウキウキ気分で家へと帰るのだが。
まさか、その先にあんな地獄が待ち受けていようとは……




