10 低身長の女の子が、頑張って背伸びをしているのは萌える。
結局、何の対策も思いつかないうちに、放課後はやってきてしまった。
すでに、俺の頭の中はこの事態をどう乗り切るというより、最悪の結果に陥った時に、最小のダメージでどう切り抜けるかということにシフトしていた。
『腹にジャンプでも詰めていったほうがいいだろうか……』
防御力を重視するならば、月刊アフタヌーン辺りを詰めていくほうが良いのかもしれない。昔ほどの分厚さはなくなったとはいえ、いまだに糞分厚いから。それに載ってる漫画も面白い。
俺が制服の上着をめくり、ジャンプを腹に入れようとしてると、後ろから向日斑が声をかけてきた。
「おう、俺今日も用事あるから、先に帰っててくれよ」
後ろ頭をゴリゴリとかきながら、向日斑すまなそうに言った。
ゴリラの巨体が俺の身体に大きな影を落とす。なぜだか、今のゴリラには哀愁が少し漂っている気がした
「ああ。気にしないでいいぞ。俺も今日用事があったんだ」
「そうか、ならお互い様だな」
口の端を大きく釣り上げて、向日斑は笑みを浮かべた。知らない子供が見たら泣くこと必須だ。
作り笑顔。向日斑はそんな事をしないと思っていた。だが、俺にはわかってしまう。こいつは今、ビックリするくらいぎこちない作り笑顔をしている。そうやって、無理にでも笑わないと落ち込んでしまいそうになる出来事が、この後にあるのだろうか? まさか、そんなことあるわけない。だって、こいつは向日斑なんだぜ? 心優しいゴリラなんだぜ? きっと、バナナの食べ過ぎでお腹でも痛いに違いない。それをごまかすために、作り笑顔をしているに違いない。きっと、用事というのは長時間便所で茶色い悪魔と格闘することに違いない。
俺はいささか強引な論法ではあるが、自分自身を納得させた。
「そんじゃまた明日な」
俺は、向日斑に向けて左手をプラプラと気怠げに振りながら教室を出た。
「おう、明日な」
まさか、この向日斑の声が、俺が聞く最後の声になろうとは……その時知る由もなかったのだ。
と、勝手に心の中で失礼極まりないナレーションを響かせてみたりした。
きっと、向日斑は明日も元気だろう。
根拠は、ゴリラだから。
※※※
「居たよ……居やがりましたよ……」
俺の視線の数十メートル先にあるファミレスに、例の二人の姿が見えていた。
この距離でもわかるのは、空手女から発せられる禍々しい殺気のせいだろうか……。
途端に自転車のペダルを漕ぐ足が、まるで鉛でも付けられたかのようにスローモーションになる。
ああ、後何回転ペダルを回すと、ファミレスについてしまうのだろうか……。
はい、そんな事を考えている間にもうファミレスに着いちゃいましたとさ、ちゃんちゃん。
「やったー、やったよー! ちーちゃん! 私の電波またまた届いちゃってたよー! わぁい」
俺を視認するやいなや、喜びのあまりピョンピョンと仔ウサギのように跳ねるのは、桜木姫華さん。おいおい、そんなに飛び跳ねてるとこけますよ。そんでスカートの中見えちゃったりしますよ?
「そ、そうだな。姫の電波はすごいなー」
と、苦笑いの棒読み台詞なのが、冴草契さん。別名キラーマシンである。あ、今これ俺が命名した。
「や、やあ」
自転車を自転車置き場にかたしてから、情けない声で挨拶をするのが、神住久遠くん。俺だ、俺、俺!
「届きました? 届いちゃいました? 私の電波」
口元に手を当てて、期待いっぱいのキラキラする瞳で顔を見つめられたら、そんなの嘘だろうとなんだろう関係なくなってしまう。もはや、それこそが超能力だ。
「届いた。届いちゃいました。桜木さんの電波」
俺はさらりと言ってのけた。
驚くことに、嘘をついた罪悪感すら感じていなかった。
「えへへへ、やりましたー。桜木姫華やりましたー。電波成功ですー。神住さん、手を出してください」
「へ? 手?」
俺は訳もわからずに手を胸の前に出した。
「違いますよ〜。もっと上の方ですー」
「うえ?」
さらにわかっていないまま、俺は左手を頭の上に掲げた。
「ハイたーっち!」
ぴょーんと大きくジャンプして、桜木姫華は俺の手を叩こうとした。が、惜しくも届かずに、手は虚しく空を切った……。
「べ、別に私が小さいからじゃないですよ! い、今のは失敗しただけなんですからね!」
頬をぷくーっとふくらませている。まるで餌を口にいっぱい含んだシマリスのようだ。
「今度こそはー!」
少しばかり助走をつけて二度目のジャンプ。
俺は気がつかれないように、こっそり掲げた腕の高さを低くしておく。
パシーン。
手から小気味良い音が響く。俺は少しの熱量と柔らかい感触を手に感じ取った。
今度は成功したのだ。
「やった。成功ですよ、神住さん!」
着地も見事に決めて十点満点。まるで体操選手のように、両手を満足気に掲げている。
もしや、電波が届いたことよりも、今のジャンピングハイタッチの成功のほうが喜んでいませんか……。
「ああ、姫はいつも可愛いなぁ……」
俺に放っていた殺気はどこに消えたのか、冴草契は小動物を愛でるうっとりした眼差しで、桜木姫華を見つめていた。
「かわいいとかー。やめてよー。子供扱いされてるみたいだよー」
「だって、可愛いんだから仕方ないじゃないか。姫は可愛い、これは揺るぎない事実だぞ!」
「もぉー、また言った! ちーちゃんのばかーっ」
こいつら、百合の花咲かせてるんじゃあるまいな……。
俺はしばらくこの百合的やりとりを見つめていたが、ファミレスの前を通りかかる下校中の生徒たちの好奇の視線がこちらに注がれていることに気がついた。
なので、俺は至って常識的な意見を述べた。
「ファミレスの前で騒いでるのも迷惑だろうし、お店の中に入らないか?」
駐輪場でこのやりとりを続けると、明日には校内で有名人になってしまいそうだった。それに、店内ならば流石にピョンピョンはねたりはしないだろう、多分……。
「あ、そうですね。お話しはファミレスの中でしましょう。そうしましょう。いこ、ちーちゃん」
「そうだな、そうしよう」
二人が先立って、ファミレスの中に入っていく。俺はそれに続くように二メートルほどの間隔を開けて付いて行く。
桜木姫華のすぐ横を歩いて行こうものならば、死角から冴草契の鉄拳が叩き込まれないとも限らない。
俺たちをテーブルまで案内したのは、偶然昨日と同じ店員さんだった。
『おいおい、この男二日連続で、女連れ回してんのかよ……。死ねばいいのに、死んでしまえばいいのに、爆散すればいいのに……』
そんな呪詛を含んだ視線を受けながら、俺達はテーブルに付いた。
そして、昨日同様ドリンクバーを注文すると、各々ドリンクを行く。
ここまでは、昨日となんらかわりはしなかった。ここまでは……。
テーブルに全員が戻ったことを確認して、桜木姫華が『こほん』と少し尊大な感じのする咳払いを一つ。
そして、小さな口から肺いっぱいに空気を吸い込むと……とんでも無いことを口にした。
「私たちで、超能力研究会をつくりましょー!」
俺は思わず、口に含んでいたコーラを吹き出してしまうところだった。




