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01 異世界に行って勇者に! なんて妄想をしてる奴は現実をちゃんと見てほしい。そんな事がなくても、運命の歯車ってやつは回り出すんだ。

 運命の歯車ってやつが回り出した音を聞いたことがあるか?


 俺は今それを聞いている。


 もし目の前に、美しい妖精が現れたらどうする?


 きっと、言葉をなくして、緊張のあまり彫刻のようにカチンコチンに固まってしまうだろう。


『ああ、俺は今妖精を見ているんだ……』


 心の中でのつぶやきは現実となって、今俺の瞳の中に美しくも儚げな妖精の姿を映し出している。

 ここはファンタジーの世界でも、ゲームの世界でも、パラレルワールドもでなんでもない。極々普通の、何の変哲もない世界。

 世界の命運をかける戦いもなく、闇の魔王が復活することもない。

 仕事をするために会社に行き、勉強をするために学校に通う。そんなありふれた生活の中で、そんなありふれた高校の校舎の中で、その長い渡り廊下の先で……俺は妖精と出会ったのだ。

 夢じゃない。これはきっと夢じゃない。

 

 胸の鼓動が、全世界の全ての生き物に届くくらいに、大きく大きく鳴り響く。

 これがきっと、俺の物語、俺の運命、それらが動き始めた事を告げる音に違いないのだと、俺はそう確信した。

 そして、物語はここから幕を開ける。


 

 ※※※※

 


 俺は高校の教室で、一人椅子にもたれかかりながら、天井を見つめては考え事をしていた。

 何故そんなことをしているのか、そう問われたら『知るか!』とだけ答えてやる。


 誰だって、こんな妄想をしたことがあるだろう。

 異世界に転生して勇者となって魔物と闘いつつ、美少女と恋に落ちる。

 テンプレートではあるが、誰しもが抱く妄想。願望。

 俺も御多分にもれずに、その妄想に浸りきっていた時期があった。

 そう、一般的に中二病と呼ばれるその時期には、俺はそんな妄想にどっぷりと肩まで浸かって百まで数えていたのだ。

 だが、今あえて言わせてもらおう。


『お前頭大丈夫か? あるわきゃないだろ!!』


 声を大にしてもう一度言わせてもらう。


『そんなのあるわけ無いだろ!! ばーか、ばーか! お前のかーちゃんデベソ!』 


 はっ、かーちゃんデベソで思い出した。前に、お前のかーちゃんデベソってのが、どうしてけなし言葉になるのか議論になったことがある。そこで出た答えはこうだ。


『相手が自分の母親のへそがデベソであると認識しているということは、上着をめくってへそを見たということである。つまり……うちの母親とそいつは肉体関係にある可能性が発生する。そう、うちの母親はそいつと寝ていやがったんだ! ハッハッハー! ファッキン糞ビッチ!』


 確かにこれならば、強烈なけなし言葉として用いられてもおかしくない。みんなも、軽はずみに『お前のかーちゃんデベソ』という言葉を使わないほうがいいぞ。言った当人がそのお母さんと肉体関係にあることを疑われてしまうから。


 おっと、話がビックリするくらい横にそれた……。俺は、自分の母親が誰と肉体関係を持っているかについて語る気なんてさらさら無い。そんなの語りたい奴はどっか別の場所でやってくれ。二ちゃんねるに『親友の母親と寝たんだけどどう思う?』とかスレッドを立ててくればいい。俺が言いたいのは、異世界に飛ばされて、勇者になってハーレムなんてのは、ありえないってことだ。

 俺がそれに気がついたのは、高校に入る前だ。

 俺は中学時代、いつでも異世界からの迎えが来てもいいようにと、普段から呪文の練習やら、魔法陣の書き方など、びっちりと準備を整えていた。勿論、脳内バトルシミューレーションも怠らない! 放課後はいい感じの樹の枝を振り回して『聖剣エクスカリバー!!』とか叫んでいた。そんな事を毎日のようにしていたので、クラスの奴らとつるむ時間なんて無かった。それ以前につるんでくれる奴なんていなかった……。いや、寧ろ自分から友達を作らないようにしてたんだよ!! だってさ、もし友だちを作ってもだぞ、急に異世界へのゲートが開かれたら、お別れになるわけじゃん? それならばあえて仲の良いやつを作らないほうがお互いのためだと思ったからだよ! 本当だよ! 

 けれど、けれどだ!!

 迎えなんて来やしねえよ! 異世界の扉なんてどこにもないよ!!

 寧ろ俺が開いたのはボッチの世界の扉だよ!!

 中学卒業を前にして、俺は気がついてしまったのだ。

 俺は異世界へ転生したりはしない人間なんだってことを……。

 ああ、それなばら普通に友だちを作っておけばよかった! 部活動とかやっとけばよかった! 彼女とか欲しかった! なのに、なのにぃぃぃ……。やめよう、中学時代を思い出すと、何故だかわからないけれど、天気が良い日でも、急に目の前に雨が降りだしてしまうから……。

 俺は異世界に行くという妄想を、クシャクシャにして丸めて部屋のゴミ箱に投げ捨てた。

 ふとした時に、名残惜しそうにゴミ箱を見てしまう事があるけれど、きっとその中にはたいしたものは詰まっちゃいない。

 大人になるってことは、ゴミ箱に不要な物を捨てられる人だ。見なくなったエロファイルなんかもスッパリと捨てられる人のことだ。なんて事を、カッコつけて心の中で呟いたりした。

 俺のゴミ箱の中身は、昔は宝箱のようにキラキラしていたはずだったのになぁ……。


 ともあれ、そんなこんなで高校生になった俺は、今までの鬱憤を晴らすべく、高校生活を思いっきりエンジョイしてやろうと決めたのだ!

 入学した時は、それはもう物凄くテンションが上がっていた。

 だって、新しい制服、新しい通学路、新しい教科書、新しいクラスメイト。これだけの新しいが揃えば、異世界は無理でも、なにかしら新しい物語がスタートするんじゃないかって期待してしまうのは当然だろ?

 問題は、新しい物語がスタートした場合、俺がどの役になるかってことだ?


 勿論、狙うは主役だ。


 どんな物語がいいか?


 望むは、可愛い女の子とのラブロマンス。


 だが、俺のこのプランはスタート地点から既に無理があった。

 おいおい、始まったばかりで諦めてんじゃないよ! 等の叱咤激励ををいただけるかもしれないけれど、鶏がどれだけ努力しても空を飛べないように、どう足掻いても無理なことってのはあるものなのだ。

 はてさて、その理由とは‥…。

 さぁーて、お立ち会い! 今俺がいるクラスの中をよく見渡してみておくんなさい!

 俺の前の席にいるのは男、俺の横の席にいるは男、俺の後ろの席にいるのは男。担任の先生は男。っていうか、クラス全員が男!!


 はい、もうわかってもらったことだろう……。

 俺の通う高校『私立三条さんじょう学園』は男子校なのだ。


 知ってるか? 男子校ではな、ラブロマンスってジャンルのドラマは始まらないんだぜ? いや、ごくまれに始まるかもしれなけど、その場合、相手は『可愛い女の子』ではなく『可愛い男の子』ってことになってしまう。いや『可愛い男の子』ならまだましな方だ! 『ガチムチマッチョな兄貴』になってしまったら、もう目も当てられない!!

 さて、それでは何故俺が、この男子校に来てしまったのか? それは……ただ単に第一志望であった共学の高校に落ちてしまったからなのだ……。

 くそぉ! 受かると思ってたんだよ! 根拠はなんもないけど、受かるはずだと思い込んでたんだよ! 世の中全く甘くない、根拠の無い自信なんて無意味どころか大迷惑。まぁ、それを十五歳の時に学ぶことが出来たのだから、良しとするべきなんだろうか……。


 覆水盆に返らず、フリーターお盆に実家に帰らず、と言うように、過ぎたことは戻らない。

 だから、俺はこの男子校での生活を楽しむことにしたのだ。

 まぁ、元から女子と喋るのが得意ではなかったし……。彼女が出来なくても『だって、男子校だから仕方ないよね』なんて言い訳ができる。


 こうして気がついたら、あっという間に一年が過ぎ、俺はもう高校二年生になっていた。

 あ、勿論彼女いないっすよ! はい、それどころか女友達すらいないっす! ああ、男友達はなんとかいますけど……。

 平々凡々、十人並み、凡庸、そんな言葉が似合うような高校生活を俺は過ごしていた。

 いつか、物語がスタートするのを、心の中でまだ諦めないままに……。



 ※※※


「なぁ、ジャンプ貸してくれよ?」


 お昼休み、俺は後ろの席から声をかけて来た大男の声に振り返った。

 そいつの名前は、向日斑文鷹むこうぶちふみたか。身長百九十センチはあろかという巨体の持ち主だ。外見は、ゴリラが人間のコスプレをしてるような感じだ。間違っても、人間がゴリラのコスプレをしている感じではない。うむ、進化の系譜を確実に間違えてしまったかのような存在、それがゴリラ……もとい向日斑文鷹なのだ!

 ああ、ゴリラ、ゴリラとけなしているように見えますけど、こいつ凄い良い奴なんですよ。何が良い奴って、俺と友達になってくれてるんですよ! さらに、中学が違うので俺の中学時代の黒歴史を知らないでいてくれる。本当にこれはありがたい……。俺は中学時代の同級生とは、絶対に友達になれない自信がある! これは根拠のある自信だ! さらに、俺がジャ◯プを貸す代わりに、こいつはチャ◯ピオンを貸してくれるんです。こいつのお陰で、俺は刃牙道を毎週読むことが出来るんです。これほどありがたいことはない。

 そういえば、こいつと仲良くなったきっかけも、漫画だったような気がする……。



 少し回想をしてみよう。

 高校一年生だった頃の俺は、クラスの中で孤立していた。

 うーん、孤立って言葉はなんだか大げさだな、別にいじめられていたわけでもなく、ただ単に友達が一人もいなかっただけだからな。

 まぁ、部活動もやっていないし、俺の黒歴史を知る同じ中学の奴らとは自分から交友を持たないようにしていたしで、友達を作るきっかけってものが圧倒的に不足していたのだから仕方ない。

 そんなこんなで、友達皆無のまま高校二年生になったわけだが、二年生になったからといって、何処からともなく友達ができるわけでもなかった。

 だから、俺はお昼休みなどの時間は、一人寂しく本を読んで時間を潰していた。そこに現れたのが、俺の後ろの席の主であるゴリラこと、向日斑だ。

 ゴリラは、俺が読んでいる漫画を後ろの席から、鼻息を荒くして興奮しながらじーっと見つめ続けていたのだ。


「おい! そこのページまだめくるなよ! 俺まだ読んでないから!」


 これが、俺とゴリラとのファーストコンタクトだった。

 どうやらゴリラは、俺の読んでいた漫画が甚く気に入ったようで、もし良かったら貸してくれないかと声をかけてきた。

 俺は迷った。

 みんな、もしゴリラから物を貸してくれと頼まれたらどうする?

 貸す貸さないの前に、震え上がって逃げ出してしまうだろ?

 実際、向日斑の外見は一見強面風だし、そのゴリラ顔負けの肉体美と野性味は、そこらをブイブイいわせているヤンキー連中など軽く一掃してしまうほどの迫力を醸し出しているのだ。どちらかと言えば、肉体派でなく頭脳派の俺がビビってしまうのは仕方のないことだろう。

 かと言って断ったらそれはそれで怖い、ウホウホ言ってドラミングしてきたらどうしよう……。ここには動物園の飼育員のおじさんは居ないし……。

 そう悩んでいた時だ。


「よぉし、わかった! 俺は俺のお勧め漫画を持ってくるよ! そんで交換し合うってのはどうだ? な?」


 それはゴリラとは思えないほど建設的な提案だった。


「お、おう」


 俺は素直にゴリラの提案を飲んだ。

 否定する理由なんてなにもなかったし、このゴリラのような男がどんな漫画を薦めてくるのか興味があったからだ。

 けれど、本当のところの理由は別にあった。

 その時の、ゴリラ、いや向日斑の表情が、まるで小学生のように屈託の無い強烈な笑顔だったからだ。こんな顔をして笑う奴が、悪いやつであるはずがない。悪いゴリラではない、良いゴリラだ。そう思えたからだ。


 こうして、それから毎日のように、俺と向日斑はお勧めの漫画を交換し合った。そして気がつけば、友達になっていたのだ。

 うん、日本が誇る漫画文化って素晴らしい!

 回想終わり、んでもって、お昼休みに戻る。



「ああ、ジャン◯な。ちょい待ち」

 

 俺は机の中をまさぐった。教科書やプリントがごちゃ混ぜになって机の中に突っ込まれていた。その中に今週のジャンプを入っているはずだった。


「お、あったあった」


 机の奥に押し込まれていたために、端のほうがグシャグシャになってしまっているジャ◯プを向日斑に渡すと、俺は椅子から立ち上がった。


「ん? どっか行くのか?」


 ジャ◯プを開きながら向日斑が尋ねた。


「購買でジュース買ってくるわ」


「お! なら俺のぶんも頼むわ。俺、メロンソーダ。でっかいやつ!」


「わかったよ。んじゃ、金な?」


 俺は手を出して向日斑にジュース代を請求した。

 それに対して、向日斑はいつものように子供のような笑みを浮かべると。


「ん? 金? ゴリラはお金なんて持ってないからなぁ、ガッハッハッハ!」


 向日斑は腹の奥底から轟音のような笑い声を上げた。

 こいつは自分がゴリラ呼ばわりされていることを自覚している。自覚した上で何一つ気にしてなどいないのだ。器が大きい男というのはこう云う奴の事を言うのだろうか? それともゴリラを褒め言葉だとでも思っているんだろうか? 確かにゴリラは森の紳士と呼ばれる存在だしなぁ……。

 

「仕方ないな……。今度返せよ?」


「おう。ありがとな」


 向日斑は俺の手を叩く。アイツからしてみれば軽く叩いた位なのだろうが、パシーンと小気味良い音がして、俺の手のひらはジンジンと痺れた。

 実は、こういうフランクな感じのやり取りに、俺は憧れを持っていた。出来れば、中学時代もこんな会話を当たり前のように、友達同士で交わしたかったものだ。けれど、無常にも時間は巻き戻ってなんかはくれないのだ。

 俺は教室を出ると、階段を降りて一階にある購買コーナーへと向かった。


「やっぱ混んでるなぁ……」


 時間はお昼休み。食い物、飲み物に飢えた男子高校生の群れが、まるでうねる荒波へと変化してごった返していた。その只中は男子校特有の酸っぱい臭いが辺りに充満していて、俺は思わず鼻と口を手で抑えてしまう。まぁ、この酸っぱい臭いの一端を俺も担っているわけなんですけどね……。

 これが共学だったら、ここまで阿鼻叫喚の地獄絵図にはならなかっただろう。それどころか、女の子のオッパイに偶然手が当たったりとかして……。うーむ、犯罪者として連行されていく未来しか見えねえ……。『キャーエッチー』なんて、可愛い声など出してもらえずに『この人痴漢です』と冷めた目で言われる姿しか浮かばねぇ……。ふぁっく!

 兎も角、男の荒波をかき分けながら、やっとのことで自販機の前に辿り着いたのは良いが、なんと向日斑ご指定のメロンソーダには売り切れのマークが点灯しているではないか。おいおい、ゴリラの水分補給を妨げるとか、動物愛護協会に訴えられますよ?

 兎に角、売り切れているのだから仕方ない。向日斑には悪いが無いものはどうしようもないのだ。諦めて何か適当に他のジュースでご勘弁願おう。そう思った時、ふとあの場所を思い出した。


『そうだ、あそこなら……』


 俺が向かう先は、こことは正反対にある一階の長い渡り廊下の先。

 ここには一個だけだが自動販売機が設置されているのだ。けれど、男子校の生徒は誰もここを使わない。それは、ある意味ここ意味聖域だからなのだ。

 なぜそこが聖域と呼ばれるのか? それを説明するためのは、この私立三条学園のことを語らなければならない。


 この私立三条学園の生徒は三つのコースに分けられている。


 

 まずは、普通コース。

 普通科と名付けられているが、こいつはあ基本就職か専門学校に行く奴らが通うコースだ。まぁ大学に行く奴も居ないわけではいだろうけれど、ほんの一握りといったところだろう。そのせいか、学業に励む奴は少なく、部活に汗を流したり、不良人生を満喫する奴らが多く居たりする。


 

 そして、次が俺と向日斑のいる進学コース。

 これは、良い悪いはともかく、とりあえず大学には進学したいという生徒が集められたコースだ。

 とりあえずという言葉が示すように、有名私大や、国立大学を目指す奴らはほとんどいない。しかし、向日斑がこの進学コースにいるってのが不思議でならない。あいつはどう見ても普通コースだと思っていたのに……。まぁ実は俺より向日斑のが頭良かったりするんだけどな……。


 そして、最後の一つ。

 これがこの私立三条学園で、特別視されているコース。

 特別進学コースだ。

 ここは有名私大や、国立大学に行くものだけが集められた、いわゆるエリートコースというやつだ。

 どんだけエリートかといえば、普通、進学コースは各十クラスずつあるのに、この特別進学科は一クラスしか無い、そう選び抜かれたエリートだけの集団というわけだ。

 そしてこのエリート集団にはある特権が存在している。


「あぁ〜俺も頭良かったら、特別進学コースで、女と仲良くやれたのによぉ……」


 そんなボヤキが教室の中で聞こえない日はない。


 そう、特別進学コースだけが、何故か共学なのだ。

 これこそ共学だけに驚愕の事実なんてな!!

 えーっと、ここは笑うところですよー? 遠慮しないで笑っていいですよぉ?


 こ、こほん。しかし、男子校なのにこの女子はどこからやってきのか? それはこの私立三条学園がある特殊な作りをしているからだ。


 普通に説明するのもあれなので、朝の登校風景から説明しよう。


 朝、校門前までの通学路には、多数の男女が混合で自転車なり徒歩なりで向かってくる。

 おっと、これは共学の高校ならばごく当たり前の朝の風景。けれど、うちは男子校。どういうことなのか?


 校門の近くまで来ると、モーゼが割った海のように男と女は二つに綺麗に分かれるのだ。

 そう、男は男の校門に、女は女の校門に。

 人間には肛門が一つしか無いが、この私立三条学園には校門が二つ存在しているのだ。

 一つは男子校の私立三条学園のとしての校門。

 もう一つは、女子校の私立三条女学園の校門。



 この私立三条学園は、元々は共学の高校だった。なのに、数年前から施設はそのままで男子校と女子校にわかれたのだ。ゆえに、この校舎は中庭を挟むようにして、男子校と女子校に分けられている。グラウンドは中央にフェンスが張らてており、男子と女子を分けている。

 学食などは、厨房はつながっているというのに、飯を食べるところは中央に大きな壁が設けれており、それがまるでベルリンの壁のように、男子と女子を隔離しているのだ。

 声は聞こえても、姿は見えず。

 それが、この私立三条学園の学食なのだった。


 そして、その男子校、女子校に挟まれた真ん中に位置する教室。そこに特別進学コースの教室はあるのだ。

 そこには男子校、女子校の成績優秀者が各二十人ずつ集められるのである。

 そういえば、特別進学コースの奴ら専用の食堂が別にあるって聞いたことがある。ふっ、どうせエリートさん達は、フォアグラとかキャビアとか食ってんだろ? いや、知らんけどな。


 話を元に戻そう。

 俺が向かおうとしている自動販売機は、その特別進学コースの教室に繋がる渡り廊下にあるのだ。

 この渡り廊下をわたって、特別進学コースの教室に行く事は、校則で禁じられていることではない。しかし、暗黙の了解の決め事であるかのように誰もそこに行くものはいなかった。

 誰しも、エリートに対して劣等感を持ってしまっているのかもしれない。


 しかし、俺はあえてその暗黙のルールを破ろうとしている。

 そう、ゴリラにメロンソーダを届けるために!

 やっべぇ友情に燃える俺カッコイイ、走れメロスみたいだ。走れメロンソーダだ。

 勿論、俺は友情になど燃えてはいなかった。俺の中で燃えていたのは、中学時代に異世界勇者に憧れた中二心だったのだ。

 皆が踏み入れない地に、俺が一人で足を踏み込んでいく……。かっけぇ……俺ってば魔王の城に単独で向かう勇者みたいだ……。

 あ、単独なのは仲間が一人もいないからです。ああ、これならゴリラを連れてくればよかった。あいつ確実にSTRカンストしてるわ。会心の一撃をバンバン出しれくれそう。

 こうして、俺は一人で魔王城ならぬ、特別進学科コースのフィールドへと足を踏み込もうとして……足を止めた。


 それは、俺の視線の先に一人少女が……まるで妖精フェアリーのような少女が立っていたからだ。

 

 えっと……ここは学校の中だよな? 俺はいきなり異世界へと飛ばされたりとかしてないよな? してると嬉しいけど。あと、今夢の中だったりしないよな? 俺は頬をつねって確認してみたが、頬はしっかりと痛かった。

 ならば、この光景は現実世界だってことになる。

 とすると、あそこで虚空を虚ろな目で見つめながら、なにか天に祈りのようなものを捧げている少女は妖精フェアリーではなく、実在の特別進学コースの生徒ってことになるわけだ。

 俺の眼の前にいる少女は美しく艶のある黒髪をしていた。漆黒と呼ぶのが相応しいと俺は思った。少女の髪は肩より少し長いくらいで、くせっ毛なのだろうか、毛先が少しハネているように見えた。それが風に揺られては、まるでダンスを踊っているかのように軽やかな動きを見せていた。そして、髪の黒と対照的に、まるで透き通るような白い肌が、まるで穢れを知らない新雪のようで、純真無垢な存在であると俺は思わずに居られなかった。さらに幼さの残る少し赤みのさした頬、そして心の奥底を何でも見透かしてしまいそうな大きな瞳。それら全てが、俺に現実感を忘れさせて、ファンタジーの世界へと迷いこんでしまったのではないかと、勘違いさせるのだ。

 ただ、少女はうちの学校の制服を着ている。それだけが、彼女が現実の存在であると、俺に知らしめていた。

 少女は何かに祈るようにして、両の手を胸の前で組んでいた。口元が小さく動いているのがわかる。何かを呟いているのだろうか……。この距離でその言葉が何であるのかを知ることは不可能だった。

 俺は完全に、その妖精のような彼女に見入ってしまっていた。まるで、麻薬にやられてしまったように呆けた顔で、その場に立ち尽くしてしまっている。

 もし、今ここに第三者、しかも女子が現れたならば明らかに俺を不審人物として通報することうけあいな顔をしていたことだろう。

 けれど、そんなことお構いなしに、俺は彼女の見つめ続けた。そうしなければいけないように思えた。俺の視線は、まるで彼女に吸い込まれていくかのように、その一点に注がれて瞬き一つしないでいた。


 どれだけの時間が立ったことだろうか。

 時間という概念を俺は完全に失念してしまっていたので、さっぱりわからない。

 

 彼女の動きに変化があった。

 まるで、見られていることに気がつたかのように、俺の方を……って、俺気が付かれてる!?

 

 そりゃそうだ、あれだけの時間直視されていて気が付かないほうがおかしい。


『ああ、通報だ。お巡りだ。ポリス沙汰だ。手錠だ』


 俺の頭の中では、既に裁判の壇上に被告人として立たされて判決を待つ姿が浮かんでしまっていた。ああ神様どうか罪を軽くしてくださいまし。

 

 俺は慌てた。そりゃもう完全に慌てふためいた。慌てふためくのふためくってなんなんだろうな? って意味不明なことを考えたりもした。って、俺完全に頭混乱してるよ。だから、俺は自分自身を落ち着かせるためにこんな言葉を繰り返した。


「大丈夫! 大丈夫だから! きっと、大丈夫だから!!」

 

 自分が大丈夫であると、自分自身に言い聞かせたのだ。だが、どこからどうみても、俺は今大丈夫な状態ではない。今なら九九を間違える自信がある!

 兎に角、騒がれないようにこの場から一目散に退散せねばならない。

 っていやまてまて、俺ってそんな悪事したっけ? ただ、可愛い女の子をずっと見つめてただけだよね? ――うーん、悪いことだなそれきっと。俺がイケメンであったならば、もしや喜ばれることになったかもしれないが、残念ながら俺はイケメンではないと胸を張って言えてしまう。ってことは、悪い事しちゃってますね……。

 よし、もうこの場からすぐさま走り出して、霞のように消え去ってしまうのが大正解に違いない。俺はバランスを崩してつんのめりそうになる足を強引に蹴りだしては、踵を返して元きた道へと駈け出した。

 背中越しに、女生徒が何かを俺に言いかけているのがわかったが、その言葉を耳にしないようにしてその場を急ぎ足で退散した。

 何故ならば、その言葉の内容はきっと、耳に入れたくないような、罵詈雑言に違いないと推測したからだ……。


「ハァハァ……」

 

 俺は全力疾走で自分の教室まで戻ってきた。口の中から内蔵が飛び出してきそうだった。

 もし、さっきタイムを測っていれば日本新記録がでたかもしれない。

 

「お? なんだなんだ、そんなに息を切らせて、そこまで急いで俺にメロンソーダを届けに来てくれたのか?」

 

 教室に戻ると、ゴリラがウホウホ言いながら俺を出迎えてくれた。

 俺は前屈みになりながら、大きく深呼吸を数度繰り返して息を整えた。

 そして呼吸が安定すると、向日斑に向かってこう言った。


「あ、メロンソーダ忘れたわ」


 向日斑は胸をドンドンと叩きながらドラミングをして俺を威嚇してみせるのだった。




 ※※※


 午後の授業も終わり、放課後になっていた。

 クラスのみんなは、部活に向かったり、家路を急いだり、寄り道の相談をしたりで、ザワザワという効果音が似合う様相を呈していた。

 俺はあの昼休みから今まで、ずーっとあの妖精フェアリーの顔が頭の中にチラついて離れなかった。

 もう一度、あの渡り廊下に行けば会えるかもしれない……。

 そんな思いに気を取られたりもしたが、もう冒険は懲り懲りだった。

 俺は勇者でもなければ、異世界に行くことも出来ないただの高校二年生だ。きっと、あの渡り廊下に行ってあの子にあったとしても『キャー、あの変な人よー! 誰か通報してー!』なんて言われるのが関の山に決まっている。

 だから、俺はもうあの妖精フェアリーの事は忘れて、このゴリラとくだらない会話でもしながら帰宅するのがいいのだ。


「なぁ向日斑帰ろうぜ」


 と俺は向日斑に声をかける。

 何時もならば『おう!』と威勢の良い返事が返ってくるはずなのに、今日は少し違っていた。


「ああ、今日はちょっと用事があるから、お前先に帰っててくれないか?」

 

「あ、わかった。んじゃ明日な」


 俺は少し意外そうな顔しながらも、用事に対して追及することもなく、別れの挨拶を交わして教室を後にした。

 向日斑の用事が何なのか気にならないといえば嘘になるが、もし立場が逆だとしたら、一々気にされていては鬱陶しいに違いない。人が嫌がると思うことをやらないってのは、人付き合いにおいてとても大事なことだと俺は思っている。


 俺は自転車置き場に自転車を取りに行き、それにまたがると校門から出て颯爽と学園を後にし……ようとしたところで、後ろからの不意の声に呼び止められた。


「待って! ちょっと待ってくださぁ〜い!」


 それは振り返らなくても、女性の声だということは分かった。

 だが自慢じゃないが、この俺が下校時に女性に声をかけられるはずがない。それは悲しいかな断言できてしまう。だから、きっと俺のすぐ横にモテモテイケメン野郎でもいて、そいつに言っているんだろうと思い、俺はそのまま自転車のペダルを漕ぎだした。

 なのに、俺の自転車は前に進まないではないか!?

 俺の自転車が進まないわけはすぐに分かった。俺の自転車のリアキャリアを誰かが掴んでいるのだ。それも物凄い力で!

 こんなことが出来るのは、俺の知る限り向日斑くらいしかいない。

 あの野郎、用事があるとか言いながら、こんなイタズラをしやがって……。

 俺は自転車を降りて、その場で振り返った。

 そこに立っていたのは紛うことなきゴリラ……とはるで、正反対の人物だった。

 

 そこには、あの渡り廊下の妖精フェアリーが立っていたのだ……。


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