*3.見知らぬ男と鈴の音
「はぁ……」
私はブランコに座り、ゆらゆら揺られていた。
ここは、家と学校のちょうど間にある小さな公園。
周辺は薄暗く、照明があるのは公園の入り口とトイレ、道路の電灯ぐらいだ。
ブランコ近くの道路脇にあるでっかい豆電球みたいな電灯は、寿命なのか不規則にチカチカと光っているが、電灯の役割をあまり成していなかった。
時間は夜の10時と、辺りは真っ暗だ。外で遊んでいる子供はいるはずもなく、この公園にいるのは私だけだ。
ひゅーっと少しだけ強い風が吹く。ぶるっと体が震えた。
4月の中旬といっても、制服だけじゃまだまだ肌寒い。私はボストンバックからパーカーを出して羽織った。
感じていなかったが、どうやら体は相当冷えていたらしい。パーカーが温かく感じた。
ふと空を見上げると、小さな星たちがみえた。このあたりは暗いのでよく星が見えるのだ。
星を見ていたら、急に寂しい気持ちが込みあげてきた。
──1限が終わった後、私は教室に戻った。
教室に顔見せると早々にミサには説教され、クラスメートにはまた先生のところに行ってきたのかと笑われた。私の説教が終わったミサに、悠真くんはまたちょっかいをかけて、ミサの説教が再び開始……クラス中に笑いが溢れていた。
いつも通りの一日。それがとても楽しかった。
だけど、私の中にはずっと引っかかっていることがあった。
昨日の夜、母の口から出た言葉が忘れられなかった。
「──……っ」
嫌な言葉が頭をよぎろうとしたとき、なにやら軽い音が私の方へ近づいてくるのに気づいた。これは──鈴の音だろうか?
急に鈴の音が止まったのを不思議に思い、人の気配がするほうへ顔を向けると、そこにはコンビニの袋を持った見知らぬ男がいた。
周辺は暗いのでよく顔は見えないが、背は高く、年は30過ぎぐらいだろうか。
「こんなところで、なにしてんだ?」
ちょうど荒んでいたということもあるが、男の偉そうな口調に妙にイラっとした。
「……」
そっぽを向いて何も答えない私に、男は同じ質問を重ねてきた。
「聞いてるのか?お前、なにしてんだよ」
(……っ)
傲慢な態度に苛立ちが募る。
「……ブランコに座ってるだけですよ、放っておいてください」
いつもならこんな言い方はしない。
ちょっと突っかかった言葉をかけられたので、自分も強い口調で返してしまった。
相手にしなければよかったと思ったがそれは一歩遅く、男も負けずと言い返してくる。
「放っておけるわけないだろ?お前、高校生?こんな時間に1人でこんな静かな公園にいたら、襲ってくださいっていってるもんだろう」
その言葉に一言返せばいいだけだ。
「すみませんでした。いますぐ家に帰ります」と、言えば済むことだ。何も惑うことはない。
そう頭では分かっていたのに、卑屈な言葉は止まらなかった。
「別に……私が襲われても、貴方に関係ないじゃないですか」
その言葉に、男は私に怪訝な目を向ける。
「お前家出か?親と喧嘩でもしたのか?」
「……っ」
黙った私をみて、男はそれを肯定と受け取ったのだろう。
「そうかそうか。いいか?──家に帰れ、な?」
今日何度も何度も聞いた言葉。
私の為を思ってくれていることはわかっている。
この男もそうだ。偉そうな口調なのに、語尾で若干の優しさが含まれているのが分かってしまった。
「……」
「聞いてんのか?」
──何もしてくれなくていい、ただ放ってほしいだけなのに……。
私はブランコから立ち、公園から出ようと入り口に向かう。
「お前どこ行くんだよ」
男は公園から出ようとした私を止める。
ちょうど私が立った場所には電灯があり、その電灯が私を照らす。私は振り返って、満面の笑みで答えた。
「家に帰ります。ご迷惑おかけしました」
男は、振りかえった私を見て目を大きく開いた。
「……が、なんで──」
なにかを呟いたみたいだが、私には耳にまでは届かなかった。男がいるところは暗くて表情は見えないが、なにか驚いているようだ。
何をそんなに驚いているのか、私にはわからなかったが、空気は一変。男の周りのオーラが怒りに変わって……男はずかずかと足音がしそうなほど大股で、私の方へと寄ってきた。
(ばれた……?)
冷たい汗が背中を伝う。
家に帰るなんて嘘だった。このまま違う公園にもでも行こうと思っていた。
高校生では、ホテルやマンガ喫茶に泊まることはできない。
逃げようと足を前に踏み出そうとするが、腕を男に掴まれてしまう。
「嘘だな」
その言葉に反応し、体がギクッと不自然に動く。
(何で分かったの……)
私はとてつもなく面倒くさい人につかまってしまったと思った。
このままではもしかしたら警察に連れていくとか言いだして、もっと面倒くさい方向へ行きかねない。
どうにかこうにかしてこの状況を脱しなければ。
頭の中で何かいい案がないかと考えを巡らせたとき、一つ方法を思いついた。
もういっそこの男の口からいってもらおうか、無理だと。この方法はあまり好きではないが、しょうがない。
私は男の方へ向き直って言った。
「じゃあ貴方の家に泊めてくれますか?」
男は私の言ったことにとても驚いたようで、腕を慌てて離す。
目には動揺の色が見えた。
「はぁっ?何言ってんの?あのね、そういう面倒なのに巻き込まれるのは俺なの!インコー罪とか言われちゃったりするの!わかる?」
案の定、この反応だ。想像していた反応を返されて、うんざりとした。
「何もしなきゃ、そういうことにならないです」
「わかんないやつだな。そういうことがなくても男女が一緒にいれば、エンコーとか思われるんだぞ!俺だけじゃなくて、お前にも不利だろ」
その言葉を聞いて、あぁやっぱり……と私の中で小さな諦めがついた。
「はいはい。泊める気がないなら、引き留めないでください」
中途半端に構われるのが一番嫌いだ。
期待させておいて、無理だと突き放すんだ。
渇いた笑いがこみあげてくる。
(これでいいんだ……)
私は踵を返そうとする。
これで男は私を放っておいてくれる──そう思っていたのに。
「あーもう、面倒。すっごくお前面倒だな」
男はイライラしているのを隠さず、言葉を乱暴に吐き出した。その言葉に私はぼそっと呟き返す。
「貴方の方がずっと面倒です」
聞こえていたのか否か。
男はうーっと唸って、何かを決心したかのように私の腕をもう一度つかんだ。
「わかったわかった、一晩だけなら泊めてやるよ。狭い部屋だけどいいか」
「えっ?…あぁ、はい」
予想外の言葉に、私はうっかり「はい」と答えてしまった。
本当に泊めてもらう気はなかったのだ。泊めてなどと言えば無理だと言うのが分かっていて、あえて言ったのだが……。
男はいろいろと吹っ切れたのかどんどん話を進めてくる。
「お前、とりあえず家には連絡入れろよな。家出とか言うんじゃないぞ!友達の家に泊まるとか言っておけよ」
「は、はい……」
どうやらお断りするのにはもう手遅れのようだ。
「あ、そういえばお前、名前は?」
「えっと……」
まだ若干状況を飲み込めずあたふたしていると、男は大きな溜め息をついた。
「おい。泊めてほしいけど、名前は名乗りたくないのかよー」
男は我が儘だなと苦笑した。
名乗りたくないわけじゃなかった。こういう展開は初めてなので頭の中が混乱していて、上手く言葉を紡げなかっただけなのだが……それを男は勝手に解釈し話を続けた。
「いいたくないならいいさ。本名じゃなくてもいい。偽名っていうの?うーん、そう!愛称とかでもいいからさ」
みんなにはだいたい風原さん、涼音、涼音ちゃんって呼ばれているから愛称らしい愛称はなかった。
何かないだろうかと思案していると、
”リョウちゃん”
ふと誰かがそう言っていた小さい頃の愛称を思い出す。
「……リョウ」
「リョウ、ね。わかった。うーんじゃあ俺はコウ、な」
「コウさん……」
そう呼ぶと、コウという男は楽しそうに頷いた。
「おうよ!とりあえず、今日は俺の家に来い」
「あ、はい……」
戸惑っている私を見てコウさんは、にやっと悪い笑みを浮かべた。
「ま、俺は襲ったりしねぇから安心しな。俺はガキには興味ないの。年上好み~」
そんな男の茶化した言葉を聞いて、私の気持ちは自然と落ち着いてきた。それにいつもの調子も戻ってきたようだ。
私はコウさんの言葉に「へぇー」と、おっさんには興味ないと流した。
そっけない私を見たコウさんは、視線を逸らしてぼそっと呟く。
「かわいくねぇーの」
「……」
(人に言われなくても分かってるってばっ)
さりげなく流せばよかったのだが、自覚が合っただけに黙り込んでしまった。
コウさんはふーんとわざとらしく言い、私の顔を覗き込んできた。
「そんなに落ち込むなよ?」
「落ち込んでない、です」
「……くくっ」
淡々とした口調で返した私に、コウさんは笑いを堪えてたが耐えられなくなったらしく、大声で笑いだした。
夜遅いから静かにしてくださいと言うと、コウさんはすまんすまんと言いながらも悪びれずに口笛を吹きだした。
どうやらこの男は私を揶揄って遊んでいるらしい。
「蛇が出ても知りませんからね」
「そんなもん迷信だ、迷信」
「本当だったらどうするんですか」
「うーん。今でたら、リョウも巻き添えだな」
「だったらやめてください」
「なに、お前怖いのー?」
「怖くないですよ」
「へぇー、そうなんだ?」
「へぇーってなんですか、へぇーって」
淡々とした言い合いだったが、言い合っていたらだんだん楽しくなってきて……。
「ふっ……なんかおもしれーの」
「っ…そうですね」
いつの間にかお互い笑いあっていた。
言い合いが一息ついたところで、私は肝心なことを言ってないことに気付いた。
今更かもしれないと思ったが言葉にした。
「あの……ありがとうございます」
「うーん?あぁ……別に」
コウさんは一瞬何について言われたのか分からなかったみたいで首をかしげたが、泊めてくれることのお礼だとわかったらしく、照れくさそうに視線を逸らした。
それがなんだかおかしくて笑うと、コウさんは気まずそうに俯いた。
からんからん。
ふと鈴の音が私の中に入り込んでくる。
コウさんの歩くのに合わせて、鈴は音を鳴らしていた。
どうやら鈴の音はコウさんの尻ポケットに入ってる携帯についている鈴のキーホルダーのようだ。
鈴の音は、とても心地よくて。
──その音はどこまでも優しく夜の中を響かせていった。