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第二話:密室の政変、突破口は指先


王城の空気は、昨日までとは一変していた。

廊下を流れるのは、張り詰めた沈黙と、冷え切った石造りの壁から染み出す湿った苔の匂い。そして、その静寂を切り裂くように、重厚な絨毯を乱暴に踏みつける足音が響く。


「……どけ! その女をそこへ通せ!」


キリアン王の鋭い声が、大評議室の前にたむろする近衛兵たちを震わせた。

中心に立つのは、昨晩、食糧庫の鍵を鮮やかに「処女おとめの溜息」のごとき音と共に開けてみせた私、エルナ・クローウェルである。


私の鼻腔を打つのは、緊張した男たちの脂汗の臭いと、この場所特有の――古びた羊皮紙が放つ、埃っぽくも甘い、死んだ知恵の香り。だが、私の全神経はその背後にある、巨大な「黒鉄くろがねの双扉」へと吸い寄せられていた。


「状況を説明してください、陛下。()()()は、ひどく怯えていますわ」


私は扉の表面に、そっと指を這わせた。

冷たい。

氷のように硬質で、無慈悲な拒絶。

この扉の向こうでは、国の予算と法を司る大臣たちが、内側から施錠されたまま閉じ込められている。単なる故障ではない。先王が遺した「防犯用自動閉鎖機構デッドロック」が、何者かの手によって外部から細工され、暴発したのだ。


「中には筆頭公爵を含む閣僚が全員揃っている。換気口も閉じられた。このままでは一時間と持たず、彼らは酸欠で……いや、あるいは内部に仕掛けられた毒ガスが発動する」


キリアンの横顔は、刃物のように鋭く、そして痛ましいほどに強張っていた。

彼は、私が昨日解錠に使った「鋼鉄の爪」――ピックのセットを凝視している。


「おい、エルナ嬢。お前のその、油臭い指先でなんとかならんのか。大臣たちは貴様の身分など認めんと言っているが、背に腹は代えられん」


背後から、保守派の残党である老貴族が野次を飛ばす。彼のまとう高価な麝香じゃこうの香りが、繊細な作業を要する私の集中力を削ごうとする。


私は振り返らず、ただ扉に耳を押し当てた。

……聴こえる。

重厚な鋼鉄の奥底で、心臓のように刻まれる「カチッ、カチッ」という微細な脱進機の音。

これは単なる鍵ではない。ぜんまい仕掛けの「時限爆弾」だ。


「……お静かに。鍵穴が泣いていますわ。こんな、無理やり異物を突っ込まれて、内部のピンが歪んで……ああ、なんて可哀想な。誰ですの? こんな野蛮な真似をしたのは」


私は震える手で、ガーターベルトから一番細い「ダイヤモンド・ピック」を抜き取った。

指先に伝わるのは、自分の心臓の鼓動。それを、鋼鉄の振動と同期させる。


「エルナ嬢、何をしている? 早く開けろ!」


「……大臣様。鍵というものは、急かされれば急かされるほど、その口を固く閉ざすものですのよ。人間と同じですわ。……陛下、少しだけ、私の指を温めていただけますかしら?」


「何……?」


「鉄が冷えすぎています。私の感覚が、この子の『痛み』を正確に拾えませんの」


キリアンは一瞬目を見開いたが、迷うことなく私の右手をその大きな両手で包み込んだ。

熱い。

彼の掌は、剣を振るう者の硬いタコがあり、それでいて驚くほど熱を帯びていた。その熱が、私の指先の毛細血管を拡張させ、感覚を極限まで鋭敏に変えていく。


(……今よ)


私はキリアンの手を振り払い、鍵穴という名の「深淵」へ、鋼鉄の針を滑り込ませた。


指先に伝わる感触。

第一レバー、重い。第二レバー、スプリングが折れかかっている。

誰かが外側から細い針金を突っ込み、無理やり回そうとした痕跡だ。そのせいで、内部のシリンダーが「噛み込んで」いる。


「……いい子ね。痛かったわね。今、そのトゲを抜いてあげるから」


私はピックを微細に振動させた。

――脳が、鍵の内部構造という名の報酬を求めて、音と感触から三次元の地図を構築していく。

鉄と真鍮が擦れ合う、ザラリとした感触。

それが、油の膜によって滑らかに変わる瞬間を待つ。


(……そこね!)


『チッ』。

金属が金属を許容する、小さく、高い音。

歪んだピンが、私の導きによって元の位置へと、パズルのピースが嵌まるように戻っていった。


「……嘘だろ。あの重厚な『永劫の沈黙』を、音だけで……?」


周囲の兵士たちが息を呑む。

だが、まだ終わらない。

最後の関門――毒ガス散布装置と連動した、反転式のダブル・ボルト。

これを間違った方向に回せば、部屋は一瞬にして死の檻と化す。


私は、扉の木目に目を凝らした。

先王の癖。彼は、自分が作った「最高傑作」には、必ず、解くためのヒント(慈悲)を隠す。

真鍮の装飾。龍の目の部分に、微かな、本当に微かな「擦り傷」があった。


(右に三回、左に一回。……いいえ、最後は『半回転』戻すのね)


私は、己の指先が千切れるほどの精密さで、テンションをコントロールした。

指の腹に食い込む金属の感触。

爪の間に染み込む、黒い機械油。

淑女としては最悪の姿。だが、今、私は世界で一番、この鋼鉄の心臓に近い場所にいる。


――カシャリ。


それは、重い鎖が解け落ちるような、官能的な響きだった。


扉が、ゆっくりと、しかし確実な意志を持って内側へ開いていく。

中から溢れ出したのは、澱んだ空気と、恐怖で腰を抜かした大臣たちの、滑稽なまでの安堵の吐息だった。


「……開きましたわ。陛下、お掃除の時間です」


私は乱れた前髪をかき上げ、キリアンを見た。

彼は、開いた扉の中を見るよりも先に、私の「手」を見ていた。

油で汚れ、金属の粉で黒ずみ、それでもなお勝利の悦びに震える、私の指先を。


「……エルナ。お前、その指を……」


キリアンが、思わずといった様子で私の手を再び取った。

先ほどのような加熱のためではない。壊れ物を扱うような、あるいは未知の至宝を愛でるような、そんな手つきだった。


「……令嬢の指ではないな。これは、一つの国を救う、尊い職人の手だ」


彼の瞳に、初めて「侯爵令嬢」としてではない、私個人への強烈な、焦がれるような光が宿るのを私は見た。

だが、当の私はといえば、彼の手の温もりに、少しだけ、本当に少しだけ、胸の奥の「錠前」が跳ねるのを感じていた。


「……変な方。女の手を見て、そんなに熱心に観察なさるなんて。……さて、陛下。お約束の『ご褒美』、忘れていらっしゃいませんわね?」


「……ああ。先王の秘密工房の鍵。それと、今夜の晩餐だ」


「晩餐は次で結構です。その工房の『鍵穴』の形、後で詳しく教えていただけます?」


私は、呆れる王の視線を背中に受けながら、次なる「獲物」への期待に胸を膨らませていた。

しかし、その時。

開かれた大評議室の奥、大臣たちが逃げ出した後の椅子に、一つの「不自然なもの」が残されていることに、私は気づいてしまった。


それは、先王が大切にしていた、私も見たことがない「白銀の鍵」の、無惨な折れ曲がった残骸だった。



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