1話 おはよう、アドラーブル
私は幼いころとある貴族のお屋敷に引き取られた養女だった。
なんでも本当のお嬢様は産まれてすぐに誘拐されたそうで……代わりにと迎え入れられたのだ。
義理の家族は優しい人達だった。代わりとはいえ、両親は娘さんと同一視することなく私自身を大事にしてくれていたと思うし、私にとっては義兄の跡取り息子が既に居たから出来の良さを要求されることも無かった。
私は元孤児にしては上等過ぎる衣食住と教育の下、のびのび育てていただいた。
義兄本人にも……まあ、彼だけはわかりやすく優しい人じゃなかったが、嫌われてはなかったと思う。
愚妹、愚妹と散々呼ばれていたけれど、それも逆に"妹"としては認められていたことになる……だろう。何より、私が17歳になって、お家にとって本物の実の娘が見つかってからも、あの人の態度だけは全くと言って良いほど変わらなかった。
だから、そう。嫌われてはなかった。と、思うのだ。
けれど、だからこそ……今。
起きがけからお兄さまに抱き締められているこの状況は、全く意味がわからない!!
「…………」
「やっと、目覚めた……」
聞き覚えのある声、にしてはやや低く掠れた囁きが耳をくすぐる。優しく甘いその響きに一瞬驚いた。
もしかして義兄ではない?
目覚めた瞬間から既に混乱しっぱなしなのに更に動揺するようなことをされて、つい正体を疑ってしまう。
「遅いぞ、愚妹」
あ、お兄さまだコレ。
「いや……遅いのは、僕の力不足か。長いこと悪かったな」
え? やっぱりお兄さまじゃない??
義兄判定がコロコロ覆る。
だって私の知る義兄ならば、こんなに素直に謝らない。そもそも自分の非を認めるのか、否、自分に非があるような状況を作るのか? というような完全無欠のプライドとそれに見合う実力をお持ちの存在なのだ。
本人にしてはなんだか、随分丸く……じゃなくて私の知らない間に変化があったようで……??
「あ、の……おにい、さま?」
「なんだ」
埒が明かないので、恐る恐る声をかけてみた。
私の首元に自身の頭をグリグリ擦り寄せ、再会を喜んでいた? 義兄は途端、スッと私を抱き締めるのをやめて、見つめてくる。
「…………」
なんだ……って言われてもな……。
やっぱりお兄さまなんだ……? と言うわけにはいかないので、とりあえず私も義兄の様子を改めて観察してみる。
アッシュグレーの長い髪、豊かな下まつ毛、色白の肌。少しだけ先端がとんがった耳と、華美なピアス。装飾品含め、全体的に色素の薄い中でひときわ輝く琥珀と紫水晶のオッドアイ。
まじまじと見れば見るほどよくわかる。この人、相変わらずとんでもなく顔が良い。さすがお貴族様。
そういえば先程まで触れていた布地の感触も実に滑らかだった。着るものも良い……完璧だ……。
「……い、今……今は、何年ですか?」
しかし、おかしい。私が覚えている限り、義兄の眼は両方同じ金色だった。切れ長の吊り目も相まって、それはそれは恐ろし……いやっ、理知的で落ち着いた印象の強い美貌だったのだ。
遅いとか、長いこと悪かっただとか、起きてから掛けられた言葉が頭を過ぎる。
「おまえが眠りについてから12年が経った」
「じゅうにねん!?!?」
「正確には、おまえは呪いをかけられ死ぬところだった」
「そうなんですか!?!?」
「首謀者はイラだ」
「エッ、イネフィーラちゃん!?!?」
そして悪い予感は当たった。
イネフィーラちゃん、とは私ではない本物の実の娘さんのお名前である。
イネフィーラ・エテルニオン。彼女は確かに私のことを大層目の敵にしていたが、呪いとかそんなまさか、そんな暴挙に及ぶレベルだなんて……。
結構ちゃんとショックだ。
ついでにこの怒涛の情報量に耐えきれずうっかりデカい声を出してしまったが、これまた珍しいことに、義兄は怒るどころか舌打ち一つすらしなかった。
「僕か解呪しなければ、おまえは死ぬまで……大体百年程か。眠り続け、その果てに命も尽きたことだろう」
「ヤバッ。それは〜……何というか、本当に、ありがとうございます……」
命があるだけマシとはいえ、十二年は中々長い月日だ。世界の様子も多少変わっているだろうし、イネフィーラちゃんに生きてることがバレたりしても面倒そうだし、これからを思うとなんだか気が遠くなる。
しかし、長い月日とは同時に、お兄さまにとっても当てはまること。
自尊心に満ちたあの義兄が、眼の前のこの義兄が。十二年もの歳月を掛けて、きっと恐らくは、自責の念と使命感を覚えながら……私のために尽くしてくれた。それを考えれば、状況を理解するほどに感謝が湧いて仕方なかった。
「フン……ああ、感謝しろ。この世で僕しか解けないような難度の呪いだったからな。それもわざわざ片目を対価に僕の力を増幅させる必要さえあったのだから。手間は相当だったぞ」
「え、」
あっそれは流石に罪悪感が勝つかも!!!
「え……??」
「……? なんだ」
だから、なんだ……じゃないんだよな……!?
お兄さまの眉が少し不満そうに歪んだ。
恐らく私が、わあそうなんですか!? お兄さまありがとうございます! みたいなテンプレ的感動尊敬素振りが出来なかったせいなのだが……いや出来るかって。
むしろこっちの方が眉を寄せる案件である。困惑でだけど。
「ぇえ〜〜〜……っと、とりあえずあのー……そ、れは、すみません……? なんか……、すすごい頑張って? もらっちゃって……??」
「……フン。くだらないことを気にするな。確かにこうなった原因には当時の愚妹の不注意もあるだろうが、おまえがあんなモノに気づくわけも敵うはずもない」
「う、事実とはいえ酷……いやーそう、そうなんですけど〜……ね? なんかこう、恩……この御恩はどうにか、何かの形でお返しを……」
「うるさい。僕が仕方ないことだったと言っているんだ。くどいぞ、愚妹」
そうは言いましても……!!
申し訳ないものは申し訳ない。だが記憶の中のイメージ、私の知っている元のお兄さまに少し近い冷たい目で見据えられ、つい気圧された。
「……はぁ。何がそんなに気に入らない? 言ってみろ」
「ぁえ、……」
それでも私は、どうやらよっぽどわかりやすく困った顔をしていたらしい。お兄さまはため息を吐いた。促されども、この義兄の認識に反する内容を言っていいのだろうか? と、理性が邪魔をする。
「いや、ぇ……と」
「なんだ、口にし難いか? ならば言え。愚妹が僕に逆らうな」
無茶苦茶な言い分だ。けれどそれは、過去にもよく聞いた懐かしい物言いで……同時に今は、お兄さまが出来る形の中で最大限の、私への気遣いのように感じた。
「…………」
お兄さまは昔からいつも自分が一番素晴らしい、という態度を崩さず、私は日々、彼から言うことに従うよう言いつけられた。
と言ってもそれはまあ、お兄さまと付き合うに当たっての処世術? 穏便な立ち回り? みたいなもので。
その自負に見合うだけの努力と才能を重ねてきた人だというのも、共に暮らせばよく見えたから、多少面倒くさくても大した不満にはならなかった。
この気難しく面倒で、怖くも優しく尊敬できる義兄へ、私はなんだかんだ従順に尽くしていたと思う。
今彼は、それを逆手に取ったのだ。
言い辛いことを告げるよう、無理矢理自分に強要されているのだから、おまえは何も悪くない。怖がる必要はない。と。
「……お兄さまは、すごい人だから……」
「ああ。だから?」
「できるって、思ったからやったのでしょうし、私だってお兄さまに起こしてもらえて嬉しいけれど」
「……そうか。それで?」
「や、……ゃでした。お兄さまが、痛い思いをしていたのが、嫌。で……心配した。から、素直に喜べません」
「………………」
言い切った頃には、何となく気まずくて俯いてしまっていた。
何せ、実際痛かったかどうかなんて眠っていた私にはわからないし。この義兄なら魔法でなんとかしちゃってたりするかもだし。
少なくとも今は平気そうで……義兄からしたら、大して気にしていないようなことだけは確かなのだ。
これらはすべて純然たる私の主観、価値観に過ぎない。
「……おまえ、先ほど僕へ恩を返すだとか言っていたな」
「え……? は、はい」
長い沈黙のあと、義兄は確かめるように少しばかりゆっくりとそう言った。なんで今?
まあ間違いではないので頷いてみせる。そういえばこの人いっつも急だったな……。
「ならば、一つ叶えてもらおう。僕はこの目のことなど一切気にしていないが、おまえの言い分は理解した。故にそれで対等にする。良いな?」
「……! は、はい!」
齎された答えは、明確な私への譲歩だった。
凄い! この人、私の気持ちを慮った!
私はもちろんまた頷く。バレたらかなり失礼な理由だが、ついテンションも上がってしまった。
さてあとは、恩返しに何を言われるか……。
出来れば私でも簡単に可能な範囲の要求だと助かるのだが、そこまでのワガママはさすがに言えない。というかお兄さまなら、超頑張ればイケる限界ギリギリラインの難題を課してくる可能性もある。
私は義兄の次の言葉へ、真剣に耳を澄ませた。
「結婚するぞ、愚妹……ペルナ。可愛いおまえ。僕と契り、どうか僕の妻となれ」




