親友 3
裏門での遭遇から一夜が明けても、紘一の胸の動揺は収まらなかった。 昨日、あの白衣の男が現れなければ、風間は今頃、良太の呪いの言葉に怯え、恐怖に支配されていたはずだ。
(なぜ、あいつは二度も現れた? まさか、俺の復讐を邪魔するために…?)
二度目の遭遇は、もはや偶然とは言い難い。あの男は紘一の行動を監視しているのか、それとも別の目的で現れているのか。答えは分からない。ただ確かなのは、紘一の計画が阻まれたという事実だった。
教室に戻った紘一は、空席になった良太の机を見つめた。そこに置かれたままの古びた辞書が、彼の不在を痛々しく証明している。良太の死は、紘一の心に巨大な空洞を開けた。その空洞を埋められるものはただ一つ――風間への復讐。立ち止まることは許されない。
「SNSでの暴露は失敗した。直接的な恐怖も阻止された。なら、次は決定的な破滅だ」
紘一の思考は冷徹に研ぎ澄まされていく。風間を社会的に殺すためには、より確実で、誰も彼を助けられない方法が必要だ。
それは、風間が最も大切にしている「スポーツ推薦」の地位を根こそぎ奪うことだった。
風間はその推薦にすべてを賭けている。体格と才能を誇り、将来は大学進学、さらにはプロの道を夢見ている。教師たちも彼を「学校の誇り」として扱い、周囲の生徒も彼の存在を認めざるを得なかった。だが、その推薦は一点の汚れも許されない。素行不良、規律違反、犯罪の影――どれか一つでも露見すれば、推薦は即座に取り消される。
(風間の未来を奪う。それこそが、良太の魂を慰める唯一の方法だ)
紘一の胸に、再び鉛のような重さが宿る。
風間は、部活の成績こそが自分の価値だと信じていた。彼の未来は、そのスポーツ推薦枠にかかっている。もし、薬物を使用しているという事実が表沙汰になれば、推薦は即座に取り消され、築き上げてきた名誉も将来も、一瞬で崩れ去る。
紘一は知っていた。風間が肉体改造のために、サプリメントを個人的に売人から入手しているという噂を。確固たる証拠さえ掴めば、匿名で学校、あるいはマスコミにリークできる。そうすれば、風間の人生は終わる。
(これなら、もう誰も邪魔できない。証拠を掴むことさえできれば……)
次のターゲットは、学校の近くにある廃墟ビルだった。そこは風間が売人と密会によく使うと噂される場所。昼間でも人影はなく、夜になれば完全に闇に沈む。窓ガラスは割れ、壁には落書きが重なり、風が吹けば鉄骨が軋む音が響く。まるで人を拒むような空気を漂わせていた。
放課後。校庭から生徒たちの声が消え、部活の生徒が全て帰宅したのを確認すると、紘一は静かに校門を抜けた。スマートフォンで録画をして証拠を残す。
夕暮れの街を抜け、廃墟ビルへと近づくにつれ、周囲の音は次第に薄れていった。車の往来も途絶え、鳥の声も消え、ただ冷たい風が吹き抜けるだけ。ビルの影は長く伸び、紘一の足取りを飲み込むように迫ってくる。
(ここで風間を捕らえる。これで、良太の魂は報われるんだ)
紘一は、廃墟の入口へと足を踏み入れた。
廃墟ビルは、学校から徒歩十五分ほどの場所にある、取り壊しを待つ古い工場跡だった。 壁には無数の落書きが重なり、意味不明の記号や罵声が黒ずんだペンキで刻まれている。割れたガラス片が床に散乱し、踏めば鋭い音を立てる。昼間でも薄暗く、夕暮れともなれば影が濃く重なり、誰も近づこうとはしない。まるで人の気配を拒絶するような場所だった。
紘一はビルの裏手から忍び込み、風間が過去に売人と会っていたと噂される一室を目指した。目的はただ一つ――薬物取引の痕跡を見つけること。空になった袋、走り書きのメモ、あるいは売人との連絡手段の残骸。どんな些細な証拠でも、風間を地獄へ突き落とす鍵になる。
(良太、もうすぐだ……もうすぐ風間の全てを奪える)
紘一はノイズを恐怖ではなく力に変え、薄暗い部屋の奥へと進んだ。スマートフォンを懐中電灯代わりに掲げ、光の輪で闇を切り裂く。床にはガレキが散らばり、錆びた鉄片が光を反射する。埃とカビの匂いが鼻を刺し、呼吸のたびに喉がざらついた。
壁際には古びた棚が倒れ、紙切れや壊れた瓶が散乱している。紘一は一つひとつに目を凝らし、風間が使った痕跡を探した。心臓の鼓動は早鐘のように鳴り、ノイズはさらに強まっていく。
そして――。
懐中電灯の光が、部屋の隅に何かを照らし出した。埃をかぶった小さな袋、そして床に落ちた紙片。紘一は息を呑み、震える手を伸ばした。
「どうした?」
声は、すぐ後ろ――息がかかるほどの距離から響いた。 紘一は絶叫を寸前で飲み込み、全身を硬直させた。振り返ると、そこに立っていたのは、やはり白衣の男だった。
廃墟の薄暗さの中で、彼の白衣は異様なほど白く浮かび上がっていた。まるでこの廃墟の影そのものから滲み出てきた幻影のように。
「な、なんで……?!」
紘一は声を震わせた。どうしてこんな廃墟にまで、この男が現れるのか。理解不能だった。まさか、自分を追ってここまで来たのか――。
男は相変わらず表情を崩さない。周囲のガレキや埃には一切目を向けず、ただ紘一を見つめていた。その視線は冷たく、深く、紘一の心の奥底を覗き込むようだった。
「こんな場所で、どうした?」
紘一は咄嗟に否定した。
「ち、違っ…!ただ、探検に……」
「探検にしては、顔色が良くない。何か困っていることがあるんじゃないか?」
男の言葉は、まるで外科医のメスのように鋭く、紘一の心の最も深い場所を抉った。紘一の全身から血の気が引き、膝が震えた。
(こいつは……本当に何もかも知っているのか?)
「……せ、先生には関係ないでしょう。俺は別に、誰にも迷惑をかけていません」
紘一は必死に声を絞り出した。
男は静かに首を振った。
「君自身が傷つくことを心配している。何かあれば聞かせてほしい」
その声音は穏やかでありながら、逃げ場のない圧力を伴っていた。紘一は確信した――この男は偶然ではない。自分の復讐計画を、明確な意思を持って阻止しようとしている。
だが、なぜ? 何のために?
「もう帰ります!」
紘一は叫ぶように言い、逃げるように廃墟を飛び出した。錆びた鉄骨の間を駆け抜け、割れたガラスを踏み砕きながら出口へと走る。心臓は破裂しそうなほどに脈打つ。
背後から男が追いかけてくる気配はなかった。 ただ、廃墟の奥に残された白衣の残像だけが、紘一の脳裏に焼き付いていた。




