親友 2
最初の計画が頓挫したことで、紘一の胸に渦巻いていた復讐心は、むしろさらに濃く、重く育っていった。
図書館での出来事は、まるで誰かに「やめろ」と制止されたようでもあり、同時に「まだ終わっていない」と囁かれたようでもあった。
(あの男のせいで……いや、違う。俺が弱かっただけだ)
自分を責める声と、風間への怒りが混ざり合い、胸の奥で黒い渦がゆっくりと回転し始める。
(もっと直接的な方法で、風間に恐怖を植え付けるには、どうすれば…)
紘一はそう考えるようになっていた。
SNSでの暴露では得られない、もっと根源的な恐怖。
“お前は良太の呪いにかけられている”――そんな錯覚を風間に抱かせるような、逃げ場のない恐怖。
それは、紘一自身が抱えている罪悪感と悲しみが、形を変えて外へ向かおうとしているだけなのかもしれない。
だが、紘一にはもうその違いが分からなかった。
風間には毎日欠かさない習慣があった。
体育館の裏にある、誰も見ない場所タバコを吸うこと。
もちろん校則違反だが、風間はそれを隠そうともしない。
むしろ「自分は特別だ」と言わんばかりに、堂々と煙を吐いていた。
紘一は、その場所を思い浮かべた。
夕方になると薄暗く、体育館の影が長く伸びる。
風が吹けば砂埃が舞い、誰も近づかない。
まるで世界から切り離された小さな空間。
(あそこなら……風間は一人になる)
胸の奥で、何かが静かに鳴った。
(風間に……“気づかせる”。良太の苦しみが、まだ終わっていないってことを)
紘一はそう思い込むことで、自分の中の衝動を正当化しようとしていた。
*
夕暮れの校舎は、昼間とはまるで別の顔をしていた。
裏門の錆びた金網を押し開けると、冷たい風が頬を撫で、砂をさらさらと巻き上げる。
校庭は薄闇に沈み、遠くで犬が吠える声だけが、世界の端でかすかに震えていた。
紘一は、体育館裏へと足を運ぶ。
そこは昼間でも人が寄りつかない場所で、夕方ともなれば完全な闇に沈む。
校舎の灯りは届かず、体育館の影が地面に濃い墨のように広がっていた。
手には赤いスプレーと、良太の顔を加工した写真。
その紙は風に揺れ、懐中電灯の光を受けて不気味に歪んだ影を落とす。
(これで風間は、恐怖で怯えるはずだ…)
(良太が苦しめられたように、今度は風間が苦しむ番だ)
胸の奥で、そんな言葉が何度も反響する。
体育館裏は、湿った土の匂いと、古い鉄の錆の匂いが混ざり合い、懐中電灯の細い光だけが、闇の中にかろうじて道を描いていた。
ベンチの木目が浮かび上がり、そこに座る風間の姿が脳裏にちらつく。
紘一はゆっくりと屈み、スプレーに手をかけた。
(良太、これでお前は報われるんだ)
そう思った瞬間――胸の奥で、何かがわずかに軋んだ。
それは罪悪感か、恐怖か、それとも別の感情か。紘一には分からない。
ただ、闇の中で自分の呼吸だけがやけに大きく響き、その音が、まるで「本当にこれでいいのか」と問いかけてくるようだった。
スプレーを握る手に力が入りかけては抜け、赤い缶はかすかに震えながら、闇の中で鈍い光を放っていた。
そのとき――。
「こんなところでどうした?」
静寂を裂くように、乾いた声が背後から落ちてきた。
その瞬間、紘一の心臓は胸の中で跳ね上がり、全身の血が一気に冷えた。
まるで背後から氷の手で肩を掴まれたような感覚だった。
反射的に振り返る。
そこに立っていたのは――図書室で遭遇した、あの白衣の男だった。
闇の中、白衣だけが異様に浮かび上がっている。
男は紘一とベンチの間に立ち、自然と逃げ道を塞ぐ位置にいる。
「……な、え…?! ど、どうして…?!」
紘一の声は震え、喉がひりつく。
手に持っていたスプレー缶が指の間で滑りかけ、金属の冷たさが余計に恐怖を増幅させた。
男は紘一の手元には目を向けない。
ただ、紘一の顔だけをじっと見つめている。
その目は、図書室で見たときよりもさらに深く、暗く、まるで紘一の胸の奥に隠した“計画”のすべてを読み取っているかのようだった。
「見回りをしていた。君は?」
声は低く、静かで、どこか湿り気のない乾いた響きを持っていた。
懐中電灯も持たず、足音すら立てず、まるで闇の中で紘一だけを正確に捉えているような、異様な存在感。
「あ、あの……忘れ物を……」
紘一は喉の奥から無理やり言葉を押し出した。
声はかすれ、空気に触れた瞬間に消えてしまいそうだった。
「一緒に探そうか?」
男の声は穏やかだったが、得体が知れなかった。
男の視線は、紘一の表情ではなく、もっと深いところ――憎悪、焦燥、罪悪感が絡み合って沈んでいる暗い底へと、静かに降りていくように感じられた。
喉が乾き、呼吸が浅くなる。
言葉が出ない。
逃げなければ――その直感だけが、胸の奥で激しく脈打った。
「す、すみません! 帰ります!」
叫ぶように言い残し、紘一は裏門へ向かって駆け出した。
砂を蹴る足音が夜の静寂を乱し、その音が自分の恐怖をさらに煽るようだった。
背後を振り返る余裕はなかった。
ただ、逃げなければならないという衝動だけが、紘一の身体を突き動かしていた。
――そして。
白衣の男は、紘一が去った後もその場から動かず、ただ静かに夜空を見上げていた。
男の耳には、紘一の心から離れていく「キィィィン」というノイズが、かすかな残響として残っていた。




