薬剤師?3
「和也のスマホに、写真があったんです。……見たこともない笑顔でした。私にはもう何年も向けていない、まるで子どもみたいな、無防備で楽しそうな顔。その隣にいたのは、私よりずっと若くて、頼りなげな女でした。私が守らなきゃ、なんて男に思わせるような……」
美咲は、ひび割れた器から漏れ出すような声で、自嘲気味に笑った。
「笑っちゃいますよね。私は、彼が安心して外で働けるように、家を守ろうとした。彼の妻であろうとしたんです。でも、彼が求めていたのは、共に歩むパートナーなんかじゃなかった。自分が全能のヒーローになれるための、庇護を求める『お姫様』だった……」
泥のような感情が、言葉となってとめどなく溢れ出していく。 積み上げてきた五年間という月日が、一瞬にして音を立てて崩れ落ちる。それは丁寧な手仕事で織り上げた絨毯を、端からライターで焼かれていくような、残酷な喪失だった。ドラッグストアで薬の箱を見つめていた時の、あの凍りついたような殺意。それは今や、もっと暗く、粘り気を持って肺の奥に張り付くような絶望へと変質していた。
「私には、もう何も残っていない。実家は私を頼りにこそすれ、帰る場所なんて用意してくれていない。友達だって……今更こんな、惨めな姿を見せるなんてできない」
美咲は、残っていた最後の一口の肉まんを、なかば自傷行為のように口に押し込んだ。 小麦の甘みと肉汁の脂が混ざり合い、喉を通り過ぎる。甘い。吐き気がするほど甘くて、重い。けれど、この熱量だけが今、自分の輪郭をこの世に繋ぎ止めているような気がして、無理やり胃の奥へ流し込んだ。
「結局、私は誰の『特別』にもなれなかった。……和也にとってさえ、私は替えのきく部品だったんです。だったら、壊してやってもいいですよね? 部品が壊れて、その鋭い破片で、あいつの喉笛を深々と掻き切ってやっても……バチは当たりませんよね?」
美咲は顔を上げ、男の横顔を覗き込んだ。 長く伸びた前髪が夜風に乱れる。風が彼の白衣の裾をバタバタと、まるで死神の羽ばたきのように揺らした。
「……なぜ、そこまで完璧であろうとしたんですか?」
男の問いは、冷たく研ぎ澄まされたメスのように鋭利だった。迷いなく美咲の心臓の最深部へと差し込まれ、避けてきた記憶の漿膜を音もなく切り裂いていく。
「なぜ……?」
美咲は、肉まんの熱が残る指先を虚ろに見つめた。指先は赤く熱を帯びているのに、指先から血の気が引いていくような感覚が追いかけてくる。 その問いの答えを手繰り寄せようとした瞬間、脳裏の暗がりで、湿って張り付いた古いアルバムが無理やり開かれるような、不快な音が響いた。
想起されたのは、雨に濡れた重い土の匂い。そして、鼻腔の奥にこびりついて離れない、あの白い病院の無機質な消毒液の匂い。
「……妹が、いるんです」
美咲は、祈るように重ねた膝の上で、ぽつりと言い出した。




