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殺意が聞こえる  作者: あまりなな
教師?
1/19

親友 1

三週間。

親友の良太が学校の屋上から姿を消してしまってから、紘一の世界はずっと灰色のままだった。

色彩は確かに存在しているはずなのに、視界に入るものはどれも薄い膜をかぶせられたようにくすんで見える。まるで世界そのものが、紘一の心に合わせて沈黙しているかのようだった。


紘一の席は、窓際の一番後ろ。

そこから見下ろすグラウンドは、三週間前と何ひとつ変わらない。

体育の授業で響く掛け声、ボールを追いかける軽快な足音――それらは、まるで良太の不在を意図的に無視するかのように、明るく、無邪気で、残酷なほど日常を続けていた。


だが紘一の胸の奥では、重い鉛が沈み込んだまま動かない。

その重さは、ただの悲しみではなかった。

良太を救えなかったという、鈍く熱い後悔が、心臓の裏側に焼きつくように居座っている。

ふとした瞬間にその痛みが脈打ち、呼吸を浅くし、喉の奥を締めつける。

夜になっても消えることはなく、むしろ暗闇の中で輪郭を増し、紘一を眠らせてくれなかった。


良太は、紘一にとって唯一の理解者だった。

教室の喧騒に馴染めず、居場所を見つけられなかった二人は、自然と同じ隅に座り、同じ空気を吸い、同じ沈黙を共有した。

言葉がなくても通じ合える――そんな関係は、紘一にとって初めてのものだった。

良太が隣にいるだけで、世界の輪郭が少しだけ柔らかくなる気がした。


しかし、その良太は、クラスの数人から執拗に狙われていた。

特に主犯格の風間は、表向きは笑顔を崩さないくせに、陰では巧妙なやり方で良太を追い詰めていた。

机に落書きをされ、教科書を隠され、耳元で小さく嘲笑を浴びせられる。

一つ一つは「悪ふざけ」と言い逃れできる程度のものだったが、積み重なれば心を削るには十分すぎた。


紘一はそれを知っていた。

知っていながら、何もできなかった。

声を上げる勇気も、誰かに相談する力も、自分にはなかった。

その無力さが、今になって鋭い棘となり、胸の奥で何度も何度も突き刺さる。


(ごめん……良太)

紘一は心の中で、毎日良太に謝り続けている。だがその謝罪は、もう届くことはない。

良太の席は、三週間前から空席のままだ。そこに描かれた落書きだけが、彼が確かにこの教室に存在していた証だった。――それは、紘一にとって痛々しいほど鮮やかな記憶の欠片だった。

教室のざわめきの中で、紘一はただ一人、灰色の時間に取り残されていた。



昼休み。

教室に満ちる笑い声は、紘一にはただの雑音にしか聞こえなかった。

耳障りなざわめきが壁や天井に反響し、空気そのものが濁っていくように感じられる。

胸の奥に沈んだ鉛は、時間が経つほどに重さを増し、呼吸のたびに鈍い痛みを放った。


その騒音の中心にいるのは、風間とその取り巻きだった。

風間はスポーツ推薦で入学した体格の良い生徒で、教師からの評価も高い。

表向きは明るく、仲間を引っ張るリーダーのように振る舞っている。

だがその笑顔の裏には、他人を支配し、弱い者を弄ぶことに快感を覚える冷たい影が潜んでいた。

彼の周囲には常に数人の腰巾着がいて、風間が口を開けば、条件反射のように笑い声を上げる。


「なあ、アイツ、死ぬ前に変なメール送ってきてたんだぜ」

「マジ? 遺書かよ、キモいな」

「なんかさ、俺たちのこと恨んでるとか書いてたみたいでさ。最後までダサいよな」


軽薄な笑い声が弾けるたび、紘一の耳に鋭く突き刺さった。

彼らは良太の死すらも玩具にし、優位性を誇示する材料にしている。

その無神経さが、紘一の胸の奥に沈んだ鉛をじわじわと熱くし、溶けて煮え立つような感覚へと変えていく。


――ああ、お前たちを、絶対に許さない。



その日を境に、紘一の日常はゆっくりと、しかし確実に「復讐計画」へと姿を変えていった。

授業の内容は耳に入らず、黒板の文字はただの模様にしか見えない。

昼休みの喧騒も、放課後の夕焼けも、すべてが薄い膜の向こう側にあるようだった。

世界は動いているのに、自分だけが別の軌道を歩き始めてしまったような感覚――それが紘一を支配していた。


良太を死に追いやったのは、風間とその取り巻きだ。

それは紘一の中で揺るぎない“事実”として固まっていた。

だが、彼らを殴るだけでは意味がない。

教師に訴える? 警察に突き出す?

そんなものは、紘一にとってはただの「表面的な正義」に過ぎなかった。

そんな行為で自分が罰せられれば、良太の苦しみはまた見えない場所に押し込められ、誰にも理解されないまま終わってしまう。


「……あいつらを、俺が殺してやる」


その言葉は、声にならないほど低く、熱を帯びて胸の奥で響いた。


風間はスポーツ推薦という立場に固執している。

彼の未来、彼の名誉、彼が積み上げてきたもの――それらは風間にとって、何よりも大切な“鎧”だった。

その鎧を剥ぎ取り、音もなく崩れ落ちる瞬間を見せつける。

良太がひそかに、誰にも気づかれずに苦しめられたように、風間もまた、世間から見えない場所でじわじわと追い詰められるべきだ。


紘一の思考は、まるで暗い水底へ沈んでいくように静かで、冷たく、そして危うかった。

復讐という言葉が、彼の心の中でゆっくりと形を変え、「正義」や「償い」といった別の名札を貼られながら、気づかぬうちに彼の中心へと根を張っていく。



紘一がまず思いついたのは、風間の私生活を暴くことだった。

殴るでも、怒鳴るでもない。もっと静かで、もっと深く、風間の足元を崩す方法――それが必要だと、紘一は思い込んでいた。


風間はSNSを頻繁に利用していた。

表向きのアカウントでは爽やかな笑顔を並べ、部活仲間との写真や、教師に褒められたエピソードを投稿している。

まるで「理想の高校生」を演じるかのように。

だが、その裏にはもう一つの顔があることを、紘一は知っていた。


紘一は元々PCに強かった。

良太がいじめられていた頃、証拠を集めるために、彼は深夜までパソコンに向かい、SNSのログや投稿のタイムラインを丹念に追いかけていた。

その過程で、風間の裏アカウントの痕跡を偶然掴んだのだ。


裏アカウントは、表の爽やかさとは正反対だった。

誰かを嘲笑するような短文、深夜に投稿された愚痴、仲間内だけに向けた乱暴な言葉。

投稿の内容は断片的で、決定的な証拠にはならない。

だが、アカウントの作成時期、投稿の癖、使われている端末の特徴――そうした細かな情報が積み重なり、紘一には「これは風間だ」と確信できるだけの材料になっていた。


(あいつは、表と裏を使い分けている。だったら、その“裏”を引きずり出してやればいい)


紘一の胸の奥で、冷たい考えがゆっくりと形を成していく。

風間が大切にしている“表の顔”を壊すには、裏の顔を世間に晒すのが最も効果的だ――そんな思い込みが、怒りと悲しみの渦の中で膨れ上がっていった。



放課後。

図書館の隅にある古いPCの前に座り、紘一はゆっくりと息を吐いた。

周囲は静まり返り、ページをめくる音が時折、乾いた紙の匂いとともに空気を震わせる。

その静けさとは裏腹に、紘一の心臓は早鐘のように脈打ち、指先は氷のように冷たく震えていた。


画面にはログインページが映っている。

風間の裏アカウント――その存在を確信していながら、まだ誰も触れていない“闇”。

ログイン情報は複雑で、普通なら突破できないはずの壁だ。

だが紘一には、良太と共有していた知識があった。

(きっと良太が、見ている。俺に力を貸してくれている)

そう思った瞬間、震えていた指先がぴたりと止まった。

視界が狭まり、周囲の音が遠のく。

画面と文字列だけが、暗闇の中で浮かび上がるように鮮明になる。


パスワードを一つ、また一つと試す。

そのたびに画面は無機質な拒絶を返すが、紘一の集中は揺らがない。

そして――

ある文字列を打ち込んだ瞬間、画面がふっと切り替わった。


ログイン成功。


胸の奥で何かが跳ねた。

だが喜びではない。

もっと重く、もっと黒い感情だった。


風間の裏アカウントは、予想以上に醜悪だった。

良太に向けられた暴言の数々。

盗撮写真を自慢げに晒す投稿。

仲間内だけに向けた、犯罪すれすれの行為を武勇伝のように語る文章。

スクロールするたびに、胃の奥が冷たくなる。


紘一は息を呑んだ。

胸の奥で、熱が爆ぜるように広がる。


――これだ。

――これこそが風間を終わらせる鍵だ。


匿名でSNSに拡散すれば、風間の評判は一瞬で崩れ落ちる。

学校も、部活も、推薦も、未来も――すべてが瓦解する。

良太が味わった孤独と苦しみを、風間自身が飲み込むことになる。


紘一は震える指で画面を保存し、暴露のための文章を作り始めた。

事実だけを淡々と並べ、感情を排した冷徹な文体で。

まるで自分が機械になったかのように、迷いは一切なかった。


匿名性は絶対に守らなければならない。

新規アカウントの作成。

IPアドレスの偽装。

痕跡を残さないための細心の準備。

一つひとつの工程を、紘一はまるで儀式のように慎重に積み重ねていく。


投稿ボタンに指をかけ、紘一は息を殺していた。

最終確認はすべて終わった。

風間を社会的に追い詰めるための暴露文は、何度も推敲し、誤字も、余計な感情も、痕跡も残さないように磨き上げた。

あとは「送信」を押すだけ――その瞬間だった。


背後に、誰かが立っている気配がした。


「ずいぶん熱心だね」


乾いた声が、図書館の静寂を鋭く裂いた。

紘一は肩を跳ね上げ、反射的にブラウザを閉じる。

心臓が一瞬、胸の中で止まったように感じられた。

背中に冷たい汗が流れ、椅子の背もたれが妙に遠く感じる。


恐る恐る顔を上げると、そこに立っていたのは白衣を着た男だった。

前髪が長く垂れ、目元は影に沈んでいて表情が読み取れない。

年齢は二十代半ばほどだろうか。

だが、紘一にはまったく見覚えがなかった。


白衣――理科の教師か、養護教諭か。

しかし、この学校にこんな人物がいた記憶はない。

まるで突然、どこか別の場所から現れたような違和感があった。


「あ、すみません。次、使いますか…?」


紘一は反射的に謝った。

声がわずかに震え、喉が乾いているのが自分でも分かった。


男は静かに首を横に振った。


「いいや、そんなに慌てなくてもいい。それとも……何か困っていることがある?」


その声は柔らかい響きを持ちながらも、どこか底の見えない冷たさを含んでいた。

図書館の蛍光灯が白衣の布地に反射し、男の輪郭を淡く浮かび上がらせる。

その光が、逆に男の表情をより不気味に曖昧にしていた。


「だ、大丈夫です。宿題をしていただけなので」


紘一はそっけなく答え、視線を逸らした。

画面は閉じたまま、キーボードに置いた手は汗でじっとりと湿っている。


――この男に、自分の計画を嗅ぎつけられてはいけない。


その思いが、胸の奥で警鐘のように鳴り響く。

背筋に冷たい汗が伝い、椅子の上で身体がわずかに強張った。


紘一は息を整え、男の存在を無視するように視線を落とした。

だが、心の奥底では、得体の知れない不安がじわじわと広がっていくのを止められなかった。

胸の奥に沈んでいた鉛が、ゆっくりと形を変え、冷たい指先で心臓を撫でるような感覚へと変わっていく。


男は紘一の言葉に深入りすることなく、ただじっと紘一の顔を見つめていた。

前髪の影に隠れているはずの目が、なぜかはっきりと“こちら”を見ているように感じられる。

その視線は、皮膚の表面ではなく、もっと奥――心の奥深くに触れてくるようだった。


「そうか。でも顔色が悪い。かなり疲れているようだ。早く帰って、ゆっくり休みなよ」


男の声は穏やかだった。さらに言葉を重ねる。


「無理はしないようにな」


その一言は、優しい忠告のようでありながら、まるで紘一の胸の奥に潜む“計画”をすべて見透かしているかのような響きを持っていた。

その瞬間、紘一の背筋に、細い針でなぞられたような寒気が走る。


男はそれ以上何も言わず、紘一に背を向けた。

白衣の裾がわずかに揺れ、静かに図書館の出口へと歩いていく。

だが、その足音はあまりにも静かだった。

ただ耳に残ったのは、男の穏やかな声の余韻だけだった。


紘一は、しばらく動けなかった。

胸の奥で、心臓が不規則に跳ねる。

一瞬の動揺で、投稿のタイミングを完全に逃してしまった。


震える指でPCをシャットダウンする。

画面が暗転すると同時に、胸の奥に広がる不安がさらに濃くなった。

暗い画面に映った自分の顔は、どこか他人のように見えた。


(なんだ、あの先生は? なぜ、あんなタイミングで……)


紘一は男の出現を、単なる偶然だと思い込もうとした。

そうでなければ、説明がつかない。

だが、胸の動揺は収まらない。

まるで心臓を掴まれたような感覚が、じわじわと残り続けている。


図書館の静けさが、逆に耳を圧迫する。

さっきまで感じていた“復讐”の熱は、どこか遠くへ押しやられ、代わりに、形のない恐怖がゆっくりと胸の中に根を張り始めていた。

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