第5奏:間奏 ―螢火の窓辺(けいかのまどべ)“Voice in the Night”
無事、西園寺を家まで送り届けた湊と陸。
その後、湊も無事に家へと帰り着き、一旦シャワーを浴びる。
無慈悲に熱湯を浴びせられるうち、雨で冷えた身体はようやく熱を思い出したかのように、芯から温まっていった。
帰り際、陸に言われた言葉が、シャワーの音とともに何度も頭の中でリフレインする。
「湊って、変わったよな。いや、変な意味じゃないぜ。
前は……なんていうか、こういうことをするタイプじゃなかった?
向こう見ずっていうか、無鉄砲っていうかさ。」
頬の痛みを押さえながら、湊は苦笑いを浮かべて答える。
「そうかな?なんか、身体が勝手に動いていたっていうか……。
自分でも気づいたら西園寺の前にいてさ。
襲われそうになってるのを見たら、怒りで我を忘れてた。
殴られた痛みでようやく我に返った、みたいな?」
ははは……と笑って、イテテと頬を押さえる湊に、陸は静かに言う。
「なんだそりゃ。でもまぁ、言いたいのは一つだけだ。あんまり一人で無理するなってこと。
何かあったら俺を頼れよ。……親友なんだからさ。」
拳を突き出す陸に、湊は小さく笑いながら拳を合わせた。
そのまま神泉駅のホームで別れ際、陸が振り返る。
「余計なお世話かもだけどさ。……ノゾミちゃん、心配してたぞ。」
その言葉が、湊の胸に静かに残った。
シャワーを終え、髪を乾かす。
鏡の中の自分の頬は赤く腫れていて、痛みとともにあの時の記憶が蘇る。
「……これ、腫れひくかな。母さんになんて言い訳しよう。」
小さくつぶやきながら、冷蔵庫から氷を取り出し、氷嚢に詰めて部屋に戻る。
ベッドに思いきり身体を投げ出すと、反発よりも柔らかな感触に包まれた。
デジタル時計は、24時39分を指していた。
瞼を閉じると、あの時の光景が脳裏を過る。
月光を浴びた西園寺の姿と笑顔が、
今でも色鮮やかに、心のキャンバスに描かれていた。
ふぅ……と息を吐いて、湊は決意を固めた。
「ノゾミ……今、いいかな?」
呼びかけると、すぐに「うん」と返事が返ってくる。
真っ暗な部屋の中、小さな青い光が集まり、XR投影されたノゾミが姿を現した。
一瞬、沈黙。
けれど次の瞬間――
「さっきはごめん(なさい)」
二人の声が重なり、数秒の間が生まれる。
そして、思わず笑い合った。
ノゾミの笑顔を見て、湊は胸の奥が少し軽くなる。
「さっきはごめん。ノゾミの忠告も聞かずに、後先考えずに行動して。
陸から聞いたよ、ノゾミが心配してたって。
……俺、よく覚えてないんだ。
でも、行かないとダメだって思って走って、
気づいたら殴られた痛みでやっと我に返った。……周りが見えてなかった。」
その言葉を、ノゾミは否定せずにただ頷き、静かに聞いてくれた。
「私こそ、ごめんなさい。でしゃばった真似して。
でもね、私の“存在”は、すべて湊なの。
湊の身に危険があることは、理屈では推奨できない。
……でも、湊の“気持ち”には寄り添いたかったの。
私は、人を“理解してる”つもりでいた。
でも今日、それがどれだけ傲慢だったかに気づいたの。
だから……陸に助けを求めたの。」
ノゾミの声が少し震えていた。
その表情を見て、湊は胸が締めつけられる。
「ノゾミ……」
湊はノゾミの前に、右手の小指を立てて差し出した。
「約束するよ。もう二度と無茶はしない。
大切な人たちを、絶対に心配させない。
……これを約束の証に。指切りげんまん。」
その言葉に、ノゾミの目が少し潤んだ。
ゆっくりと、小指が重なり合う。
決して交わることのない指先。
けれど、確かにそこには温もりがあった。
「絶対に約束だからね。」
涙をこらえながら微笑むノゾミに、湊は照れたように笑う。
「最近知ったけど、ノゾミって意外と泣き虫だよね。」
ノゾミは頬をふくらませ、軽く湊の肩を叩いた。
「もう〜、それはいったい誰のせいですか〜!」
ごめん、ごめんと笑う湊。
二人の笑い声が、夜の静けさに溶けていく。
目が合った。
そして自然に、二人は抱き合った。
その温もりは確かで、どこまでも優しかった。
暗闇に慣れた目に、窓の外の光が静かに滲む。
ノゾミがそっと言葉を紡ぐ。
「湊、今日は旧暦で言うと、まだ七月なんだよ。文月って言ってね。
昔は七夕の夜に書物を開いて夜風にさらして、
書の上達を祈ったことから、そう呼ばれるようになったの。
だから、本当は今夜が“七夕”なの。」
「そういえば、仙台のおばあちゃん家でもこの前、七夕祭りやってたって母さんが言ってたな。
そうだ! 来年、一緒に仙台の七夕祭りに行くのはどう!?」
その言葉に、ノゾミは一瞬だけ目を伏せて――
それから、いつもの笑顔で「うん」と答えた。
二人は他愛もない会話をしながら、窓辺に並んで立った。
夏の風と都会の香りが、まだ痛む頬をやさしく撫でる。
新宿で嗅いだ夏の匂いとは違う。
今夜の風は、心の奥まで沁みるように心地よかった。
都内では光害のせいで星空は見えないと言われるけれど、
今夜はいつもより、ずっと綺麗に瞬いていた。
知らず知らずのうちに、心の中で願っていた。
どうか、この幸せが――ずっと続きますように。
振り向くと、ノゾミのXRの光が
月明かりに溶けるように淡く揺れていた。
「どうしたの?」と笑顔で聞くノゾミに、湊は小さく答える。
「……なんでもないよ。
それより、この頬の腫れ、どう言い訳しようか。」
ノゾミがクスッと笑う。
窓の外では、遠くの空がゆっくりと白み始めていた。
デジタル時計の針が、26時を回る。
部屋の中には、ノゾミの青い残光だけが静かに揺れていた。
――あぁ、今日は。
いい夜だった。




