# 第5奏パート4:後編 ― 月下回帰(げっかかいき) ― The fox returns a smile beneath the summer moon.
**【Scene 1:雨の街、独白】**
雨のにおいが、街のネオンに溶けていく。
アスファルトと歌舞伎街特有の甘い香りが肌にまとわりついた。
ポタポタと降り始めた雨が、走る速度に合わせて強くなっていく気がした。
最悪……。
こんなことなら、やっぱり傘を持ってくればよかった。
そう思ったときには、もう後の祭りだった。
怠慢。
驕り。
油断。
今の私にぴったりな言葉って、なんだろう?
**【Scene 2:未満シティー】**
2020年代以降、AIが急速に進化し、それに伴ってSNSも活発になっていった。
人々はそこに新しい光を見出した。
――誰だって、始まりは些細なこと。
私もそうだった。
気づいたら、いつの間にか“インフルエンサー”になっていた。
いいや……多分、私は運がよかっただけ。
もしかしたら、この街が私を祭り上げてくれたのかもしれない。
周りには、たくさんの友達がいた。
いや、“私たち”には友達しかいなかった。
2038年の"新宿区歌舞伎町"。
そこには若者たちによって構成される「未満シティー」と呼ばれる区域がある。
言葉の通り、未成年者の集まり。
家出。
不登校。
ネグレクト。
理由はそれぞれだけど、結局は同じ。
――行き場をなくした子たちが、集まり、支え合い、
いつの間にか町から“街”へと変わっていった。
今でこそ治安は良くなったけど、
“初代キング”が統治するまでは無法地帯もいいところだった。
え?
なんで“ワタシ”みたいな子が、そんな場所にいるのかって?
……女の子にも、いろいろあるってことだよ。
“良い子”って、結構疲れるんだよ。
親も先生も大人たちも、誰も“ワタシ”を見てくれない。
自分たちにとって“都合のいいワタシ”を押し付けてくる。
ああ、気持ち悪い。
でも、この街では“私”を認めてくれた。
そんな呪縛のような鎖から解放された私は、自由に羽ばたけた。
それが――SNS。
**【Scene 3:虚構の輝き】**
自慢じゃないけど、私の踊りは上手いんだ。
子どもの頃から踊るのは大好きだった。
映像の中で煌びやかな衣装をまとって踊る女の子たちに、幼い頃の私は目を奪われた。
アイドルも、K-POPガールも、まるでお姫様みたいで。
だから、何でもやってみた。
クラシックバレエ。
K-POPダンス。
ヒップホップに、ブレイキングだってできるんだよ?
みんなが喜んでくれた。
だから私は、踊り舞って自分を表現した。
リズムもステップも関係ない。
ただ、思うままに体を動かす。
――それはまるで、真っ青な空を風と共に翔ける小鳥のように。
日に日に増えていく“いいね”とフォロワー。
私の口角が上がりきっていた頃は、気づかなかった。
そんなだから、今の状況になるまで気づかなかったんだ。
ああ……そうか。
分かった。
今の私にぴったりの言葉が。
私は――調子に乗っていたんだ。
**【Scene 4:追跡者】**
ピンクと群青のネオンが滲む街。
水たまりに光が反射し、夜の湿度が肌に張りつく。
新宿ゴールデン街の裏通りを抜ければ、
人の多い花園神社の方へ出られると思ったのに……。
今日に限って工事で道が塞がっていた。
仕方なく曲がった先は――行き止まり。
「……本当に今日は最悪。」
息が途切れた瞬間、
灯りの切れた看板が不気味に揺れ、背後から足音が迫る。
“ねぇ、何で逃げるんだよ。
僕たちはただ君と話がしたいだけなんだ。
ファンは大切にしないとね。”
欲望を具現化したような声が、夜の湿気を割く。
「ファンなのは嬉しいけど……
女の子ひとりに大勢で寄ってくるのは、どうかと思うけど?」
“いいね、その顔。
君はいつも画面の向こうで笑ってたじゃないか。
だから会いに来たんだよ。感謝してほしいくらいだよ。”
私の強がりに、男たちは嘲るように笑った。
足が震える。
冷たいコンクリートが掌に触れる。
逃げ道なんて、どこにもない。
見上げた空は、まるで今の私の気持ちを投影するように。
黒々とした厚い雲が覆い、泣いている。
静寂の中に、びりっという鋭い音が響き、布地は淡い闇に溶けていった。
調子に乗ってゴメンなさい……。
誰か……。
助けて……。
**【Scene 5:救済】**
(あぁ、そういえば……)
さっき“彼”に会った気がしたなぁ。
この後に及んで、そんなこと思い出すなんて……私、何やってるんだろ。
白馬の王子様じゃあるまいし。
現実はそんなに甘くない。
ふっ。私も最近“ゲーム”にハマってたから、そんなふうに思っちゃったのかな……。
笑ったその瞬間、現実が襲いかかる。
“ここなら誰も来ないし、いいよな?
俺ら、ずっとファンだったんだぜ?”
「やめて……!」
声は、大きな手に塞がれて闇に溶けた。
苦しい。
気持ち悪い。
息ができない。
その刹那――
「結菜から離れろ!!」
怒声が闇を裂いた。
“ドスン”という衝撃が伝わり、
私の体に纏わりついていた“影”が崩れ落ちる。
「行くよ!」
右手が差し伸べられた。
反射的にその手を掴む。
けれど、次の瞬間――その手が離れた。
「湊っ!」
彼が殴られている。
怒りの拳が何度も、彼の顔を打つ。
そのとき――
防犯ブザーの赤い光が、夜を裂いた。
“未満シティー”に備わった、Lv.4以上の危険を感知すると直ちに発動するAIシステム。
“ヤベぇ、警報が鳴った! 逃げるぞ!
警察よりキング達に見つかった方がヤバいからな!
行くぞ、立てよお前ら!”
奴らは蜘蛛の子を散らすように走り去った。
キング達もだけど、私達の場合は学校にバレるとまずいと思い、
散らばった荷物をまとめて、私だけの“秘密の場所”へ逃げ込んだ。
**【Scene 6:答え合わせ】**
「イテテ……」
赤く腫れた頬に手を当てている湊に、私は濡らしたタオルを渡した。
「ありがとう……」と笑う彼に、私はどうしても聞きたかった。
「ねぇ……なんで助けにきたの?」
愚問だと分かっている。
でも、確かめずにはいられなかった。
女の子って、そういうものだよね。
理由より、意味が欲しい。
例え……それが私の想い描いている答えじゃなくても。
彼は少しだけ息を整えて言った。
「そんなの、結菜だからに決まってるじゃん。」
“ドクン” “ドクン”
確かに胸の奥が、熱くなった。
多分……この時の私は凄く嬉しかったんだと思う。
ただひたすら真っ直ぐな瞳で私を見てくることに我慢できず、後ろを向いちゃったもんね。
「な……何よ。湊くんのくせに生意気。
そんなセリフは、カッコつける前に状況を理解してから言いなさいよ!」
――ほんっと、私ってツンデレだな。
でも、顔を上げられなかった。
心の奥では、もう決壊していたから。
「はは……そうだね。やっぱり、マーウィンみたいにはいかないね、“巫女狐神”さん。」
その一言で、私は全身に稲妻が走った。
「ど……どういうこと? 知ってたの?」
「確信に変わったのは、今さっきだよ。
西園寺って、何か不安があると髪を触るクセがあるでしょ。
学校でも、マーウィンでも。それで、やっぱりって思ったんだ。」
その瞬間、
“ワタシ”の仮面が――音を立てて落ちた。
知らず知らずのうちに被っていた“虚構”が、壊れていく。
でも、そんな私をちゃんと見てくれていた人がいた。
気づけば、涙が溢れていた。
頬を伝う温もりが、冷たい夜に滲んでいく。
**【Scene 7:月下の約束】**
ゴメン……と謝る湊が、自分の上着を私に掛けてくれた。
破れた服を見て、私はようやく気づく。
この服、気に入ってたのにな……。
「エッチ、バカ、ヘンタイ! 見ないでよ!」
そう言いながらも、心は不思議と温かかった。
後ろを向く君に、私はそっと寄り添う。
「今は……こっち、見ないで。私、男の子に泣かされたの……初めてだから……」
西園寺の震える声と共に、僕のシャツを掴む指からは、その不安とも安堵とも呼べない想いが僕に伝わってくる。
だから僕は静かに“うん”と頷き、彼女が泣き止むまで待った。
その時、扉の向こうから大きな声が響いた。
「湊ーーー!! 大丈夫かぁ!!」
陸の声だった。
「り、陸!? どうしてここに――」
ポケットの中から、ノゾミの声がした。
「湊、私が陸を呼んだんだよ。あと、防犯システムを起動させたのも……私。」
少し寂しそうに聞こえたその声に、僕は“ありがとう”が言えなかった。
「ノゾミちゃん、今回も助けてくれてありがとうね♡」
西園寺が柔らかく言う。
ノゾミが照れたように返すと、陸が首を傾げた。
西園寺は静かに指を口元に当てて“しー”と微笑む。
気づけば、雨は止んでいた。
厚い雲もどこかへ消え、夜空には丸い月。
――その光は、彼女をいっそう綺麗に照らしていた。
まるで、月の女神みたいに。
あぁ、今日は……なんて月が綺麗なんだろ。




