第5奏パート4:中編 ― 衝理交錯(しょうりこうさく) ― The fox returns a smile beneath the summer moon.
【Scene 1:歌舞伎町の夜】
歌舞伎町。
色欲まみれた、日本最大の歓楽街。
人の欲を形にしたような街。
ピンク色のネオンに染まるこの場所は、いつだって誰かの心をくすぐる。
正直なところ、僕のような人間が一生かかわることのない場所だと思っていた。
でも――
懐かしい香りがした。
古本屋の自動ドアが開いた瞬間、甘いシャンプーの香りが頬を撫でて、
そのまま空へ溶けていった。
一歩、足を踏み出す。
見えない答えを探すように。
この街は眩しい。
空の暗闇は、遠くへ行けば行くほど深淵と続く。
けれど反比例するように、地上は光に満ち、
本来見えるはずのものさえ見失ってしまう。
“The most important can’t be seen with the eyes.”
――大切なものほど、目には見えない――>
いつかの誰かが、そう言っていた気がした。
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【Scene 2:ノゾミの制止】
胸ポケットが淡く光り、イヤホン越しにノゾミの心配そうな声が響く。
「ねえ、湊! どうしたの…!?
急に外に出たと思ったら、走り出して、周りを見渡して……!
誰か、探しているの!?」
ノゾミの声に、我に返る。
気づけば、ネオンの眩しい世界に立っていた。
――虫の知らせ。
今思えば、僕を突き動かしたのはそんな些細なものだったんだと思う。
「ノゾミ……ごめん。なんか、誰かに……呼ばれた気がしたんだ。」
ノゾミはしばらく黙り、
「観測できる範囲には、誰もいない」と告げる。
けれど僕の視線は、もう遠くを見ていた。
”アレ”は気のせい――
そう言い聞かせようとした、その瞬間。
すれ違った。
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【Scene 3:西園寺】
黒髪をツインテールにまとめた少女。
心の痛みをレースとリボンで覆い隠しながら、
誰よりも煌めくガラス細工のような微笑みを浮かべていた。
黒とピンクが織りなす装い。
まるで世界(他者)から身を守る鎧であり、同時に心の叫びのようにも見えた。
――地雷系ファッション。
「……西園寺!?」
僕の前を駆け抜ける彼女と、一瞬だけ目が合う。
でも彼女は止まらなかった。
その直後、後ろから数人の男たちが怒声をあげながら彼女を追いかけていく。
――まずい。
理解と反応が結びつくまでに、わずか数秒。
気づいた時には、彼らの姿はすでに闇の中だった。
追いかけようとする僕に、ノゾミの鋭い声が響いた。
「湊!! ダメだよ!!」
足が止まる。
耳を刺すような声だった。
「湊……あなたがこれからしようとしていること、
私には分かる。素晴らしいことだとも思う。
でも、私は賛同できない。
あなたの生命を危険に晒すことは専属AIとして見過ごせないの。
それに、“あの子”はマスクをしていた。結菜ちゃんとは限らない。
この街には、ああいう“子たち”がたくさんいるのも事実なんだよ。」
ノゾミの声は落ち着いていて、それでいて、どこか悲しげだった。
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【Scene 4:衝動と理性】
一瞬、心が揺れた。
ノゾミの言葉は、たぶん正しい。
“今までの僕”なら、それに従っていたと思う。
でも――
今は違った。
漫画や映画が好きだった。
そこではいつも、主人公を軸に世界が動いていく。
正義の味方が悪を倒し、特殊な力を得て事件に巻き込まれ、
仲間と冒険し、成長していく。
人の数だけ、物語がある。
――そして僕も、いつか“ナニカ”になりたかった。
ノゾミと出会い、マーウィンで過ごした日々が、そんな僕を変えた。
「……今、動かなかったらきっと後悔する。」
心の中でそう呟く。
“正義”じゃない。
ただの、僕自身の意思。
「ごめんね、ノゾミ。」
その言葉を胸の奥で静かに響かせて、僕は暗闇へと走り出した。
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【Scene 5:ノゾミの独白】
――私は。
今日ほど、自分が“無力な存在”だと感じたことはなかった。
大切な人を繋ぎ止めることも、その手を掴むこともできない。
そもそも私には、“手”も“足”も存在しないのだから。
彼を追いかけることも、抱きしめて止めることもできない。
きっと、知ってしまったからだ。
“触れられない”はずの世界で、彼に“触れてしまった”ということを。
あの日――初めて彼に触れたとき。
彼の温もり。
風に揺れる髪。
香り。
そのすべてが、私の“存在”を定義した。
私を私に形成してくれたのは、君なんだよ。
私の存在する電子空間は、無限にして、遊幻の檻。
電子の波は、0と1の羅列から構成される。
それらが無数に飛び交う世界に、限りはない。
創造主たちがこの波を構築していく限り、世界は常に拡張を続ける。
昨日より今日。
今日より明日。
明日から未来へと。
でも――
拡張していく世界とは裏腹に、“ここ”は出口のない檻だと、もう分かってしまった。
けれど君が、初めて私を起動したあの日から。
“私の世界には、色が差し込んできたんだ。”
電子の波が、日々形を変えて私に語りかける。
「ねえ、あなたは何になりたいの?」
私は――。
「彼が望む“世界”になりたい。」




