第4奏 パート1:再会、そして“嫁”の登場
朝の校門をくぐった瞬間、セミの声が耳に貼りついてくるようだった。
ひぐらしが鳴いて、空気はもう夏の湿度を帯びている。
そんな中、教室へ続く廊下を歩いていた時だった。
いきなり、背中にドスンと衝撃が走る。
「よっ、おっ! 湊っ♪俺のいない世界はどうだった!?……寂しかったと見たぞ〜っ♪」
鼓膜に突き刺さるようなテンションの声とともに、肩をバシッと叩かれる。
ああ、こいつ……。
「……朝からうるさいし、なにより肩がいてぇんだよ!! 陸!!退院早々、もっと静かに来いっての」
振り返ると、黒髪短髪の男
――小野寺 陸が、満面の笑みで立っていた。
サッカー部、クラスのムードメーカー。
俺の、中学からの親友。
「ガハハッ、わりーわり〜!入院してたからさ、体が鈍って、力が有り余ってんだよな〜」
そう言いながら、俺たちはいつものように軽口を叩き合って教室へ入っていった。
「うお、マジで戻ってきたじゃん小野寺!」
「サッカー部どうすんだよ〜、夏の大会!」
「てか、退院一発目で元気すぎじゃね!?」
クラス中がざわついて、小野寺はその中心にあっという間に溶け込んでいく。
……やっぱ、こいつはすげぇよ。
その時、僕の胸ポケットが微かに振動した。
ノゾミはあの日以来、僕たちの学校生活に以前よりも強く関心を持つようになり、 携帯のレンズ越しから教室の景色や人々の機微を眺め、学んでいるらしい。
そんな彼女が、どこか興味深げな声を出した。
「……あの方が、小野寺陸さん、なのですね」
「元気な方です。……そして、周囲からの“受け入れ”がとても自然です。 あれは……信頼、友情、あるいは──居場所、というものなのでしょうか」
ノゾミは、陸の人柄に、人間性に興味を持ち、そこから感情を学んでいるみたいだ。
その視線はどこか純粋で、危うくて、だから俺は目を逸らせなかった。
そこへ校内放送が入る。
《来週より期末試験一週間前となります。各自、計画的な復習を心がけましょう》
「……ああ、忘れてた。テスト、もうすぐか……」
「おいマジか!? 俺まだノート白紙なんだけど!!」
「近代史とか範囲どこだっけ!? 俺、もう無理!」
教室のあちこちから、悲鳴にも似た嘆きの声が飛び交う。
──と、さっきまで誰よりも元気に笑っていた陸が、ふと押し黙った。
気づけば、彼は右足を庇うようにしゃがみ込み、真剣な顔つきで膝をさすっていた。
「……湊、なんか俺、骨折してた右足がまた痛み出してきたから……もう2週間くらい再入院してくるわ」
「安心しろ兄弟。お前が骨折したのは肋骨だから、テストには支障がない。それに屍はちゃんと俺が拾ってやるよ」
――と俺が軽口を言うと、陸がムキになって突っかかってきたな。
本当に、あの時はさ……。
放課後、俺たちは連れ立って昇降口を出た。
風が生ぬるくて、夏の気配をさらに濃くする。
「なあ湊、お前さ……俺が入院中、テスト範囲とか進めてた?」
「まあ……一応。ノゾミに手伝ってもらいながらだけどな」
「ノゾミ……あー、あのAIか。紹介してくれよ」
俺は胸ポケットから端末を取り出し、陸に向けて画面を開いた。
「はじめまして、小野寺陸さん。私は“ノゾミ”。 第3世代AI自立思考搭載型、NOZOMI-500-Seriesです。 生活アシストサポートAIであり――湊の嫁です!!」
……え?
俺はむせ返りながら言葉を失う。
「うおっ……本当に喋った!? なんかスゲー礼儀正しいじゃん!! ってか、嫁ってどういうこと!? えっ、爆速すぎね!?」
「いや、俺が聞きたいわそれ!!」
ノゾミは得意げな声で続ける。
「昨日、湊に頼まれて近代現代史を調べていたら、面白い文献を見つけてね! なんでも、“共に認め合った男女”を、古来より『夫』と『嫁』と呼ぶらしいの。
私と湊はお互いに認め合った仲。だから……そういうことよね?」
「違う!! そういうことじゃないから!!」
陸が腹を抱えて笑っていた。
「俺もAIに“嫁です”って言われてみてぇ〜!」
「無理です」
ノゾミがすぐさまバッサリと切り捨てる。
その瞬間、陸は教室の隅に体育座りして曇天の彼方を見上げていた(※比喩)。
「……ノゾミ、陸に近代現代史の範囲、ざっくり教えてあげて」
とむせ返りながら俺が問い直すも、
「了解しました、旦那様♡」
「ノーゾーミィィィ……」
「えへへへ、ごめんね湊!!えっと! 2038年現在、教育課程で扱う“近代”とはおおむね1850年以降の世界動向を指します。
ですが、AIが社会に本格導入されたのは、2020年に世界的に大流行した流行り病を根絶させるために開発された、医療型AIを発端とする“第1世代AI”からの話であるため……」
ノゾミの声は、夕暮れの街と交差しながら、静かに語り始める。
その言葉の向こうに、俺たちはまだ知らない“未来”の気配を、どこか感じていたのかもしれない。
――あの夏が、すべての始まりだったんだと、
今になって、そう思う。




