十四章*天才魔導師の愛妻(1)
私が目を覚ますと、そこは見慣れない天蓋だった。
「っ! は! ここは!」
しかし、どこかはわかる。私が魔塔に作った、シオン様のおこもり部屋のベッドだ。最上級の職人に作らせた、最高のベッドの上である。
バッと起き上がると、隣にはシオン様が寝転がっていた。
(な、な、何事!? さっきまで自分に都合の良い夢を見ていたはずだけど、これもまだ夢?)
キョロキョロと辺りを見回し、私は自分の頬をつまみ上げ、思いっきり引っ張っぱろうとして止められた。
「夢ではない」
シオン様である。
「……えーっと、どこからどこまで夢ではない?」
私は首をかしげる。
「謁見の間で、国王陛下の前にて、私がルピナにプロポーズした。退出前に君が気を失ったから連れてきた」
「なななななんで、シオン様のベッドに!?」
「問題があったか?」
「いや、問題大ありですわよ! 私がシオン様を襲ったらどうするおつもりなんですか!?」
「襲ってもかまわないぞ?」
シオン様ははにかむように笑い、私は身もだえる。
(うん、かわい! うん、最高! ではなくて!!)
「夫婦なのだからな」
ダメ押しの一押しで、私は限界である。
「だって、だって、だって、私とは契約結婚で、だから夫婦といえどもそんな不埒なことは考えてもいけなくて」
私の言葉を聞いて、シオン様は淋しそうに小首をかしげる。
「破婚のままで良かったと言うことか? 私は余計なことをしたか?」
「!! いいえ!! そんなことはありません! まさか私の無実を証明してくれるとは思っていなかったので嬉しかったです!!」
私が答えると、シオン様は肩をすくめた。
「夫なら当然だろう?」
その答えに眩暈を感じる。どう考えても夢の続きである。
「ただ、ひとつ、不思議だったのだ。君とエリカは特段仲が良かったわけでもないだろう? それなのに、なぜエリカの罪を被ろうとした?」
鋭い問いに私は顔を背ける。
「べ、べつに、エリカを庇ったわけじゃなく、その、誰も私を信じなかっただけで……」
「信じるもなにも、君はエリカのことを口にもしなかっただろう?」
さらに突っ込まれ、私は「ウッ」と口を噤んだ。
「……私には言えないのか?」
シオン様が、雨の日に捨てられた子犬のような眼差しを私に向けた。
(あああああ。もう、無理……。美しくて格好良くて……可哀想可愛いとか、完璧すぎるでしょ……!!)
私は観念して、しぶしぶだがすべてを白状することにした。
「……エリカを庇ったわけじゃありません。私は、エリカの花占いの内容を勘違いしていたんです」
「勘違い?」
「エリカはローレンス殿下と自分の未来を占ったんだと思っていました」
原作ではそうだったからだ。ルピナの悪意によって、ふたりの未来に不安を覚えたエリカは、禁忌の占いに手を出した。それによって起こった凶事を、シオン様が自分の罪として肩代わりしたのだ。だから、それを阻止したかった。
シオン様は小首をかしげる。
「それがなんだというのだ」
「……それを知ったら、シオン様が傷つくと――思ったんです……」
私は俯き、布団をギュッと握りしめた。
「私が傷つく? なぜ?」
心底不思議そうに尋ねるシオン様。
「……シオン様は……」
「私が?」
「エリカを……」
「彼女を?」
「……あ……。あ、愛して……いるから……」
言い切って俯いて、切なくて唇を噛む。
知っていて、わかっていて、勝手に好きになったのは私だが、それでもそれを言葉にするのは、苦しくて。
案の定、シオン様は呆気にとられた顔をした。
きっと、私がシオン様の思いを知っていたことに驚いているのだろう。
「……ただ、それだけのために? 魔塔を捨てる覚悟で罪を被ろうとした……のか……?」
私はただ俯くだけだ。
馬鹿だと思うかもしれないが、私にとっては重要なことだった。
シオン様の幸せが私の幸せだ。そのために生まれ変わったと言っても過言ではない。
シオン様は大きくため息をついた。
「君はなにか勘違いしているようだ。私はエリカを愛していない」
「は? そんな、嘘を……」
驚き顔を上げる私の瞳を、シオン様はジッと覗き込む。
「ちゃんと聞いてくれ」
シオン様の黒い瞳に、私の姿が映っている。
「妹のようにかわいがってはいたが、エリカを恋愛対象としてみたことはない」
「だって、そんな……信じられない……」
呟く私を見てシオン様は奥歯を噛みしめた。
「……ルピナにはわかってもらわねばならないな」
シオン様はそう言うと、布団を握る私の手を取った。
一本一本丁寧に布団から指を剥ぐ。
そうして、私の両手をシオン様の両手が包み込んだ。
「私が愛しているのはルピナ。君だけだ」
「お金が目当てだったらそれでいいんですよ? 別に私のことを愛していなくても、研究を止めたりしませんから!」
「どうすれば信じてくれる?」
シオン様がズイと顔を寄せた。
「ちかいちかいちかい!!」
鼻と鼻が触れあってしまいそうだ。
「夫婦ならこれくらい当たり前だろう?」
抵抗しようとしても、両手はシオン様に捕まれている。
優男のように見えても、力は強くほどけない。
「だめですだめですだめです!!」
「なぜだ? そんなに私が嫌か?」
「シオン様が穢れちゃうっ!! お婿にいけなくなっちゃうわ!」
錯乱して答えると、シオン様はプッと噴き出した。
「今更ほかの者へ婿入りなどできないだろう?」
「へ? それは、どういう……」
シオン様の額が私の額に重なる。温かい硬さに、ここにいる生身の人なのだと実感する。
(ぎゃぁ! 私の息がシオン様にかかっちゃうっ!)
慌てて息を止める。
夜のとばりのようにシオン様の黒髪が落ち、私たちを隠す。
「……許してほしい……」
かすれた声で許しを請われて、私はギュッと瞼を閉じた。
シオン様の両手が私の両手を離す。
その手は私の頬を包み込む。
シオン様の鼻先が、私の鼻を撫で、固く閉ざした唇を指先がなぞる。
(もう無理。もう無理、息ができない!!)
私は自由になった手で、シオン様の胸を押し返した。顔を逸らして大きく息をつく。
「も、もう無理です!! 今日は推しの摂取過剰! キャパオーバーです! おねがいしますゆるしてください!! 幸せが過ぎて死んでしまう~~!!」
「……推し……か……。崇拝する相手と言っていたな」
「そうです! 私にとってシオン様は神と同意! そんなシオン様に私が不埒な思いを抱くなどバチが当たります!」
「……バチが当たる……」
シオン様は呆れた声でため息をつき、ベッドにごろりと横たわった。
「わかってもらわなければならないことがまだありそうだな……」
天蓋を仰ぐ目は、虚無の色だ。
「……シオン様? あの、別に、私、シオン様が嫌だとかではなくてですね?」
「それはわかるが。理解不能だ」
「あの?」
顔を覗き込む私をシオン様は引っ張った。
思わずシオン様の隣になだれ込む。
「結婚式を挙げないか。私が準備できるのは些細なものだが許してほしい」
「でも、それは」
「私が君と一緒にいれば幸せなのだと皆に示したい」
シオン様が私を見る。
「もう、破婚だと言わせないように。私がよそに婿入りできないように」
シオン様はそう笑い、小さく強請る。
「……やっぱり、……だめか?」
私はズキューンと胸を打たれた。
(なんてかわいい! なんてあざとい!! もうもうもう!! どうにかなりそう!!)
襲ってしまいそうな自分の押さえるために、ガバリとベッドから起き上がった。そして決意表明をする。
「だ、だ、ダメなことあるもんですか!! シオン様の願いは私が全部叶えるんですからね!! なにをしても、シオン様を幸せにするんですからね!!」
私の答えに、シオン様は笑いながら起き上がる。
「では、私はルピナを幸せにすると誓おう」
そうして、私の左手を取ると手の甲にキスを落とした。







