十一章*大聖女エリカ、未来を占う(2)
私は霧雨の中、ポツンとひとりぼっちだ。あまりの孤独に泣きたくなる。
(シオン先生……。シオン先生……。私、なにを間違えたのでしょうか? どうしたらいいんですか?)
侍女はおろか、先日まで仲が良かったはずの聖女見習いにまで冷たくされるようになってしまった。
ローレンス殿下も会いに来てくれない。
涙がポツリと鍵に落ちた。
私は慌てて濡れた鍵を拭う。そして、鍵穴に鍵を差し込み門を開いた。
私は花園を見て小さくため息をついた。
ここのところ、聖花の元気がないのだ。
(まるで、今の私みたい……)
半透明の花びらを持つ聖花は、神聖力を受け溜め込み増幅させる性質を持つ。純粋な神聖力を受けて育った花は、限りなく透明に近くなり、強い神気を発するようになるのだ。神気は瘴気を滅し、邪悪なものを追い払う。
しかし、今、この花園の花は勢いをなくし、咲いている花も黄色や紫、空色など、仄かに色が混じってしまっている。
(どうして透明になってくれないの?)
聖女見習いとして、花園を管理してきたときは、誰よりも上手に花を育てていた。
土いじりを嫌う貴族出身の聖女たちとは違い、私は花を育てるのが好きだったからだ。喜んで汚れ仕事を請け負ってきた。
(たぶん、私が大聖女になれたのは『花占い』の実力だけじゃない。花園の管理も見込まれたから……)
今も、同じように土にまみれて育てている。
(それなのにどうして?)
私自身はなにも変わっていない。
(それなのに、大聖女就任パーティーからなにかがおかしくなっている……)
私は元気のない花たちにジョウロで神聖力をまぜた水を浴びせながら、考える。
婚約式後、ローレンス殿下と国王陛下のあいだで一悶着あったのを聞いている。どうやら、婚約式はルピナ様との和解の場でもあったらしい。しかし、失敗してしまった。
(私たちの婚約式で、ルピナ様と和解しようとしてただなんて知らなかった……)
私は不安が押し寄せてくる。
(国王陛下は今でもルピナ様のほうが王子妃に相応しいとお考えなのかもしれないわ……)
そして、思い至る。
(だから、ローは顔を見せないのかも……。私、捨てられてしまうの?)
お腹の底がギュッといたくなる。
両親が疫病で亡くなり、ひとりぼっちになった十二歳。お金が尽き食べるものがなくなったころ、親切だった隣のおじさんが食事を分け与えてくれるようになった。
(優しいと感謝してたのに突然襲いかかってきた……)
自分の置かれる環境が変わると、周囲が豹変することを知っている。
(あのとき、シオン先生が助けてくれなかったら私――)
シオン先生と出会い、私の人生は好転した。そして、シオン様がルピナ様のもとに行ってから、私は暗転しはじめてきている。
(シオン先生がこのままいなくなってしまったら――)
ゾッとして自分自身を抱きしめた。ジョウロから水が零れる。水がかかった聖花は、黒くくすんだ。
(ああ、こんな不吉な色……誰にも見せられない)
私は花の前に跪き、黒くくすんだ花弁を摘み取る。
(ローはもう、シオン様を助け出すつもりがない気がするわ。そうなれば、シオン先生は捕らわれたまま。私は相談すらできなくなってしまう。……そうしたら、私はどうしたらいいの? 助けて……。シオン先生……)
私はうずくまって地面に手をつく。
温かく柔らかい地面は、冷たい王宮の床とは対照的だ。ピンク色の花びらがフワリと落ち、その上に黄色の花びらが重なる。
私はそれを見て天啓を受けた。
(そうよ。花占い! 私には花占いがある! ローがなにもしてくれないなら、私がシオン先生を取り戻してみせる!!)
花占いの能力には自信がある。
聖なる花園には、この国で一番精度が高い花占い用の水盆があるのだ。この水盆は国家行事でのみ使われるもので、私利私欲な使用は許されない禁忌だ。
(神殿の許可なく使うことは許されない――)
私は周囲を見回した。いつもどおり誰もいない。私が大聖女になってから、なぜか花園の管理を手伝うものが日に日に減っていき、今は私ひとりでするようになっていたからだ。
(でも、今なら占える……)
ゴクリ、固唾を呑む。
(そうよ、シオン先生を助けるためだもの。大丈夫。私利私欲じゃないわ。王国の未来を悪女から守るためだもの。正義のため! みんなのためよ!)
私は奮起して聖花を一本摘み、水盆の前に立った。
(これは聖女としてすべき義務だわ!!)
そして、神聖力を水盆の水に注ぐ。
(聖なる花よ。偉大なる神よ)
水盆の水がピンク色の光を放ちユラユラと揺れだした。
ゴクリ、私は息を呑む。
そして、ピンク色の光に聖花をかざした。
(シオン先生を助け出す方法を教えてください――)
花びらをちぎり水盆に入れ、真摯に祈る。
すると、水盆の中の花びらが神託を伝えるべく、動き出した。半透明な花びらが、真っ黒に染まり渦を描くように禍々しく回転する。
「っ!」
一見して凶事だとわかる結果に戦いた瞬間、水盆の水が噴水のように吹き上がり周囲に水しぶきをまき散らした。
水を受けた聖花はことごとく、黒く爛れた。
「なんてこと……!」
あまりの出来事に私はゾッとした。
これでは、花園の神気が減り、王国の瘴気が抑えられない。神殿に納める花も減り、ポーションも作れなくなる。
「……私が勝手に使ったから……? でも、私利私欲じゃないわ! みんなのため、シオン先生のためなのに……どうして?」
私は涙を流してその場に跪いた。
禁忌を犯した対価の大きさに怯え震える。神気が大きく損なわれ、このままでは王国に凶事が訪れるだろう。
「どうしよう……どうしたら……」
みるみるうちに頭上が陰ってくる。
空を見上げると黒くて大きな雲が湧き上がっていた。
稲妻が走り、雷鳴がとどろく。
王宮神殿に雷が落ちたのだ。
「!!」
ザッと雨が降り出して、私はその場に頭を抱えてうずくまった。
(これは罰なの!? 私は神にまで見放されたの?)
シオン先生は私のもとに戻らない。聖女見習いの仲間たちも去っていった。ローレンス殿下も、もしかしたら――。
ガシャンと門が開かれる音がして私は悲鳴をあげた。
「ひぃっ!」
「大丈夫か? エリカ! 神殿のほうに雷が見えたから」
息を切らしたローレンス殿下の声に、恐る恐る振り返る。彼は、ずぶ濡れで跪く私を見て言葉を失った。
花占いの水盆からは水が涸れ、周囲の聖花は黒く爛れている。
「……エリカ……なにがあったんだ?」
「シオン先生を助け出す方法を占ったらこんなことに……」
「……! なんてことを! 私利私欲の占いは禁忌だ――」
「でも、シオン先生を助け出すのは私利私欲じゃないですよね? 未来の国のためですよね?」
私が確認すると、ローレンス殿下は困ったようにため息をついた。
「……え……? ちが、うの? わたし、みんなのためを思って……」
私は涙が溢れ止まらない。
(ローもこれを見たら愛想を尽かす? 見放されてしまう?)
恐怖で体がガタガタと震えてくる。
(怖い、怖い、怖い。ひとりぼっちはもう嫌! 怖い!!)
ローレンス殿下は泥にまみれるのも厭わずに私の前に跪いた。
「そうだな。エリカ。シオンのことは私利私欲じゃない」
「ロー……」
その姿に私は胸を打たれる。
「大丈夫だ。エリカ、心配するな。これは君のせいじゃないよ」
ローレンス殿下は泣きじゃくる私の背を、ユックリとユックリと撫でた。
「ほんとうに?」
「ああ、本当だ」
「私のせいじゃない?」
「君のせいではないから気に病むな」
「でも、花が……」
「オレがなんとかする。オレを信じろ」
ローレンス殿下に優しく言われ、私は彼に抱きついた。
「ロー! ロー! あなただけを信じるわ!」
ローレンス殿下は力強く私を抱き返した。
「そうだよ。エリカ。君を愛しているのはオレだけだ。だからなんでもオレに頼ればいい。エリカが一生オレだけを信じてくれたなら、オレのすべてを……生涯を君に捧げる。君からずっと離れない」
「うん! うん! 私には、ローだけよ! 一生私のそばにいて!」
「いい子だ、エリカ。愛しているよ」
ローレンス殿下は私の頬を包み込み、涙に口づける。
私たちは泥まみれになりながら、永遠の愛を誓った。







