九章*王子ローレンス、魔導師奪還を企む(1)
オレは王宮内のホールで、エリカがやってくるのを待っていた。
今日はエリカが王宮内で王子妃教育を受けてから、神殿で大聖女の勤めをおこなう予定になっている。神殿に行く前のエリカと待ち合わせ、ひとときの逢瀬を重ねるのがオレの最近の楽しみだ。
ホールに繋がる廊下の先に侍女を連れたエリカが見える。白い大聖女の制服を着たエリカは、清廉で可憐だ。オレに気がつくとエリカは手を挙げ小走りで駆け寄ってきた。
その姿は、次期王子妃としてはマナー違反で付きしたがっている侍女は眉を顰めた。
しかし、オレのためにマナーを破る姿は愛らしく注意しようとは思えない。
「ロー。会いたかった……!」
ピンク色の瞳がウルウルと潤み、オレを上目遣いで見上げてくる。あまりにも幼気で可愛らしい様子に、もっと頼ってほしくなる。
「エリカ。なにか困ったことはないか?」
尋ねるとエリカは、困ったように微笑んだ。
「ううん。大丈夫!」
平気そうに見せてはいるが、最近エリカが疲れていることはわかっている。大聖女として務めも増え、また王子妃教育もあり、両立が大変なのだ。
平民出身の彼女は、淑女としての基礎的なマナーがわかっていない。そのうえ、貴族令嬢のあいだに流れている空気感が読めないのだ。王子妃となるには、学ぶべきことが多すぎるようだ。
「最近忙しいと聞いている。休みをとるようオレから言っておこう」
「やめて! ロー! 私、頑張って勉強しているの。はやく、ローに相応しい人間になりたいから!」
エリカが必死にそう訴え、オレはいじらしいと思う。
「そうか、エリカがそう言うなら、オレは口を挟まない」
エリカはその言葉を聞き、安心したように頷いた。
「……ところで、ロー……。シオン先生を助けなくていいの?」
エリカに尋ねられ、オレの心に影がよぎる。
(シオン……か……。シオンは自らルピナのもとにいると言っていた。それに、ルピナのもとへ行ってからシオンの評価はうなぎ登りだ。戻ってきたいと思うだろうか)
オレはため息をかみ殺し、エリカを見る。
「シオンは戻ってきてくれるだろうか?」
「え?」
オレの言葉に、エリカは信じられないといった顔で瞬きをした。
「あ、いや。シオンなら自分で逃げてこれるだろう? そうしないのは理由があるのではないかと思ってな」
「そんな! シオン先生だって私たちが助けにくるのを待ってると思います! ルピナ様のせいで逃げられないだけです!」
エリカはなんの疑いも持たずに答える。自分がシオンにとって大切な人間だと信じ切っているのだ。
オレにはそこまで自信が持てない。
(オレにはシオンが必要だが、シオンははたしてオレが必要なのだろうか?)
そう考えると取り戻すのは難しいように思えた。
(シオンはオレにとっても必要だが、エリカがシオンに頼るのも気に障る。エリカには俺だけを見てほしいのに)
複雑な思いが心の中に渦巻く。シオンの力はオレに必要だ。しかし、エリカに関わるシオンは邪魔だ。相反する思いが判断を鈍らせる。
そんなオレにエリカは怪訝そうな顔を向けた。
「ロー? どうしたの? まさか、シオン先生を見捨てるの?」
「……そんなわけないじゃないか……」
曖昧に返事をすると、エリカは不安気にオレを見た。その表情をシオンがさせたかと思うと心が乱れる。
(ルピナがシオンにしたように、エリカを攫って閉じ込めれば良かった。そうすればこんな思いなど抱かずにすんだのに)
薄暗い思いがよぎる。
(今からでも……)
そう思いかけたとき、国王陛下の使いが現れた。
オレの侍従に耳打ちをする。
すると侍従がオレのそばまでやってきた。
「国王陛下がお呼びです」
侍従の言葉にオレはドキリとした。
「国王陛下がお呼びだそうだ。今日はこれで失礼する」
オレはそう言ってその場をあとにした。エリカの名残惜しそうな視線を背に感じながら。
オレはツカツカと国王陛下の書斎に向かっていた。
嫌な予感がする。母は身分が低い側妃で、オレはほかの兄弟たちと年の離れた末弟だ。父は、オレが王太子となるとはみじんも考えておらず、帝王学を学ぶこともなく伸び伸びと育てられていた。
しかし、オレはそれが不満だった。盤石な基盤を作り王太子候補に名乗りをあげる、それがオレの目標だ。シオンとともにその夢を追い、今まで上手くやってきたはずだった。
それなのにどうも、ルピナと婚約破棄してから上手くいかない。
エリカはオレのことを『王子様』だと認識しているが、王位継承権は低く、発言力もない。宮廷でのポジションは高くはないのだ。
今まではセレスタイト公爵家からも、ルピナの婚約者として相応しい暮らしができるようにと維持費をもらっていたのだが、当然のごとく婚約破棄と同時にそれもなくなった。
(エリカが思っているほど、オレには金も権力もない)
思わずため息を吐く。
そのうえ、身寄りのないエリカには、ドレスを準備してくれる者もいないため、すべてオレが用意しなければならないのだ。
(今まではシオンが準備してくれていたのだが。ルピナに拉致られてからは連絡もままならない)
シオンに解決してほしいことばかりが山積みになっていく。
会議での発言も、管理部署の運営も、すべてシオンのアドバイスを受けていた。邪魔なライバルはシオンが足を引っ張ってくれていた。
しかし、シオンがいなくなってからライバルたちが台頭しはじめ、切れ者だと評判だったオレなのに、最近の評価は「精彩を欠く」だ。
シオンのアドバイスをもとに書いた研究論文も、シオンがいなければその先の研究はできない。そのうえ、研究の盗用を疑われ、多くの知人たちから遠巻きにされ始めていた。
(こんなはずではなかった。大聖女エリカと婚約することで周囲を味方につけ、シオンの協力で邪魔者を追い落とせば、王太子の座も狙えたはずなのに)
シオンがいなくなってから、すべてが狂い始めている。
国王陛下の書斎をノックする。
「ローレンスがまいりました」
名乗ると内側からドアが開かれた。
国王陛下はソファーに腰掛けたまま、視線でオレを座るように促した。
「失礼いたします」
オレは国王陛下の前に腰掛けた。
「ローレンスよ……。最近のお前の評判は伝わっているか?」
問われて、唇を噛み俯いた。
「大聖女エリカも王子妃としての資質は欠けると聞いている。王宮神殿での務めも遅刻しがちだとか」
「……まだ、宮廷に不慣れなためでしょう」
「今日もお前と話し込んでいたと聞いている。偶然会ったのか? 意図的なのか? 毎度だと聞くが」
そう指摘され、オレは拳を握りしめた。
(侍女か侍従が告げ口したんだな。たまの逢瀬くらい見逃せば良いものを。どうせ嫉妬なのだろうが)
忌々しく思うが、オレには彼らを罰する権限はない。
無言になるオレを見て、国王陛下は大きくため息をついた。







