八章*悪妻、魔塔を管理する(5)
「この悪妻が! 本当にシオン殿の幸せを願うなら、宮廷に復帰させるべきだろう? 男は誰でも名誉を重んじる。宮廷で要職に就きたいとシオン殿も思っているはずだ!」
私はプッと噴き出した。
「やだ。それがどれほどの名誉です? よっぽど私の夫だということのほうが誇らしいではありませんか? 宮廷の要職などいくつもありますが、私の夫の座は世界でひとつだけでしてよ?」
「なんて傲慢な! 勝手に拉致したことは全員が知っているぞ?」
「そうだ、愛されていない悪妻が!」
私は静かに彼らをねめつけた。思わず低い声が出る。
「だったらなに? 愛されていなかったら問題があるわけ?」
私がシオン様から愛されていないなど百も承知だ。シオン様が生きていればそれだけでいい。私のことを嫌っても憎んでも、エリカのことを愛していても、それでいいのだ。
研究者たちは私を見上げると、顔を蒼白にして一歩さがった。
その視線が私の目線より上なことを不審に思い振り向くと、そこには気配もなくシオン様が立っていた。しかも不穏なオーラが立ち上がっている。
(いきなりの推し! なんで怒ってるかわからないけど、それも格好いい……)
私が息を止めてよろめくと、シオン様は優しく私の肩を抱いた。
(ぁぁぁぁぁ……シオン様のお手を煩わせてしまったぁぁぁぁ)
混乱している私をよそに、シオン様は研究者たちを見おろした。
「なにを根拠に私が彼女を愛していないと?」
シオン様が静かに尋ねる。しかし、その穏やかな声は明らかに嵐の前の静けさのような、不安を煽る要素があった。
研究者のひとりが怯みつつも答える。
「……強引に攫われたことは周知の事実だ。そ、それに、それほどの能力があるのなら、女に飼い殺しなどされず、きちんとした施設で研究に励んだほうが君の将来のためだ」
シオン様はそれを聞き、冷たい視線を研究者たちに向けた。
「あなた方は誤解されているようだ。拉致されたように見えたのなら謝罪するが、あのときは突然のことで驚いただけだ。私はルピナのもとから去るつもりはない」
シオン様はそう言うと私を見た。
(推し、推しが私のもとを去らない宣言!! もうこれ以上は望まない!!)
言葉にならない想いを伝えるべく、ひたすらコクコクと頷いた。
それを見て、シオン様はクシャリと微笑む。
「……! 魔術アカデミーの研究室に助教のポジションを用意する! そんな悪妻に尻に敷かれていては後悔するぞ!!」
「そんなものには興味はない。これ以上私の妻を侮辱するなら失礼する」
そして、私の肩を抱いたまま帰宅を促した。
「さあ、ルピナ、帰ろう」
私はいまだ声も発せず頷くことしかできない。
(妻……! 私が、シオン様の妻!! 何度聞いてもなれないわ……)
シオン様の過剰摂取で私はさらによたついた。
「? 大丈夫か? ルピナ」
耳元で囁かれる美しすぎる声に畳みかけられ、私は推し摂取限界を突破した。これ以上摂取したら、致死量である。生命の危険を感じた私は必死になる。よろめいている場合ではない。
「もう! 大丈夫じゃありません!!」
涙目で抗議する。
シオン様はそれを見て狼狽える。
「……!? いや、私がなにかしたか?」
「格好良すぎるんです! 自覚してください!! 『私の妻』とか言われたら嬉しくなっちゃうでしょう? どうしたらいいかわからないでしょう??」
ぶち切れる私を見てシオン様は目を丸くし、噴き出した。
「そ、そうか。それはすまなかった……っ」
謝罪の言葉を発しながらも笑っているシオン様。
「ぜんぜん反省してないですね?」
「いや、私の妻は可愛らしいなと……」
「ほら! また!!」
怒り狂う私を見て、研究者たちは呆気にとられている。
シオン様は私の背を抱きつつ、研究者たちに振り返った。
「では、また。研究の相談はさせていただけるとありがたいです」
シオン様はそう言うと私と一緒に講堂をあとにした。
*****
その後、シオン様は薬草と魔法の研究者として認められることになった。
下級魔導師だったシオン様は、中級を飛び越え上級魔導師に認定されることになったのだ。
また、シオン様が管理する魔塔は研究施設として注目されるようになり、ほかの研究者たちからも共同研究を求められるようになった。
民間人向けのわかりやすい本の出版や、新しい魔導具の開発までおこない、めざましいほどの活躍である。漆黒魔術師と蔑まれてきたのが嘘のようである。
(シオン様の実力がみんなに認められてよかったわ~!)
私はご満悦である。
逆にローレンス殿下の立場は危うくなっているようだ。シオン様の論文内容から、ローレンスが過去に書いた論文は実はシオン様が書いたものではないかと囁かれ始めたのだ。
シオン様にも問い合わせがあるようだが、シオン様はかたくなに口を噤んでいる。
(原作でもそうだったけど、義理堅いというのか……。そこもシオン様の魅力なのだけれど……)
ローレンス殿下のほうは疑惑を向けられまいと必死の様子で、「研究はやめたのだ」と吹聴しているらしい。
(シオン様に関わってこなければ、どーでもいーんだけど……)
私はひとつため息をつく。
(そう簡単にはいかないわよねぇ……)







