八章*悪妻、魔塔を管理する(3)
「怪我っ!」
子供はなにが起こったのかはじめて気がついたようで、みるみる顔が赤くなり口元がひしゃげる。
「わーん!!」
火がついたように泣き出す子供に私はオロオロと動揺する。
「やっぱり、ノコギリなんてまだ――」
「救急箱を持ってきなさい。血止めの薬はわかるか?」
私の言葉を遮るようにシオン様が子供たちに指示を出す。
子供たちはハッとして救急箱を取ってくる。
「消毒! 消毒だよね?」
「先に洗うの?」
指示を仰ぐ子供たちにシオン様は的確にアドバイスをする。
治療をする年長の子供に、怪我をした子供を励ます小さな子供たち。
「大丈夫? 痛いの飛んでけー!」
「シオン様のお薬、効くからね」
静かにノコギリを片付ける子もいる。
怪我をした子供も次第に落ち着いてきて、鼻をすすりつつションボリと反省をしている。
「やっぱり、オレはなにやってもダメ。運が悪い」
するとシオン様はそのこの前に屈みこみ、ジッと見つめた。
「そんなことはない。失敗は誰にでもある。失敗に学びを見いだすか、それを不運だったと片付けるかで、ダメな人間とそうでない人間をわける」
シオン様がそう言うと、その子はたじろいだ。
「君はどうして怪我をしたんだ? 本当に運が悪かっただけか?」
シオン様が尋ねると、子供はモジモジと答えた。
「ノコギリ、肩トントンした」
「どうだった?」
「痛かった。それに、みんなに心配かけた」
「次はどうしたらいい?」
「ノコギリ、ちゃんと扱う」
「そうだな。刃物を扱うときは注意しないと怪我することがわかった。それに、どれだけ痛いかも知った。君なら、同じ思いをしないように、ほかの子にもさせないように、次は注意できるだろう?」
怪我をした子は力強く頷いた。はじめのころに比べ、少し大人びた顔つきになっている。
「うん。オレ、次はちゃんと注意する!」
シオン様はそれを見て優しげに微笑む。
「間違いを失敗にするか、次に成功するための情報にするか、それは自分次第だ」
「うん! わかった!」
「そうしたら、心配かけたみんなになんて言ったらいいと思う?」
怪我をした子供はみんなに向き合ってぺこりと頭を下げた。
「心配かけてごめん! それに、助けてくれてありがとう!」
不安げだった子供たちは、その言葉でパッと笑顔になる。
「ううん! 大丈夫?」
「もう怪我しないでね?」
口々に声をかける子供たちが微笑ましい。
「みんな、怪我にも対処できて素晴らしかった。薬の扱いもちゃんと覚えているな」
シオン様がそう褒めると子供たちは満足げに胸を張る。
私は体から力が抜け、ホッとため息を漏らした。
(さすがシオン様だわ……。経験させて学ばせる。私はどうしても心配が先になってしまうけど、こうやって失敗を体験させることも必要なのね)
自身が怪我をすることで、他人の痛みも想像できる。危ないと言われる理由に想像が働くようになる。危ないからとなにもかもを取り上げていては育たない部分だ。
「怒ったり否定したりするのではなく、諭し導く……。やっぱりシオン様に任せてよかったわ」
私が惚れ惚れとしてシオン様を見つめると、シオン様は気まずそうに咳払いした。
そして、私が持っている書類に視線を向ける。
「その書類は?」
「あ! 先日出した論文が学会賞を受賞したようですわ。内容が素晴らしく学会発表をしてほしいとのことです」
私はシオン様に書類を手渡す。
シオン様は魔塔に来てから、意欲的に論文を発表しているのだ。今までローレンス殿下とエリカのために使っていた時間が空いたうえ、魔塔には資料も研究設備も整っている。
今まで使えなかったシオン様の本領を発揮してもらっただけで、あっさりと成果が現れた。
(というか、今までは自分の研究成果をローレンス殿下に渡してしまっていたから、シオン様は正当な評価が受けられなかったのよ)
ローレンス殿下は、「黒髪の下級魔導師の書いた論文では正当な評価は受けられない。研究を正当に評価させるために自分が代わりに発表してやる」とシオン様を丸め込んでいたのだ。
悲しいことに、この世界においてローレンス殿下の言い分は間違っていない。評判の悪いシオン様名義で論文を発表したとて、査読の段階でなかったことにされてしまう。
シオン様もそれをわかっていたからこそ、自分の名誉より社会貢献を選び、ローレンス殿下の意見に従っていた。
しかも、原作では、シオン様はローレンス殿下のことを、発表する機会がない自分の論文を、代わって発表してくれた恩人だと感謝すらしていたのだ。
(でも! 本当にシオン様のことを考えるなら、王子であるローレンス殿下が意識改革をおこないなさいよ!! 筆頭著者にシオン様の名前を連名で入れればいいだけだったじゃない!! そうしなかったのは横取りする気満々に思えるわ!)
私はシオン様の不当な評価を覆すべく、論文の筆頭著者にシオン様の名前を堂々と書き記し、アカデミーの名誉教授に責任著者となってもらった。
シオン様は私の婿となり、セレスタイト公爵の名字となったことで無下には扱えなくなり、名誉教授が責任著者としてあいだを取り持つことで、もみ消しを事前に防いだのだ。
もみ消しさえなければ、シオン様の論文が評価を受けることはわかりきっていた。ローレンス殿下に奪われた論文の数々は、さまざまな賞を受けていたからだ。
シオン様は書類を見て感慨深そうにため息をつく。
「まさか、本当にこの論文が受賞するとは……」
すると、ケンタウルスのケンタウレアがやってきた。
「銀竜草の発見と薬効が認められたのか」
ケンタウレアの言葉にシオン様は頷く。
「あなたのアドバイスのおかげだ。ありがとう」
「いや、私も違う知見が得られて面白かった」
シオン様とケンタウレアはふたりで協力し合い、研究をしているのである。
はじめはドラゴンの治療のために採取してきた銀竜草だが、魔法を増幅させる効果があることがわかった。応用すればいろいろな魔法が発展する可能性を秘めていることが、ふたりの研究で明らかにされたのだった。
「しかし、さすがに最終著者名に『ケンタウレア』が載る日がくるとはな……」
しみじみと呟くケンタウレアだ。人間界の論文にケンタウルス族の名が載ったのははじめてなのだ。ケンタウルスの存在自体が伝説で、存在を知っている者たちはその存在を隠し搾取してきたためである。
「さあ、学会発表に向けて準備をしましょう! お祝いもしなくちゃね! 学会発表で着る服も作らなくちゃ。シオン様の黒髪を引き立てる服……ああ、黒髪は何色でも似合うから迷っちゃうわぁ」
ウキウキする私をケンタウレアが見て苦笑する。
シオン様は気まずそうに頬を赤らめ視線を逸らした。







