七章*悪妻、休暇を満喫する(5)
「さ、シオン様、中へ入りましょう。あのような者に、あなたの魔力を使うのは惜しいですわ」
私は杖を持つシオン様の手を両手で包み込んだ。
冷たく乾いた手が、ガチガチに杖を握り込んでいる。
「しかし、あなたを侮辱した……」
「いいのよ。どうせ、帰り道は苦労するんですから、シオン様が手を下すまでもありませんわ」
シオン様はしぶしぶ頷くと、のろのろと杖を懐にしまった。
私はオリバーを一瞥し、ニッコリと微笑んだ。
「迷わず気をつけてお帰りくださいね? 夜になるとクマもモンスターも出るそうですわよ」
私の言葉に従者はガタガタと震えた。
「は、はやく、山を下りた方がよろしいのでは?」
従者の言葉に、オリバーは私を見た。
「あ、あの、登山列車を動かしてはくれまいか?」
私は無言でオリバーを見る。
「その、か、貨物でいい! いや、動かさなくていい! 貨物室に一晩入れて」
私は鷹揚に微笑む。
「いいえ。お帰りくださいまし。ログハウスも駅も、不法侵入された場合は、命の保証はできなくてよ?」
そう答え、シオン様の背を押しログハウスに向かう。
「すまなかった。申し訳ない! 俺はローレンス王子殿下に頼まれて、だから……本心ではなく……そもそも、シオンが、そうだ、シオンが――」
私はログハウスの玄関前でオリバーに振り返った。
「それでは、せいぜいお気をつけ遊ばせ!」
そして、木のドアをバタリと閉めた。
私は背中をドアにつけ、思わずため息を吐いた。
シオン様が私を見ている。
「……すみませんでした。騙すように旅行に連れ出して。パレードのことを知って驚きましたよね……」
私は俯き謝る。
「いいや。知っていた」
シオン様の答えに私は驚き顔を上げた。
「は? 知って……、いつから……?」
「旅に出る前から、噂は聞いていた」
「でも、シオン様は魔塔に監禁していて……」
「あなたが情報統制していたのも知っている。私には私の情報網がある」
シオン様の言葉に、私は息を呑んだ。眩暈がする。
それはそうだ。シオン様は魔導師としての能力はこの国随一なのだ。自分で情報を集めようと思えば集められるにちがいなかった。
なにしろ、魔塔の封印を破って公爵家に現れることができる人だ。ローレンスとエリカがシオン様を取り返しに来た日、タイミングよく現れたのも、きっと独自の情報網を使ったのだろう。
「……あ……、最低ですよね……、私。軽蔑してください……」
俯きドアに背中を押し当てる。恥ずかしくて逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
「軽蔑などしない。ただ、なぜそんなことをしたのか気になるが」
私は正直に打ち明けた。
「シオン様に、あのふたりのことを知られたくなかったんです……。世間の噂が耳に入ったら、魔塔を抜け出しどこかに行ってしまうんじゃないかと」
ギュッと唇を噛む。
「そうか」
シオン様の声になぜか笑いが含まれていて、私は恐る恐る顔を上げた。
「要するにあなたは、私をあのふたりに取られたくなかった……ということか?」
尋ねられて、赤面する。
(ちょっとニュアンスが違うんだけど……)
間違っているかと問われるとそれも違う。あのふたりにシオン様の人生を振り回されたくなかった。
「意外とかわいいことをするのだな」
シオン様はそう言うと納得したかのように微笑んだ。
「さあ、いつまでもそうしていないでリビングへ行こう」
シオン様は機嫌良くそう言うとリビングへ向かっていく。
「あ、あの! シオン様! でも、なんで、知っていたのにこの旅行を受け入れてくれたんですか?」
黒髪の流れる背中に問いかける。
「パレードで湧く王都にいたら、ルピナがゲスな噂の的になると思ったんだ。だったら、一緒に王都を離れる良いチャンスだと思ったのだが、迷惑だったか?」
シオン様は振り向かず答える。
あまりのことに、その場にグズグズと座り込んだ。
「シ、シオン様が……私なんぞのために? 旅行を? は? ……嘘でしょ?」
意味がわからず、頭の中は混乱している。
リビングからシオン様の声が響いてくる。
「ルピナ、初夏といえど山の中はまだ寒い。暖炉をつけてくれたそうだ。チーズを温めて夕食にしないか」
まるで、家族にかけるような言葉が、胸の奥を暖める。
目尻に熱いなにかがたまって、私はそれを手の甲でキュッと拭き立ち上がる。
「はい!」
そうして、シオン様のもとに向かって駆けだした。







