七章*悪妻、休暇を満喫する(3)
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そうして、てんやわんやしながら私たちは豪華寝台列車の終点の駅へとやってきた。
ハルニレ山脈の麓を開発したリゾート地で、冬は雪を楽しみ、夏は避暑地となるのだ。山際の一等地にはループス商会のリゾートホテルがあり、今回の乗客のほとんどはそこへ泊まる。
また別荘地としても開発中の地域でもある。
私とシオン様は登山列車を使い、さらに上を目指す。
(シオン様のために、まだ観光地化されていない場所へログハウスでコテージを作ったのよ。周囲は薬草の宝庫だから、きっと世間の喧噪から逃れられるはず)
私はほくそ笑んだ。
王都でおこなわれる新大聖女就任パレードの噂が届かない場所へ、シオン様を連れてくるのに成功したのだ。
一ヶ月ほどここで過ごし、パレードが終わったころに王都に帰ればいい。
ログハウスには少ない数の使用人がいて、生活には困らない。人目を気にせず、自然を満喫できるというわけだ。
シオン様は到着したログハウスの前で、深くため息をついた。
「すごいな。空気が澄んでいる」
「ええ。この山にドラゴンの治療に効果がある、銀竜草という植物が生えているの。数日ユックリしてから、のんびり探して回りましょう」
「銀竜草……とは?」
「なんだか、キノコみたいな草なのよ。全体が真っ白で、半透明で。茎がドラゴンの鱗のようだから見ればわかると思うわ。しめった木陰に生えているんですって」
「よく知っているな」
シオン様に言われ、ギクリとする。
原作で登場したときに、その名前が印象的でモデルがないか調べたから覚えているのだ。私はユウレイダケという名で知っていた。キノコのような花のような植物だ。煎じて飲むと強壮に効くのだという。
「ええ、ケンタウレアから教えてもらったの」
私の答えにシオン様は納得したのか、小さく頷く。
「そうだ! ログハウスは寝室がふたつあるんです。シオン様、好きなお部屋を選んでいいですよ!」
私がそう言うと、シオン様は一瞬動きを止めた。
そして困惑気味に尋ねる。
「ここでも寝室は別なのか?」
「はい! ご安心ください!」
私がドンと胸を叩いてみせると、シオン様は軽く咳払いをした。
「っ、あ、ああ。そうだな。中を案内してもらおう」
私はシオン様を連れてログハウスに入る。吹き抜けのあるリビングには暖炉が設置されている。二階にはふたつの寝室がある。
私は階段を上がり、寝室に案内した。
どちらも山の裾野に向かって大きな窓があり、その先はテラスになっている。天体観測にも適していそうだ。
テラスの手すりにはカラスが一羽止まっていた。
「では、私は西側の部屋を使ってもかまわないか?」
シオン様に問われ私は頷いた。
「もちろんです」
私はリビングにいる使用人に声をかける。
「荷物を運んでちょうだい」
使用人たちがログハウス内を整えているあいだ、私たちは周辺を散策することにした。
心地よい風が吹いてくる。王都よりも十度ほど気温が低い。
王都では見かけない素朴で可憐な高山植物が、慎ましく咲いている。
あれからシオン様はなにも話さない。黙って小道を歩いている。
無表情な顔つきからはなにを考えているのか、私には想像もつかない。
(ミステリアスなシオン様も素敵……だけど、なぜかしら、少し淋しげに見えるわ)
やはり王都から遠く離れすぎてしまったかのだろうか。
(それともエリカが恋しくなってしまったのかしら。物理的に距離を取るのが一番だと思ったけれど、会えないと思うと思いが募るのかも知れないわね)
私は少し切なくなる。
シオン様は振り向かない。
(そもそも私の想いは恋じゃないもの。振り向いてほしいわけじゃないわ)
シオン様は悪女と呼ばれるルピナにも優しい。
愛する女性から引き離そうとする私のことを恨んでもおかしくないのに、なぜか私の我が儘に付き合ってくれている。
(でもそろそろ疲れてしまったかもしれないわね)
シオン様の意見も聞かず、行き先を勝手に決めてしまった長い旅行。原作の情報では、人混みが嫌いだったシオン様のために人気のない山脈を選んだが、もしかしたらもっと違うところが良かったのかもしれない。
(立ち寄った町では楽しそうだったもの……)
思い込みと決めつけでシオン様を振り回し、愛想をつかれてもおかしくはなかった。
(だとしても、パレードが終わるまではここにいてもらうのだけれど)
嫌われても恨まれてもかまわない。
シオン様に傷ついてほしくない。
紫がかった景色の中で、シオン様の髪が乱れている。風が強い。
ふとシオン様が足を止めた。
私はその先を見る。
そこには野生のエリカが生い茂っていた。花はもうない。
花がなくてもシオン様には見分けがつくほど、特別なのだ。
(ああ、こうやって一生彼女を思い出すのね)
私はやりきれない気持ちになった。花が咲くたび、花が散るたび、同じ名を持つ彼女を思い出す。季節が巡るたびによみがえる思い出は、まるで呪いだ。
(だからきっと……原作のシオン様は耐えられなかった……)
せめて私が同じ名前なら、その美しすぎる記憶を塗り替えることもできただろう。思い出す者がふたりなら、痛みは半分になったはずだ。
(でも、私はルピナ)
私はただその背を見守るしかできない。
「……ルピナス……」
シオン様が呟いて、私はハッと息を呑んだ。
シオン様が振り返る。逆光で表情は見えない。
「ルピナスが咲いている。ルピナの名はあの花から取ったのか?」
尋ねられ、私は無言で頷いた。
エリカの木の向こうには、白いルピナスが紫の闇に染められ咲いていた。
「たしかに、あなたのように毅然としている」
シオン様はそう言うと、また前を向いて歩きだした。
(エリカに立ち止まったんじゃなく、ルピナスに目をとめたの?)
唇を噛む。胸がいっぱいになり、幸せで泣いてしまいそうだ。
「やっぱり好きだなぁ……」
思わず零れる想いは、シオン様には届かない。
私はズッと鼻をすすり、先を行くシオン様を追いかけた。
コテージの前に戻ってくると、シオン様がピタリと足を止めた。







