六章*悪妻、破廉恥疑惑に動揺する
目が覚めて私はサァァァと血の気が引いた。
「なんでここで寝ているのぉぉぉぉ!!」
昨夜はリビングで寝ていたはずなのに、なぜか寝室のベッドで目が覚めたからだ。
隣をパッと見るとシオン様がいない。
「私、私、無意識でなにかやらかした!?」
焦ってベッドの中央を見るとプルメリアは昨夜と同じく整列している。
「だ、だいじょうぶ……? いや、でも、シオン様がいないってことは……!」
バッとベッドから飛び降りる。
「シオン様! どこ! まさか途中で飛び降りたり」
「するわけないだろう」
リビングに繋がるドアを開いたのはシオン様だ。
私はホッとしてその場にヘナヘナと座り込んだ。
「……シオン様……」
「アーリーモーニングティーを淹れた。寝室へ持って行こう」
「いいいいいい、いいえ! 私がリビングへ行きます!!」
「そうか」
シオン様は素っ気なくリビングへ戻っていく。
「……アーリーモーニングティー? どゆこと?」
この国では、夫が寝起きの妻のために紅茶をベッドサイドで入れることがある。毎朝ではないが、休日や記念日などに夫から妻へ愛を伝える風習だ。
私は両手で頬を押さえた。
「まるで本物の夫婦じゃない!」
単純に、誠実なシオン様が形だけでも夫婦を装おうと配慮してくれているのか。
「それとも、私、なにかしちゃった?」
蒼白になっている私にドア越しから声がかかる。
「紅茶が冷めるぞ」
私は慌てて立ち上がりリビングへ向かう。推しの入れてくれた紅茶を冷めさせるわけにはいかない。
シオン様はリビングのソファーセットで寝台列車が毎日発行する機内誌を読みながら寛いでいた。新聞のような体裁の機内誌には、立ち寄る町の最新情報や車内の日替わり情報が載っている。
ちなみに、寝台列車には新聞は届けられない。シオン様に余計な情報が伝わらないように統制している。
テーブルには紅茶が淹れてある。紅茶の芳醇な香りと真新しいインクの匂いが混じり合う。流れゆく車窓の景色もあいまって、とても贅沢な気分だ。
(はぁぁぁ……。ガウン姿で朝日をあびるシオン様……想像以上にお美しい……)
私は思わず拝み、一礼してからシオン様の前に座った。
そして、ティーカップを前に再度手を合わせた。
「いただきます」
ティーカップを手にして紅茶を覗き込む。
(お、推しの入れてくれた紅茶……飲むのがもったいない……真空パックで保存……魔法でなんとかできそうね?)
私が紅茶を眺め煩悶していると、シオン様が尋ねる。
「どうした? 嫌だったか?」
「いいえ、もったいなくて」
私は喰い気味で否定する。
「もったいない?」
私の答えを聞いて、機内誌が微妙に傾いた。きっと疑問に感じたのだ。
(もったいないけど、飲まなかったら失礼だわ! もったいないけど、私の血肉になってちょうだい!)
私は心で血涙を流しながら、口をつけた。
目が覚めるようにだろう、濃いめに淹れられたオレンジペコーのミルクティーだ。
思わずホッと息をついた。
「……美味しい……」
「そうか。良かった」
機内誌越しにシオン様の声が聞こえる。表情はわからないが、声は甘い。
「人に淹れるのははじめてだから、よくわからなかった」
「はじめて? 私がですか?」
「ああ。ほかの人間は黒髪が作った食べ物など気味悪がるからな」
ボソリ、シオン様が呟いて私は胸がキュッとする。
(そうだった。エリカがシオン様の与えた菓子を喜んで食べたのをきっかけに、原作のシオン様は彼女を弟子にすると決めていた)
両親を亡くしお腹を空かせていたエリカにしてみれば、髪の色などかまってはいられなかったのだろう。それでも、シオン様はエリカの行動に救われたのだ。
(そんなエリカにも自分で紅茶を淹れたことはなかったのね……)
原作では、幼少期のシオン様は家族のために淹れた紅茶をポットごと投げつけられていた。きっと、彼にはトラウマだったにちがいない。
私は思わずしんみりとした。そう思うと、より意味のある紅茶に感じられる。
「……尊い味です……」
しみじみ呟くと、目の前でプッと音が聞こえ機内誌がフルフル震えた。
私は怪訝な顔でシオン様を見る。
「笑っていますわね?」
「いや、そんなことは……」
「笑っていらっしゃるわ!」
声を荒らげると、ついに機内誌越しにクツクツと笑い声が聞こえてくる。
「もう!」
「いや、昨夜のお礼だ。これくらい当然だろう」
シオン様が答え私はザァァァと血の気が引く。
押しの尊き行動ですっかり失念していたが、私は推しを襲ったかも知れない容疑者だった。
「あ、あの、私、なにかしましたか? なんで、ベッドに寝ていたのか」
「そもそもはじめから一緒にベッドで寝ていただろう?」
シオン様は機内誌を下ろし、笑いながら私を見る。
(そうだった。シオン様が寝付いてからベッドから出たんだった。それで、シオン様が起きる前に戻ろうとして……。覚えてないけど自分で戻ったの?)
アセアセしながら、昨夜の自分について探りを入れる。
「あ、いえ、一度目が冷めて、ソファーで水を飲んだ記憶があるのですが……」
「そうなのか。私は気がつかなかったな」
「あの、それで、私、変なことしてないですか?」
「変なこと? 夫婦なら当たり前のことはしたが?」
シオン様がサラリと答えて、私は顔が真っ赤になる。
「ふ、夫婦なら当たり前ぇ!?」
声が裏返る。
「ああ、覚えていないのか?」
シオン様に小首をかしげられ、私は顔が青くなる。容疑者から犯人に格上げである。
(なにをしたのいったい。ねぇ? 私、欲望を抑えきれずにシオン様の花を散らしてしまったの!? もしそうならソレを覚えてないとか、私最低すぎるでしょ?)
思考が混乱し、なにも思い出せない。言葉を失う。
そんな私を見てシオン様は盛大に笑い出した。そして、ひとしきり笑ったあと、目尻を指先で拭う。
「ありがとう。ルピナのおかげでよく眠れたよ。他人と一緒に寝るというのは存外悪くないものだな」
シオン様は優しい瞳で礼を言う。原作では、誰かに礼を言っている姿を見たことはなかった。
(でも、こんな優しそうな顔で笑うのね――)
私は目を奪われる。
シオン様は機内誌を畳むと席を立った。
「私は先に準備をする」
そう言って背を向ける首筋は赤い。
(まさか、照れている?)
私はシオン様が見えなくなってハタと我に返る。
(で、結局、私は昨夜なにをしたの!? 全然思い出せないんだけど!!)
身もだえウンウン思い出そうとして、やはり欠片ほども思い出せず、私はグッタリとする。
(はぁぁぁ……。無理、思い出せない……)
あまりの混乱に喉が渇き、シオン様の淹れてくれたアーリーモーニングティーを飲む。
濃いめのオレンジペコーが眠気を覚まし、甘く柔らかなミルクが優しく私を落ち着かせる。とても美味しい。
(シオン様が淹れてくれた紅茶。あの人と同じ、強さと優しさを感じる――)
朝の日差しをあびて、微笑むシオン様を思い出す。
(まぁ、いいか。シオン様が幸せそうなら、もうなんでもいいわ)
私は考えることを放棄して、紅茶をしみじみと味わった。推しの淹れる紅茶を飲むという僥倖など二度とないかも知れないのだ。
あとで破廉恥犯として罰せられるにしても、今だけは酔いしれたい。
(神様、ありがとうございます!)
私は心の中で感謝した。
続きか気になる方はブックマーク&お気に入りユーザー登録をしていただければ通知がいきます。
便利な機能ですので、ぜひご利用ください。
また、面白かったら▼下▼評価欄を
☆☆☆☆☆→★★★★★のように色を変えて評価していただけるとありがたいです。
どうぞよろしくお願いいたします!







