五章*天才魔導師、悪妻に困惑をする(2)
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ルピナを初めて見たのは、私が宮廷魔導師として王宮に勤めるようになってすぐのころだ。魔術寄宿学校を卒業した私は、十八歳で最下級の宮廷魔導師として魔術部門で勤務するようになっていた。
遠目に見る彼女は、いつも颯爽としていた。聖なる力を宿すとされる月白色の髪を短く切りそろえ、大聖女の修行を拒み続けていることから、周囲は『気が触れている』と噂していた。
この国の貴族女性は、因習として髪を伸ばす。
また、魔力は髪に宿るため、魔力を扱う魔術師や聖職者は髪を伸ばすのが決まりだった。
それなのに、貴族女性であり、大聖女候補として請われていながら、髪を伸ばさないことはそれだけで奇異に見えたのだ。
しかし、私には彼女が眩しく見えた。
私は黒髪にコンプレックスを抱きながらも、魔力のために切ることすらできない。
人の噂が気になってフードで髪を隠し、人目につかぬように生きている自分とは正反対に見えたからだ。
学生時代から、ローレンス殿下の仕事を秘密裏に手伝っていた私は、返事が難しい手紙の代筆なども請け負っており、ルピナがローレンス殿下との婚約破棄を望んでいることは知っていた。だからこそ、彼女を避けていた。なにしろ、ローレンス殿下からルピナ宛ての手紙は、私が代筆していたからだ。気がつかれては困る。
ローレンス殿下の代わりとしてルピナに返事を書くうちに、罪悪感と愛着が芽生え始めたころ、王宮の庭で彼女を見かけた。いつもなら声をかけないのだが、そのときの彼女は挙動不審だった。
まだ十四歳だったルピナだが、王族と面会するとは思えないパンツ姿で、庭園のトピアリーの影からローレンス殿下を隠れ見て聞いたことない呪文を唱えていたのだ。
(今でも忘れない。あのときの呪文『オシハワタシノオシハドコ』)
魔法の知識についてそれなりの自負があった私は、知らない呪文に興味を持った。
しかも、彼女がローレンス殿下に幾度となく婚約破棄を申し入れていることも知っていたから、何かしらの悪意があってはならないと、思わず後ろから声をかけたのだった。
その瞬間、ルピナは奇声をあげて気を失った。きっと黒髪の魔導師が少女には恐ろしかったにちがいない。
(『オシハココニイタ』と絶叫していたが、あれも呪文だったのか)
それ以降、セレスタイト公爵家からは、ルピナとの接触を禁じられたのだ。そのため恐れられているのだと思い込んでいたのだがどうやら違ったようだ。
(あれからどんなに調べても、ルピナの呪文の意味はまったくわからなかったが……。私のことを『推し』と言っていたのと関係があったのか?)
たしかにあの日以来、私はルピナのことが忘れられなくなったからだ。ルピナの目には映らないよう細心の注意を払いつつ、彼女の動向はいつも気にしていた。
自分の黒髪をつまんでみる。
(この髪を怖がらないのは、ローレンスとエリカだけだと思っていたのだが――。彼女はこの髪を美しいという……)
忌々しいと思っていた、自分にとっては呪いのような髪。
(それを彼女はためらいなく触れた――)
『皆を安らぎに導く夜の色です』
ルピナの声が聞こえる。
ギュッと心が絞られるように痛い。でも、その痛みはなぜか甘い。
深い紫色に染められた寝具、ベッドの彫刻は紫苑の花だ。
(すべて、私の名前に由来する。客室をホームの視線と合わないようにしたのも、ルームサービスが充実しているのも、黒髪を厭う私のためなのだろうか?)
考えすぎかもしれないが、そうだとしたらなぜそこまでしてくれるのかわからない。
(契約結婚というには、あまりにも……待遇が良すぎやしないだろうか)
私はむくりと起き上がった。
本来ベッドの中央には、ピンク色のプルメリアが並んでいる。もともとはハートだったものを、ルピナが結界のように一直線に引いたのだ。
慌てふためく彼女を思い出し、口元が緩む。
同時に彼女がここにいないことが少し淋しい。
(淋しい? 子供のころから親とすら、一緒に寝たことなどないのにな)
そんなふうに感じる自分が意外で、胸の奥がくすぐったい。
(とはいえ、公爵令嬢をソファーで眠らせるわけにはいかない。彼女が一緒に眠れないというのなら、私こそソファーに寝るべきだな)
私はそう思い、ベッドから出た。
そして、リビングのドアを開ける。リビングの明かりはすでに消えており、ソファーには眠るルピナが見えた。
片足だけ床に落ちてしまっている。
(ああ、ほら危ない)
私はソファーからルピナを抱き上げた。
すると、ルピナはギュッと私の首に腕を回してきた。
目が覚めたのかと思ったが、そうではないらしい。
(無意識か……。そういえば、私に抱きついてきたのもルピナがはじめてだったな……)
ユニコーンの背で力強く抱きついてきた彼女に、私は戸惑った。
妹のように育てたエリカですら、私に抱きついたことはなかったからだ。手を繋ぐことはあっても、どこかそこには遠慮があった。
(遠慮だと思い込もうとしていたが、今ならわかる。エリカは私のために我慢していただけで、生理的には黒髪が怖かったのだろう)
それもひとつの優しさで、否定する気はない。
(しかし、ルピナは私を恐れない……)
そのことが嫌に胸に響いた。
(それにしても、「ちょっとだけ……」などと言うから、なにをされるかと思ったら、深呼吸しただけとはな)
私は一瞬なにをされるのかと緊張したが、実際は大きく息を吸っただけで拍子抜けしたのだ。
(拍子抜け……? 私はなにを期待していたのだ)
自分の感情が掴めずに、ただただ顔が熱くなる。
(本当に調子が狂うな)
しかし、乱される心が心地よいのはなぜだろう。人の感情に翻弄されることが嫌いで、人を避けてきたはずなのに。
私はルピナをベッドに下ろすと、優しく布団を掛けた。
そうして、リビングへ向かおうとすると、ルピナが私の指を掴んだ。
ポカポカとした温かい手だ。
目覚めさせたかと思って、振り向くと彼女はまだ夢ごこちのようだ。
「……シオンさまぁ……。消えないで……」
ムニャムニャとルピナが寝言を言う。
(ルピナにとって、私はいったいなんなんだ? 消えるわけなどないだろう?)
私は小さく苦笑いする。
私は彼女の手から自分の手をそっと外す。
汗で額に張り付いた白い髪を綺麗に戻した。
「消えたりしない。安心しろ」
私がそう答えると、ルピナは安心したように口元を緩ませて、深く長い寝息をついた。







