三章*悪妻、推しを退職させる(2)
「聞いたぞ。ルピナ」
「あら、盗み聞きなんて王子としての品位が足りないのでは?」
軽く窘めると、ローレンス殿下は顔を赤くした。
「シオンを退職させるだと?」
「聞いていたなら話は早いですわ。本日から有休を取り一ヶ月後に退職です」
「そんなこと、俺が許さないぞ」
「残念ながら殿下に権限はございません」
私はニッコリと微笑んだ。ローレンス殿下は、王家の末子で甘やかされているが政治的権力は今のところあまりない。以前は国璽尚書の娘の婚約者という肩書きがあったが、今はそれすらもない。
漫画上では、大聖女エリカの力を得て、王太子へと成り上がっていくのだが、現在はただの力のない王子だ。というよりも、エリカとシオン様の力を利用して王太子になった男だ。
(いまだってシオン様を利用してるのを私は知っているのよ)
ローレンス殿下はシオン様に王宮を去られては困るのだ。彼はさまざまな仕事を、『友情』の名においてシオン様に押しつけてきた。
シオン様もそれを友情と信じ、自ら汚れ仕事を請け負っている節がある。
(本当に友情なら、原作でのシオン様の死後、彼の名誉の回復をすべきだったのよ)
しかし、ローレンス殿下とエリカは、最後までそうはしなかった。
(自分たちの無能さが明らかになるのが嫌だったとしか思えないわ)
うがった考えかも知れないが、シオン様推しの私にはそうにしかみえない。
ローレンス殿下は歯ぎしりをした。
「でも! シオン様のお気持ちはどうなるのですか!」
ピンク色の瞳に涙をため訴えるのはエリカである。
(はー、さすが逆ハーレムものの主人公ね。可愛すぎてあざといわー……)
私はしらける。
「同意の上だわ」
「そんなわけ、ありません!」
「なぜわかるの?」
「だって、シオン様はそんな人じゃないって私は知ってます!! 私にだけはわかるんです!!」
食ってかかるエリカだ。
(こういう……「私だけはあなたを理解する」みたいな言い草は甘い蜜よね……。シオン様もこれにやられたのよ。でもね、それを他人が聞いたらどう思うかしら?)
意地悪心が芽生えてしまう。
「あら? 『私にだけ』なんてまるで特別な関係にあったみたいね?」
私が言えば、ローレンス殿下は焦った表情でエリカを見た。
エリカは顔を真っ赤にしブンブンと頭を振る。
「違います! シオン様は私の先生で……、恋愛感情なんてもちろんないです! だから、誤解しないで! 殿下!」
「……あ、ああ、もちろんだ……」
ローレンス殿下は動揺しつつ答える。
(殿下はけっこう気にするタイプなのよ。気をつけてね、大聖女様)
漫画でローレンス殿下の独白を読んでいる私は、彼の嫉妬深さを知っているのだ。
「なら、シオン先生と呼べばよいわね」
私が続けると、ローレンス殿下もシレッと頷いた。
「ああ、そうだな。線引きはしたほうがよいだろう」
「!」
エリカは驚き目を見開く。
「あなたはローレンス殿下からプロポーズをされた身。そして、シオン様は私の夫ですのよ? ほかの女性の夫に向かって『私だけがわかる』だなんて……ねぇ? 大聖女様でありながら不倫の匂わせかと思って驚きましたわ」
私が追い打ちをかけると、エリカは泣きだした。
「そんな……、そんなわけないでしょう!」
「流石に言い過ぎだぞ! ルピナ!」
「あら、ごめんあそばせ。でも、私が『恋愛』と言ったわけでもないのに、顔を真っ赤にして必死に否定なさるから、まるでやましいことでもあるのかと……」
私が答えると、ローレンス殿下は不安げにエリカを見た。
エリカはピンク色の瞳を潤ませて、縋るようにローレンス殿下を見上げた。
「……ロー……、もちろん、信じてくださいますよね?」
そう言いながら、キュッとローレンス殿下のジャケットの裾を掴んだ。
いたいけな幼子のような雰囲気で、哀れみを誘う。
「っ! あ、ああ……」
「まさか、信じて……くださらない?」
なんだか微妙な空気になったふたりを見て、私はニンマリとほくそ笑んだ。
(どうやら論点を上手くずらせたわね)
私は手を振り、その場を去る。
「それでは失礼いたしますわ」
「っ、待て! ルピナ!」
ローレンス殿下が呼び止めるが、エリカが縋るような目で彼を見上げていた。痴話げんかになるかならないかのところだ。
「殿下は私なんかを気にせずに、大聖女様のお話をゆっくり伺ったほうがいいですわよ」
私はそう答えると、人事部門へと向かった。