聖女すぐ死ぬ!〜何度も殺されるのに飽きたので復讐させてもらいます〜
私の天職は『聖女』
そして特技は『殺されること』
ひゅう、と風が吹き、私の銀髪を揺らす。
石造りの処刑台の上は見晴らしがいい。
眼下には私を殺せと叫ぶ群衆。
その顔、顔、顔。
憎悪、狂信、あるいは単なる娯楽として消費する無責任な好奇心。
知っている。
この光景はもう何度も見てきた。
「魔女に神罰を!」
「聖都を穢した悪女を火あぶりに!」
ああ、今回は火あぶりか。
ちなみに火あぶりは482回の人生の中で73回目。
結構メジャーな殺され方だ。
一番痛いのは凌遅刑で、一番マシなのは毒殺。
ギロチンは当たり外れが大きい。
私の名前はアリア。
聖女に選ばれ、世界の穢れを浄化する役目を担う……というのは建前。
その実態は人々の悪意や罪を一身に吸い込み、器が満杯になるたびに殺される、ただの生贄杯だ。
そしてまた新しい無垢な少女が「聖女アリア」として選ばれる。
その繰り返し。
普通なら一度死ねば終わりだろう。
だが神様の悪趣味か、システムの欠陥か、私は全ての記憶を保持したまま次の「アリア」に転生してしまう。
これで記念すべき500回目の死だ。
隣では純白の衣をまとった教皇様が、悲痛な顔で天を仰いでいる。
「おお、神よ! かつては聖女であったアリアが、悪魔に魂を売り、このような凶行に及んだことを、我らは嘆き悲しみます!」
彼のそのセリフ、聞き飽きた。
ちなみにこの教皇が裏で密輸組織と繋がっていることは、389回目の人生で彼の懺悔を聞いて知っている。
実にくだらない。
私の処刑を執行するのは聖騎士団長のジーク様。
かつては私に忠誠を誓い、その青い瞳で「必ずお守りします」なんて言っていた男だ。
今、その瞳には聖女を断罪するという使命感と、微かな苦悩が浮かんでいる。
その葛藤、24回目。ご苦労なことだ。
もう、どうでもよかった。
嬉しいも、悲しいも、悔しいも、とうの昔にすり減って何も感じなくなっていた。
ただ、淡々と「今回も死ぬのか」と思うだけ。
次の人生は、もう少しマシな殺され方だといいな、なんて考えるくらいだ。
騎士が松明を掲げる。
私の足元に積まれた薪にじゅ、と音を立てて火が移った。熱がじりじりと肌を舐める。
「……ああ」
その時、ふと、声が漏れた。
自分でも驚くほど、平坦な声だった。
「飽きたな」
そう、飽きたのだ。
殺されることに。
裏切られることに。
偽善者たちの茶番に付き合うことに。
人々のために、世界のためにと、健気に死んでやることに。
何もかも、うんざりだった。
心がすり減って無くなったと思っていた。
だがどうやら違ったらしい。
心の奥の奥の、核のような部分に途方もない『倦怠』だけが、澱のように溜まっていたのだ。
ぷつん、と何かが切れる音がした。
500回分の死の記憶が濁流のように思考を駆け巡る。
殺された痛み。
焼かれる熱。
溺れる苦しみ。
裏切った者たちの顔。
偽りの涙。
____もう、やめだ。
「聖女様なんて、もうやめてやる」
誰にも聞こえない声で呟き、私は目を開けた。
今まで浮かべていた悲劇のヒロイン然とした儚い表情を捨てる。
代わりに冷え冷えとした、絶対零度の無表情を浮かべた。
「執行せよ!」
教皇の号令。
ジークがぐっと唇を噛みしめる。
火の勢いが一気に増した。
熱風が顔を叩き、髪がちりりと焦げる匂いがする。
このまま死んで501回目を始める?
冗談じゃない。
「聖域結界」
私は生まれて初めて自分のためだけに聖女の力を使った。
ぼんやりとした光の膜が私を中心に広がり、燃え盛る炎を優しく押し返す。熱が嘘のように遠のいた。
「なっ……!?」
処刑人たちが目を見開く。
ジークが、教皇が、そして群衆が、ありえないものを見たかのように息を呑んだ。
魔女と断罪された女が聖女の奇跡を使ったのだ。
当然の反応だろう。
私はゆっくりと立ち上がり、光のドームの中から呆然とする彼らを見下ろした。
「神は見ておられます」
いつもの聖女らしい澄んだ声で、私は言った。
「真実がどこにあるのかを。そして、偽りが誰の口から語られているのかを!」
最大限に、扇情的に。
人々が最も好み、熱狂する言葉を選ぶ。
これも500回分の経験で得たスキルだ。
「まさか……教皇様が、我らを騙して……?」
「聖女様は、無実だったというのか!」
群衆がざわめき始める。
疑心暗鬼は炎より早く伝播する。
「捕らえよ!やはり魔女だ!聖なる御業に見せかけ、我らを惑わしているのだ!」
教皇が顔を真っ赤にして叫ぶ。
ジークが我に返り、剣を構えた。
「惑うな! 聖女アリアは、私が必ず……!」
だが遅い。
私が欲しかったのはほんの数秒の混乱。
それで十分だった。
「ではごきげんよう。皆様の茶番劇はここらでお暇させていただきますわ」
私は踵を返し、処刑台の背後にある壁に向かって走り出した。
「壁に飛び込む気か!?」
「自害か!?」
愚かだな。
こんなこともあろうかと、215回目の人生でこの処刑台の裏に古い下水道へと続く隠し通路があることを発見済みだ。
当時は脱獄した罪人を追いかけるために使った知識だったか。
壁にある特定の石材に手をかける。
少し力を込めると、それは音もなく内側へ回転した。
現れた暗い穴の中に私は躊躇なく身を投じる。
最後に振り返り、あんぐりと口を開けているジークの顔にとびきりの笑顔を向けてやった。
「さようなら、私の忠実な騎士様。今度は、もっと上手に嘘をつけるよう、お祈りしておりますわ」
闇の中へと消える瞬間、彼の絶望に染まった顔が見えた。
ああ、なんて気分がいいんだろう。
生まれて初めて心の底からそう思った。
聖都の下水道は私の庭のようなものだった。
どこをどう行けば、どの地区に出るか。
どこに衛兵の詰め所があり、どこが手薄か。
全て頭に入っている。
ループ人生も、たまには役に立つものだ。
悪臭漂う暗闇の中をしばらく歩き、私は貴族街の一角にある今は使われていないワインセラーへと抜け出した。
聖女の純白のドレスは汚水と泥で見る影もない。
むしろ、好都合だった。
この服は目立ちすぎる。
私は近くの安宿に部屋を取り、まずやったことはその汚れたドレスを暖炉に放り込むことだった。
炎が純白の生地を舐め、黒く焦がしていく。
それは過去の自分との決別の儀式だった。
さて、これからどうするか。
目的は決まっている。
世界を乱す「大悪党」になることだ。
だが、悪党にだって元手はいる。
まずは活動資金の確保と、身を隠すための拠点が必要だろう。
「最初のターゲットは……」
脳裏に何人かの顔が浮かぶ。
私を陥れ、私腹を肥やし、偽善の皮を被ったクズども。その中でも今回、私を「魔女」に仕立て上げる筋書きを書いた男は特に念入りにお礼をしてやらねばならない。
ガルニエ枢機卿。
敬虔な聖職者の仮面の下で奴隷を含む人身売買に手を染め、莫大な富を築いている男だ。
その秘密は412回目の人生で彼に売られそうになった少女を助けた際に掴んだ情報だった。
「あなたの悪事は、全て神様にお見通しですよ、枢機卿」
私はベッドの上でくすくすと笑った。
計画は決まった。
私は宿の備品だった裁縫道具で、フード付きの黒いローブを作り上げた。
夜の闇に紛れるにはこれが一番だ。
銀髪も泥で染めて色をくすませる。
鏡に映ったのはもはや聖女の面影など微塵もない、薄汚れた小悪党の姿だった。
悪くない。むしろしっくりくる。
その夜、私は闇に紛れて動き出した。
ガルニエ枢機卿の屋敷は聖都の中でも特に豪奢な建物だ。
だが警備の配置、抜け穴、全て私の頭の中にある。
333回目の人生でこの屋敷に忍び込んだ泥棒を捕まえるのを手伝ったことがあるからだ。皮肉なものだ。
闇から闇へと渡り、音もなく屋敷の屋根裏に侵入する。目的の場所は枢機卿の書斎。
その壁に隠された巨大な金庫だ。
書斎に降り立ち、壁にかけられた醜悪な天使の絵画を外す。その後ろにあるダイヤル式の金庫。
開け方はもちろん知っている。
枢機卿の敬愛する初代聖女の命日だ。
本当にどこまでも信心深いフリがお上手だこと。
重い金属の扉が開く。
中には眩いばかりの宝石と金貨、そして……あった。
黒い革の表紙で装丁された一冊の帳簿。
人身売買の取引相手、金額、日付がびっしりと記された、彼の破滅の証拠。
私は宝石をいくつかローブのポケットに詰め込み、帳簿を懐にしまった。だがそれだけでは終わらない。
大悪党は仕事にも美学が必要だ。
私は懐から一枚のカードを取り出した。
宿のメモ用紙にこう書きつけておいたものだ。
『神は全てお見通しです。元・聖女より』
それを空になった金庫の真ん中に、これみよがしに置いてやる。
想像しただけで、口元が吊り上がった。
明日の朝、これを見つけたガルニエ枢機卿がどんな顔をするだろうか。
目的を果たし、私は再び闇に消えた。
翌日、聖都は大騒ぎになった。
『ガルニエ枢機卿、人身売買の容疑で聖騎士団に拘束!』
『謎の義賊か? 枢機卿の不正を暴く証拠が衛兵ギルドに!』
場末の酒場のカウンターでエールを飲みながらそのニュースを聞き、私は満足げに息を吐いた。
私が盗んだ帳簿の写しを枢機卿と対立する派閥と衛兵ギルドに匿名で送りつけておいたのだ。
彼らは喜んで大魚に食いついてくれた。
枢機卿は社会的に完全に終わった。ざまぁない。
これが私の復讐の第一歩。
大悪党へのささやかなデビュー戦だ。
「しかし、驚いたぜ。あの枢機卿様がねぇ」
隣の席で昼間から安酒を呷っていた男が、私に話しかけてきた。
赤ら顔に無精髭。
体格はいいがその目はどこか濁っている。
だが、その顔には見覚えがあった。
「あんたもそう思うだろ? 嬢ちゃん」
「さあ。神様は見てらっしゃるということでしょう」
私が素っ気なく答えると、男は面白そうに眉を上げた。
彼の名はレオ。元聖騎士。
そして128回目の人生で、反逆の罪を着せられた私の首を命令に従い刎ねた男だ。
今回の人生では、彼は任務の後に心を病み、騎士団を追われたと風の噂で聞いていた。
こんな場所で飲んだくれているとは。
「へっ、神様、ね。そいつが本当にいるなら、世の中もう少しマシになってるはずだがな」
レオは自嘲気味に笑い、杯を干した。
「……あんた、何者だ? ただの旅人には見えねえが。昨日の枢機卿の件、何か知ってんじゃねえのか?」
濁っていたはずの瞳が鋭く私を射抜く。
元聖騎士の勘、というやつか。厄介だな。
だが、私は動じない。むしろ、好機だと思った。
腕は立つ。裏社会にもそれなりに顔が利くはずだ。
用心棒としてこれほど都合のいい人材もいないだろう。
私はレオに向き直り、悪党らしく、にやりと笑ってみせた。
「もし、私がその『謎の義賊』で、これからこの腐った世界をひっくり返すような、面白いことを始めると言ったら?」
「……はっ、大きく出たな、嬢ちゃん」
「私の計画には、腕の立つ剣士が必要なの。あなた、腕は錆びついていないんでしょう? 元聖騎士様」
レオの動きがぴたりと止まった。
目が、驚きに見開かれる。
「な……んで、俺が……」
「さあ? 神様のお告げ、とでも言っておきましょうか」
私はポケットから枢機卿の金庫から失敬したルビーを一つ取り出し、カウンターに置いた。
「前金よ。私を次の街まで護衛しなさい。仕事の内容は、退屈させないと保証するわ」
レオはルビーと私の顔を交互に見た後、やがて腹の底から笑い出した。
「くくく……はーっはっは! 面白い! 最高に面白い女だ、あんた!」
彼はルビーをひったくると、一気に立ち上がった。
「いいだろう! その仕事、引き受けた! だが、言っておくが俺は高いぜ?」
「問題ないわ。すぐにもっと大きな金が手に入るから」
こうして私はかつて自分を殺した男を最初の仲間(仮)にした。
彼が私の正体に気づくのはもう少し先の話だろう。
その時、彼がどんな顔をするのか。
それもまた、楽しみの一つだ。
私とレオは酒場を出た。
聖都の喧騒を背に、私たちは新たな目的地へと歩き出す。
私の復讐は、まだ始まったばかり。
ガルニエ枢機卿は始まりに過ぎない。
私を殺し、利用し、この歪んだ世界でのうのうと生きている偽善者たちは、まだまだたくさんいるのだ。
そして、最終的な目標はこの理不尽な『聖女システム』そのものの破壊。
そのためなら、私は喜んで「大悪党」の名を背負おう。
「さあ、ショーの始まりよ、レオ。せいぜい私に振り落とされないようにしなさい」
「へっ、誰に言ってやがる」
私の隣で何も知らない元聖騎士が不敵に笑った。
偽善に満ちた世界よ、見ていろ。
もう泣き寝入りはしない。
殺され飽きた聖女が今度はあんたたちを地獄に突き落としてやる。