第7話解放
逆転の一手となったのは、マンドレイクにつないだ縄だった。
地面に埋まったままでは安全だと感じ泣き出すことが少ないからこそ、葉にロープをつなぎ、とどめを刺す。その順序を守っているからこそ、俺たちが用意したロープには生きたままのマンドレイクがつながっている。
爆竹、ジェット機、音響兵器。
人が生み出し利用してきたあらゆる音を凌駕し、もはや実態を持った壁と錯覚するほどの衝撃が辺りを包み込んだ。
しっかりと音を遮断しているからこそ、俊樹や美香は体が震えるだけで済んだ。地面に頭を突っ込んだからこそ俺は脳が震え、まともに立っていられないだけで済んだ。目の前の人間もどきは何の防備も対策もなかったからこそただその場に倒れこんでいる。
「どうしてだ、どうして殺したッ!!」
ふらふらと、酔っぱらいのように歩く俺を俊樹がぶん殴る。
「相手は話し合いで解決しようとしたんだぞ。
マンドレイクの射程圏内に俺たちもいたんだぞ。
別に殺さなくても、逃げれば事態は解決してたよなぁ!!」
一発一発、自分がいったい何に不満を持っているのか、どうして怒っているのか。説明しながら重い一撃が放たれる。
その手を美香が後ろから、羽交い絞めにすることで止めた。
「ちょいちょいちょい! 今はこんなことしてる場合じゃないよね。早くこの人を病院に、ってこんなところに病院ないし!
というか、このまま死んでたらどうするのよ、もしかして警察、獄中生活!!
とにかく逃げるかどうするかを決めるのが先でしょうよ!」
美香はあまりの事態に頭を掻きむしり混乱していた。
その頭を、ポンっと俊樹が撫でた。
その顔は何かを決意したようにも、諦めたようにも見える。
「これから俺が、この人を家に連れて帰るよ。どこに家があるのか分からないけど、それでも最低限、応急処置はする。
美香、君は何もしてない、だから逃げていい。
それと、西行。お前はもう二度と美香の前に姿を見せるな。殺人鬼がそばにいてもいいことなんてないからさ」
衝撃的な宣言に俺たちは固まった。
「俊樹さんや、その、本気」
「相手は極悪非道な混血だぞ。こんな誰もいないところで、仲間を殺されたなんて、唯ですむはずがない、最悪、嬲り殺しだぞ」
俺たちが指示した、ともに逃げようという誘惑の手を、俊樹は一考すらしない。
ただ黙して、首を横に振るだけだった。
「こいつは混血だぞ」
「そうだな」
「人間じゃないから、このまま逃げて捕まっても大した罪にはならないんだぞ」
「そうだな」
「なら、どうして」
「俺たちは人を殺したんだ。責任を取らないと」
俺はそれでも何かを言おうとして、結局何も言えなかった。
「よくも、よくもやってくれましたわね」
ついに議論が平行線をたどり、互いの意識がぶつかり合うまさにその時だ。遥か地の底から響いてくるような不吉な声が聞こえた。
ぞっとするほど冷たい手が地面を握り締め、カマキリのようにゆったりと上体を起こしてくる。
「「「うわああぁぁぁあああぁぁぁッ!!!」」」
その景色を見ただけで覚悟も決意も復讐心も全てが吹き消された。死体が地の底からよみがえったと思い、背を向け俺たちは一心不乱に逃げ去った。
無我夢中。
一心不乱。
全力傾注。
生存本能が俺らの力をすべて解放し、歩きなれない森の中を風のように駆けていく。やがて、樹海と現世の境界を示す壁が目に見えたところで、ようやく立ち止まり、肺一杯に空気を吸い込んだのだった。
「そういえば、美香は」
右も左もわからぬ迷いの森で、いつの間にか美香を置いてきたのだとこの時になって初めて気がついた。
「どうする、探しに行くか、それとも待つのか」
何も言わぬ、静寂の森が、今では大口を開けてこちらを待ち構える巨大な怪物に思えた。
「とりあえず、梯子の所に行こう。待つにしても、見知った場所のほうが見つけやすいだろうし」
遭難した時の基本は、その場を動かない。もしくは来た道を戻ることだ。
最終到達点には鬼がいる。ならば、見知った場所で待つというのはセオリー通りだと言えるだろう。
「なあ、もしもだ、もし美香が見つからなかったらどうする」
「その時は混血に土下座だよ。夜になったらもはやどうしようもない。悪霊に食い殺されるよりはましだろう」
「そうか、それしかないか。
枯れ枝集めろよ。それで、煙を起こす。運が良ければ狼煙に気がついてくれる」
どこかよそよそしく、俺たちは互いの顔を見ないままに進んでいく。
隣にいるだけで俊樹の苛立ちが分かる。
もしも、美香の行方不明がなければ、俺たちは協力することなく別々に進んでいるだろう。
そして、目的地には……。
「意外と遅かったですね~」と、人間もどきが待ち構えていた。
俊樹は背中を向け逃げようと、俺はライフルに手をかけたが、「遅い」
ここはもうすでに、この女の狩猟場となっていた。
地面に張り巡らされた、ツタが張り詰め、一瞬で俺の身体を拘束したのである。
「う~ん、これでようやく厄介なネズミがつかまりましたぁ~]
パンパンと手を叩き、今日の仕事はようやく終わったとばかりに、女は背筋を伸ばす。憎々しいまでの余裕っぷりに怒りではなく、もはや、諦観の念を俺は覚えていた。
「さてと、この憎たらしい豚どもをどうしてやろうか」
散々てこずらされたからか、殺されかけ、頭に血が上っているのか……。
今はまだ、ツンツンと俺の頬を指で刺すだけで済んでいるが、これから俺の身に降りかかるであろう仕打ちは、想像するだけでも不愉快になってくる。
俺たちも、これで年貢の納め時だなと何もかもを諦め、流れに身を任せようとしたまさにその時だ。
ーー遠くから、銃声が轟く。
あまりにも距離があるせいで、かすれてはっきりとは聞こえないが、美香の悲鳴もまた。
俺は訴えかけるように混血を見たが、ただ、営業スマイルを返されるだけだった。
「なぁ、これ、ほどいてくれよ。友達に何かあったんだ」
「あら~、それは大変ね~! で、それが私に何の関係があるんですか。これで縄をほどいて推定暗殺者を解放するのはさすがにね」
ここまで激しく攻防を繰り返したのだ。
向こうのこちらへの信頼は底値すら割り切っていることだろう。解放してくれと頼んでも、一も二もなく断られた。
だが、俺たちはどんな手を使っても、美香の所に向かわなければならなかった。
思い出せ、そう、ろくなやり取りをしてこなかったが、こいつとの会話、やり取りを。
どういえば説得できる、どんな言葉なら納得させられる。
ーーああ、そうか。これならもしかして。
脳の細胞を総動員することで、逆転の一手を導き出せた。
「お前確か言ったよな。今からでも地面に頭をこすりつけ、土下座すれば許してくれるって、そういっただろう」
「今さらですか」
「今さらだ」
目の前の女が俺をじっとのぞき込んでくる。
俺はただ、覚悟を込めて見つめ返すだけだ。
「さてと、どんな見事な土下座を見せてくれるのかしら」
こちらをあざ笑いたいのか、それとも気まぐれか。
拘束は解かれた。
拘束から解放されるとともに、俺は地面に頭を垂れた。
すぐそばにライフルがあるが、美香は今苦しんでいるんだ。
争っている暇などどこにもない。
「行きなさい、もういいです」
屈辱の時間は一分か二分か。
体感的には永遠に思える時間だが、現実ではそんなもんだ。
混血は案外あっさりと俺が動くのを許可した。
俊樹もまた、拘束から解放されていた。




