第39話百物語
大幣。
見た目華奢な枝だが、そこに込められた呪術的意味合いは深くそして頑強だった。
邪悪を祓う清浄なる光があふれ出る。
それに徳子は全力で抗う。鏡に写真にとダメージを肩代わりさせるものの、そのことごとくが無力化されていく。
この一撃を止める手段はもはやなく、自身の使命が果たせないことを悟り悔し涙を流すほどだった。
まさに決着。
余人の介入の余地すらない、絶対的な流れを汚す影が伸びてきた。
いつの間にか。
少なくとも、一部始終を目にしていた照や波子三といった実力者でさえも、その男がいつからいたのか、どのようにして現れたのか、理解すらできない。
影のように初めからそこにいたと言われても信じただろう。
そう思えてしまうのは、この男の姿に原因があった。
ただただ黒い男だ。
瞳も髪も肌もすべてが黒く、その服装でさえも黒い神父服である。
まさにまっくろくろすけと言ってもいい、いでたち。
ただ一点。
優し気でありながらも胡散臭さが隠しきれていない笑み。
そのせいで覗く純白の歯だけが例外だった。
「やあ、久しぶりだね。元気にしていたかい」
その神父は友人との久々の再会を本心から喜んでいた。
もっとも、喜んでいるのは本人のみ。白夜はもとより、見方であるはずの徳子ですら、その笑顔の裏に潜んでいる詐術、偽り、嘘。それらをひっくるめた裏の意図を疑わずにはいられなかった。
意外、というほどでもないが、この二人は共に目の前にいる男が大嫌いなのだ。
「元気にしていた、ね。正直、私たちに体調不良なんて概念があるとは思わないけど」
「君にとっては、ね。少なくとも、今の人類にとって君は今も病に侵されている。
まったく嘆かわしい。もう少し人類はその見識を深めるべきだとは思わないかい」
「そうだね。確かに今私は病に侵されているね。何せストレスからお腹が痛くなっているんだ。これは体調不良といえる」
「おいおい、素直に友人の意見に賛同したならそう言えばいいだろう。何を不快に思う場所があるんだい」
「すべて」
「そうか、ならしょうがない」
「ええ、しょうがない」
軽い言葉の応酬。
二人の反応はまさに対照的だった。
白夜にとって目の前にいる男は自身の世界に不要な存在だった。
一言でいえば、宿敵。
事実として、白夜とこの男と一度正面衝突を行い、完膚なきまでに負けている。
そのときは幼い子供だったという言い訳ができるが、今戦っても勝てないというのは彼女自身が感じていることだった。
一方で、黒い男。ナイ神父にとって、目の前の少女は人類を次の位階へと推し進める鍵であり門。
最重要の観察対象だった。
倫理、道徳、常識。
それらにとらわれ前に進むことをやめた弱い生物をでは決してたどり着けない領域に足を踏み入れた、次の人類の形そのもの。
であるから、ここで出会えたことがうれしくて仕方がない。
「その前に一つ質問だ。私を当て馬にするために、結界を素通りさせたのか」
次々と投げかけられる言葉の応酬。
実力、精神性、そして格が違うからこそ、二人の世界に入り込めない。
だが、徳子は一歩足を踏み出した。
「おいおい、わざわざピンチの仲間を助けに来た助っ人に、お前は自分を見捨てたのかと尋ねるのは侮辱そのものだとは思わないのかい。こうして君を助けに来たのが、何よりの答えだろう」
「それはそうだが……」
それは理屈の上では正しいと徳子も認めるが、本能がそれが嘘だと教えてくれる。
――だが、ここで敵対宣言をすれば、確実にこいつは私を見捨てる。
生殺与奪の権を完全に握られている状況だ。
この状況で仲間だと言われれば、素直に受け入れる以外の選択肢はないように思えた。
「それに、これは君の宣言だろう。お前など、仲間でも何でもないと。そんな私に対して利用されたからこそ怒りをぶつける?
私たちの関係はただ単にお互いにお互いを利用する。そんな薄氷の上で成り立つ薄い関係だったと思っていましたが」
――この、二枚舌め!
先ほどは仲間だといった口で、今度は過去の発言から、自分たちは仲間でも何でもないと口にする。
あまりの変わり身の早さと面の皮の厚さに徳子は内心で罵倒を繰り広げた。
「だが、お前……、心の底ではこの展開になるのを望んでいただろう。私がこの女の踏み台になる展開を」
「ええ、もちろん。これだけ大規模な争いですからね。きっと彼女が出張ってくるだろうと考えていました。ですが、彼女が来るのは完全に運ですよ。
そしてそのお詫びにあなたを助けてあげましょう。
もちろん、その詫びを受けとらないというのであれば、私は今すぐにあなたの目の前から姿を消しましょう」
「……うっぐぅ!!」
いま、ナイ神父のほうが、頭が高い。
その相手が頭を下げてきたのだ。
感情的に受け入れがたい事例であろうとも、実利から選択肢がないのだ。それでも感情が許さないからこそ、奇妙な唸り声をあげることしかできなくなっていた。
「ここで一つアドバイスさせてもらおう。助けられた恩があろうとも、むかつくなら殴れ!」
後のことなどどうでもいいだろう。今はこのむかつく男を一緒に殴ろうという白夜の誘いに、徳子は一瞬心惹かれたが、結局彼女は動かない。
ただ沈黙を返すだけだった。
「ほんとぉに! つまらない奴だ」
徳子に顔を向けないままに、白夜はそう吐き捨てた。
徳子のことを侮っているのもあるが、それ以上に余裕がないのである。
軽口の裏で、二人は言葉だけではなく力でもぶつかり合っていた。
それは古式ゆかしき力の比べあい。
会話の最中でも、白夜はこの拘束をどうにかしようと力を籠め、ナイ神父はナイ神父の圧欲のもとに囚われていた。
――これは正面からの突破は無理そうだね。
短い攻防。
形勢の不利を悟るとともに、白夜は次の手札を切る。
力を受け流すべく後ろに下がる。
まずは調子を確かめるように、つま先を地面に叩きつけ、そのまま半歩後ろにかかとを下げた。
その時、靴に付けられた鈴から、清廉なる鐘の音が響き渡る。
不思議と耳に残る涼やかな音色にその場にいた人物皆、どこか心惹かれる様子だ。
正確には、半ば無理やり心を引きつけられたといってもいいだろう。
「うわあああぁぁぁっ!!?」
まんまと敵の術中にはまったことを理解したナイ神父は思わず叫んだ。
気がついてすぐに再起を図るものの、どうしても生まれてしまう一瞬の意識の隙間。
正面から成功した不意打ちに、ナイ神父それはもう大慌て、情けないほど大きく回避行動をとった。
周囲にいた人間。特に武術の心得がある照や徳子などは、内心で素人めと悪態をついたほどだった。が、すぐにその見識の深さに目を丸くする。
白夜の手が通った軌跡に虚空が生まれているのだから。
この暗い夜空の中にあって、なお暗く、この深淵なる神域にあってなお異端などこか。
二撃、三撃と攻撃を繰り出し、そして届く。
結果は、ただのかすり傷。
しかし、それで十分だった。
かすり傷であろうとも、ナイ神父の腕は異次元へと追放されたからだ。
「はらいたまい、清めたまう……」
ここで白夜は榊の枝を構えた。
祝詞を奏上し、ふるわれた一撃は、されどあっさりと回避される。
しかし、狙い通りだった。
榊の枝は不浄なもの、彼女がこの世界に開けた虚空をきれいさっぱり消し飛ばしたのだから。
「さあ、腕を消し飛ばしてやったぞ。これで貴様も……何事もなく元気いっぱいのようだね」
「いえ、私とてこの状況は驚いていますよ。方違え。あるいは返還の呪文。
私たち神格、あるいは異形の生物は複数の次元に存在している。
ここに存在している姿ですら、複数の次元に存在する巨大な私の一端でしかない。
それは逆に言えば、神格にとっては自分自身が住まう世界こそがもっとも結びつきが強い。
なら、その結びつきが強い次元へと道を開いたのならば、この次元からは追放される。
対神格、それも上位の存在であれば上位の存在であるほどに、効力が増す。
私が、この次元にとどまるために、身体の波長をチューニングしていなければ、きっと腕は返ってくることはなかったでしょう」
――絶対嘘だ。こいつなら、たとえ全身を異次元に放逐してもすぐに戻ってくる。
惜しみない神父の賞賛も、白夜には皮肉にしか聞こえなかった。
銀のカギを使い、この神父は異界の扉を開き、そのまま腕を引っ張り出したのだから。
「訳が分からん。なぜだ、どうしてそこまで気軽に術式を切り替えれる」
自身もまた最高位の術式を使える超越者であるからこそ徳子がこれがどれほど理からかけ離れた諸行であるのかを理解してしまう。
体内に残る魔術の残滓。それがもたらす拒絶反応。
確かにだ。その汚染を解消する魔術もまた存在している。しかしそれはいうなれば自身の血液を入れ替えるようなものだ。
とてもではないがまともな手段でできるとは思えない。
「いったい何がどうなっているのだ」
徳子の技術、そして知識では眼前で行われている神業が理解できる範疇にはなかった。
それほどまでに隔絶した差が、徳子とこの二人の間に広がっているのだ。
そしてそれよりも恐ろしいのが、これほどの攻防であろうとも、彼らが触媒や事前準備を一切していないお手軽な、その場その場で発動できる魔術しか使っていないことだった。
――予測はしていたが、からめ手では向こうが数段上手か。
異界に敵を送り込んだとしてもすぐさまここに帰還してしまう。
「ならば物理的に破壊するまで」
そういって、懐から一巻の巻物を取り出した。
「諸行百鬼物語」
ひとりでに宙を舞う巻物。
そこに描かれるは古式ゆかしい妖怪物語。夜の世界を縦横無尽に闊歩する恐ろしい姿、滑稽な失敗をする間抜けぶり、どんちゃん騒ぎに興じて踊り狂う人間味豊かな化物まで。
その細部にまで作りこまれ、じっと見つめているだけでも妖怪たちの息使いが聞こえてきそうなほどに作りこまれている絵巻物。
「鬼火、火車、天狗!」
名を口ずさめば、化物たちが二次元から三次元へとのっぺりと姿を現した。
頭のてっぺんから、足の指の先まで、絵巻物に描かれた姿そのままに。
惜しげもなく絵具に使用されたラピスラズリや孔雀石といった宝石の輝きを見せてくれるばかりか、当時の人間が感じていた化物への畏怖すらも忠実に再現していた。
「なるほど。ン・ガイの森の再現という訳だ。
しかし、芸のない。こんなまがい物で私をどうこうできるとでも」
どれもこれもが本物とそん色ない、それどころか、担い手の技量もあってか、本来のそれよりもはるかに強大な力を秘めているというのに、ナイ神父は子供だましだと切って捨てる。
「果たして、その余裕はいつまでもつかな」
それはまさに神話の再現だった。
鬼火。
人の霊魂、もしくは怨念が炎の形となり現れたものと考えられている。
伝承によればその大きさは手のひらサイズ。
不吉の前兆とされるが、とりとめて有名という訳でも強力という訳でもない、ありふれた低級の妖怪。
「待って……、待ってください」
だというのに、そばで観戦していた照は突如現れた小型の太陽に命の危機すら感じていた。
圧倒的な熱量に、そこから漏れ出す光はただそばにいただけで厳しい訓練を受けた術者である照ですら耐えきれない。
喉がひりつくような乾き、明かりの光量に目を焼かれまいとその場にうずくまる。
「そういえばまだ民間人がいたのか」
天狗が団扇を一振り。
すると、烈風が吹き荒れ、風の壁が熱の暴威を遮断する。
質感を持った風が生存者を包み込む。
それはつまり、この出力の攻撃をも完全に制御できているということだ。
「さて、逃げられるとは思わないことだね」
今度は天狗の団扇がナイ神父に向けられた。
鬼火の青い燐光を巻き込んで火災旋風が形成され、炎と風の刃が身体を拘束するとともにその内側にいる神父を切り裂く。
「バン!」
そして、必殺技が放たれる。
一言。突撃の合図を送れば、ソニックブームをまき散らしながら、火の塊が火災旋風の中を突っ込んでいった。
「神威纏依・邪悪なる水の神よ」
この危機的な状況の中でも、ナイ神父は余裕の笑みを消すことはない。
懐から取り出した仮面をかぶる。
それだけで、冒涜的な色彩を持った水が周囲にあふれ出し、青い燐光を、烈風を、音速を超える速度で突っ込んでくる火焔の塊を、そのすべてがどろりとした粘液に飲まれていく。
「所詮はこの星の、それも、一国の怪異だ。そんな低俗なものがこの私に通用するとでも」
自分の必殺技がいともたやすく崩壊したとしても、白夜はただ冷静に眼前の状況を分析していく。
「なるほど、他者の神格をかぶることによって、その性質まで引き出しているのか」
「あなたが先ほど行っていた神楽と原理としては同じですよ」
「お前と同じにするな」
「まぁまぁ、そういわずに。私の目的はこの子の回収。本日はもうお開でいいのです。
あなたとて、これからやりあう相手に自分の手の内をさらすのは憚られるでしょう」
この提案に張りがあると白夜は素直に思う。
今使っている術式、諸行百物語。
絵巻物語に記載されている妖怪をこの世界に呼び出す術式。
彼女が扱う術式の中では二番目に強大なものだった。
どこかでこいつと再戦するならば、間違いなく実戦に投入できるだけのスペックを持つ。
「確かに、お前にこちらの手の内を見せないのは正直ありがたいかな」
「なら」
「ああ、断る。この程度の術式が私の底だと思っているのか。私は混血の王だぞ。
しいたげられた混血を導き世界を変革する新時代の寵児。
その私がこの程度の術式で満足すると、この程度の力が限界だと思っているのか」
「やはり……、あなたは面白い」
今日の自分よりも明日の自分のほうが強いと、自信があるからこそ、今の自分の限界を惜しげなくさらけだせる。
その在り方こそが、ナイ神父が人類に求めるものであり、
「若いな」
もはや、死人でしかない徳子が失くしてしまったものだ。
そんな死人ですら、白夜こそが、世界を照らす光だと問答無用で信じ込ませる力がそこにはあった。
「そっちが質で勝負するというのならば、こっちは手数で行かせてもらう」
もとより、この術式の強みは攻撃力ではなく対応能力。
「来い、船幽霊、海入道、ユキワラシ、蜃」
水に関係がある怪異が複数体呼び出された。
そう、相手の手札に対してピンポイントでメタを張れるのが、この術式の長所だった。




