第38話横やり
長鳴鳥の声が響いた。
朝の訪れを告げる甲高い声が周囲に木霊していく。
それは朝の訪れを示す鐘の音色であり、一般的かつ呪術的な象徴でもあった。
「空が、私の神域をはがすつもりなのか」
エメラルドの、この世ならざる色素に染まりし空が、ある意味で正常な、ある意味でさらに異常な状態に染め上げられた。
外はいまだ夜のはずなのに、蒼穹が顔をのぞかせたのだ。
「シュブ・ニグラスは夜の神。朝を無理やり呼び出すことでこの神域を崩壊させるつもりだな」
神域を作り出したのは徳子だが、その制御は神の手によるものだ。
神域に干渉されようとも、徳子に打てる手はない。
「まったく部の悪い賭けだ」
もし、打てる手があるとすれば、この美しくも恐ろしい白い獣を打ち倒すことだけだった。
徳子は、この時点で勝てないと悟っていた。
神がおわす神域への干渉。
ただの影法師といえど人類最高峰、神域の腕前が必要となる。
しっかりとした事前準備を整えた状態でも同じことができるかと問われれば徳子は出来ないと断言する。
そして、――
互いの獲物、鏡のように磨かれた短刀と大幣がぶつかり合う。
どちらも小さく簡単に折れてしまいそうなほどに華奢な武器だというのに、周囲を薙ぎ払うような轟音が木霊した。
「お前、そんな遊女のような恰好で戦場に立つとか正気なのか」
神の力すらも書き換えられる、人類のなかでも、それこそ仙人連中を勘定に入れても両手の指で数えられるほどの技量。
その衣服もある意味では仙人らしくはあった。
もちろん悪い意味で。
胸や股間を隠しているのはもはや紐。
かろうじて隠しているからこそギリギリ捕まらないだけで、警察に職質されても文句が言えない服装だった。
そんな恰好をした女が羞恥心をかなぐり捨てて戦場に立っている。
嫌味でもなく純粋な疑問だった。
「これはこういったファッションです!!」
しかし、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいらしく、大幣にさらなる力が込められた。
結果、当然のように徳子が吹き飛ばされる。
「怪力無双とはこのことか。そんな男に媚を打ったような恰好をしているというのに、うちの男衆顔負けの怪力だな」
背後にあった建物の瓦礫の下から、這い出しながらも、特にこらえた様子もなく軽口をたたく徳子だが内心は穏やかではなかった。
この短い、たった一度の衝突で両者は互いの力量を把握してしまったからだ。
――分かっていたけど、勝てない。
と徳子は自身の敗北の未来を幻視しながらも、それでも決して後ろにはひかなかった。
――やっぱりやる気でない。
対して、白夜はひどく退屈そうに仕事に臨む。
いつもならばせわしなく変わっていく表情が、今は能面のようだった。
「ねぇ、もうどうせそっちの負けだからさ、降参してくれない。あなたとやったとしてもつまらないんだよね」
勝機の薄い難敵に挑むべく、気力を充実させていく徳子に対し、白夜はどこまでも事務的で淡白だった。
これから戦う相手は王でもなければ戦士でもない、気品もなければ気骨もない。
端的に言えば気が乗らないのである。
つまり、この戦いは彼女にとって害虫駆除であり単純作業だった。
「ほら、どうせあなたの背後には、胡散臭いあの、黒い神父がいるんでしょ。あんたあいつの仲間だろう。そいつの情報を話せば見逃してやってもいいんだけど、どうする」
白夜の予想通り、胡散臭い神父。到底個人を特定できない情報だけで、徳子は話題の人物を特定した。
その男には無数の名前がある。
サンジェルマン、黒い男、這いよる混沌。
人類の黎明期、あるいはそれ以前からこの星の記憶の中に顔を出しては大きな混沌と変革をもたらす魔人。
白夜はいつでも処理ができる退屈な相手ではなく、その背後にいる強大な存在をにらみつけた。
ある意味で、それはどこまでの残酷な行為だ。
目の前にいる自分に挑む敵を、真の敵へと至るための登竜門としてしか見ていない。
その態度に徳子はプルプルと震えていた。
「一つ訂正させてもらう。私とあいつは仲間でも何でもない。
貴様とて会ったことがあるのならわからんのか。あの男のうっとうしさを!!」
「あ! ごめん。そうだよね、あんなうっとうしい男と仲間なんて思われるのは普通に嫌だよね」
全身全霊を込めて自分と神父の関係を徳子は否定した。
敵である白夜ですらも、あの男のうっとうしさを知っているからこそ、人でなし相手に、思わず人道的な対応をしてしまったほどだ。
「無能、低俗、愚鈍。
これほどの大事件を引き起こした怪物はいったいどんな人物だと、評価が高かっただけにがっかりしたけど、最低限の吟味は持っているようだ。安心したよ」
「いや、あなたの中で私の評価はいったいどうなっているので」
白夜にとっては本気で悪いと思ったからこそのフォローだったのだが、どうやら敵からは不評だったようだった。
敵なので、これ以上のフォローをしようとは思わないのだが。
「でだ、ともにあの男に迷惑をかけられた仲だ。どうして君がここに派遣されたのか推測でいいから教えてくれないかい。見方でも何でもないんだ。それくらいならいいだろう」
結界の中に入って、相手の思惑を探れば探るほどに、白夜の中で困惑が広がっていく。
「どうして、あいつは君に神格の召還などという大役を任せたのかな。呼び出すだけ呼び出しておいて制御もできていない間抜けに」
言葉の節々に棘を忍ばせ、こちらをあおってくる白夜に忍耐の限界値を試験されている気に徳子はなった。が、一つ確かめなければならないことがあるせいで会話を続けるしかない。
「さあな、あいつにとってはこれも、失っても惜しくない程度のものでしかないのではないかもな。なにせ、何の見返りの要求もなく私に渡してきましたので。
それよりも、どうしてあなたはここにいる。ここは神域だ。私ですら、入念な準備をしてもここに入れるのかどうかわからん。
昼や暁、黄昏時ならわかるが夜のあなたにここを通れるはずがありません」
その質問をする徳子の目は鋭く冷たかった。
そう、ここで、彼女は一つの可能性に行き当たっていたのだ。
「それはこの結界の性質が原因だね。私はこれでも、シュブ・ニグラス様を崇め奉る巫女の家の出なんだ。神側が通してもいいと思える人間を拒むことはない」
徳子は、何やら、古語を叫び始めた。
彼女はもともと平安時代の人間だ。
言葉の発音も訛りも現代の標準語とは大きく違い、具体的に何を言っているのかまるで分らないが、それでも口汚くあの神父をののしっていることが分かった。
はからずも、白夜は言葉だけで敵の同盟関係に亀裂を入れることを成功してしまった。
「さて、これで、あのない神父の裏切り、あるいは不義理が判明したわけだ。チラッ! ほらほら、これはまさしく落とし前案件だよね」
「あ奴とはまたいつか雌雄を決する」
「いつかね。それはいまではないのか」
「今私の前には全霊で挑んだとしても勝てるかどうかわからない敵がいる。
ここで戦力を減らすような手は打てませんので」
「本当に、つまらない人」
徳子の言い訳を白夜は予想していた。きっとこう言い訳するであろうということがわかっていたのだ。
だからこそ、憐れむ。もはや引き返すことすらできない深淵に身を置き、しあさっての方向をさまよい決して真実に到達できない哀れな子羊を。
そして、決裂はそのままに決戦のゴングを鳴らした。
徳子が動く。
鏡のように磨き抜かれた短刀に白夜を映す。
「気を付けて、鏡が壊れたら実際に身体が傷つくのよ」
鏡に映ったものが、どうなったのか。実体験として知っているがゆえに照は忠告した。
もちろんこれには簡単に防ぐ方法がある。周囲を煙幕で覆えばいい。
光という情報の伝達手段を必要とする関係上、たったそれだけで能力は大きく制限される。
しかし、準備から発動までコンマ五秒を切る早業の前に、忠告が終わるよりも早く呪詛が発動した。
射程が広く、回避が困難で高火力という厄介さを煮詰めたような一撃。
「だめっ!!」
訪れるであろう無残な姿を思い照は声を荒げるが、白夜はただ大幣を一振りするだけでその術式を防いでしまう。
「噓っ!」
白夜が何をやったのか、照には理解できた、だからこそ脳が理解を拒む。
お祓い。
魔術を習うにあたって、日本では一番最初のページで紹介されるもっともオーソドックスな術式だった。
井筒や波子三、徳子が暴れまわっている姿に照は確かに戦慄した。
しかし、それは自身の怪物性、人ならざる怪物であるという特異性からくるオンリーワンな性能だ。
だが、今白夜がやっているのは極論すればだれでも使用できる術式であるからこそ、「こんな一瞬であの強度の呪詛を祓うなんて」
と、その練度の高さが一目でわかってしまう。
「何かした」
「単なる牽制だ」
白夜は大幣を振り落としたままに、まるで踊るようなステップを踏み鳴らす。
それだけで清廉なる鐘の音が周囲を正常に揺り戻していく。
そう、徳子と白夜。二人の実力は白夜のほうが上であるが、徳子のほうが地の利がある。
今ここにおわす神と相性が良けれど、この神域を作り出したのは徳子であり、この場所にいるだけでいくらでも戦力を生み出せるし、自分が食われるという可能性を度外視すれば神の恩恵も受けられるのだから。
制御権を奪おうと徳子は神を崇め敬う。
それをさせまいと、ビルに衝突した時に拝借したガラス片を投擲していく。
「ノーコンね、真っすぐ飛ばないのもあるとは」
うち、二つはまっすぐに白夜の体に向かった。
当然のごとく大幣で払われる。
が、大きくそれてしまった最後の一つだけはそれたからこそ、対処をしなかった。
そこで、自分の失敗を白夜は悟る。
最後に残ったガラス片が呪いを発動した。
「どうやら発動のタイミングが偉くシビアのようだな」
呪いへの耐性が高かったからこそ、全身に走る傷は浅いがそれでもダメージはダメージだった。
――さて、問題は今やるか、それとも。
しかと作られた優位性。
それはいわば砂上の楼閣だ。
しかし、敵はただ一人。
今はまだ夜ということもあってか、向こうの戦力は大きく制限されている。
勝てないなら逃げられないかと、徳子は考えたが、しかし、どうしようもない。
戦意が重しとなっていた。
「そっちこそ、威力が足りないようだが」
徳子の軽口に、白夜もまた軽口で返した。
ほほから滴り落ちる命のしずくを赤い舌でぺろりと舐める。
「驚いた、貴様の血も赤いのか。ずいぶんと人間らしいことだ」
「逆に聞くけれど、いったい何色だと思っていたの」
白夜はただ全身に活力を行き渡らせる。
それだけで肉が盛り上がり、全身がこの世ならざる怪物のように膨張したかと思えば、再び絶世のとすら形容されるほどに美しい人の肩へと戻っていった。
「残念だが、お前はやはり化物だ。人間らしさなどみじんもない」
このありさまを見て、徳子も人という生物の範疇からはだいぶ逸脱しているという自覚はあったが、目の前にいるのはその道のはるかかなたを歩む先達だといやおうなしに認めざるをえなかった。
――これは、暁までに殺しきれるかどうかわからん。
このまま戦った未来を想像しても、倒せるという未来が見えない。
千日手になった挙句に朝までもつれ込んで逆転される未来が見えてしまう。
自分の有利なフィールド、周りにいるのは足手まとい。
徳子にとってこれ以上の条件での戦闘はもうないといってもいいほどの条件。
しかし、殺しきれない。
――それも今だけだ。
それでも、徳子のプランの中では目の前のおぞましくも美しい化物を殺しきるだけの手段を手に入れる当てが存在した。
「今は勝負を預ける。せいぜい首を洗って待っているがいい」
今勝てないのであれば、勝てるまで待てばいい。それは徳子の宿敵が実際に行った行為だった。
幸いに現在は夜。
白夜が得意とする昼の異界を操る力は使用することなどできはしない。
すなわち、現在は機動力に関しては徳子のほうが上なのだ。
その事実からこそ、徳子の体が掻き消えるようにその場所から掻き消えた。
「それで、逃げた先はここで言いの」
そのはずなのに……。
鏡から鏡の転移。
あまり遠くへと転移できないからこそ、まだ緊張を緩めてはいなかった。
だから即座にまた二度三度と転移するつもりだったというのにだ、徳子の背後から声が聞こえる。
「まさか」
後ろから聞こえたささやき声に、背筋を凍らせるような恐怖を徳子は感じた。
声がしたのは、それこそ吐息の感触すらも感じられるほどの距離だ。
徳子が防衛体制を取るよりも先に衝撃が襲う。
それに呼応するかのように周囲のガラスが雨となり地面に降り注いだ。
「鏡と鏡像の自信を入れ替えているのかな」
ただ一目見ただけで、相手の能力の詳細を言い当てる白夜に、逆に徳子は困惑気味だった。
「どういうことだ、今は夜。あなたが能力を全開で使えるのは限られた時間のみ。それなのにどうしてだ」
「え! それを聞いちゃうの。もうそっちだって大方の見当はついているでしょうに」
ぎょろりと、逃走経路を探すために町中をさまよっていた瞳が、白夜のほうへと揺れ動いた。
「いったい何の話だ」
「あなたも不運ね。偶然私がこの術式を選ばなければ、ね」
その露出過多、いろいろと丸出しになっている服を眺めれば、徳子には改めてこの女がいかなる術式を用いているのか、そして自分の術式の根幹との関係性に行きついていた。
「かなりいいもの持っているね。ほしいなぁ、君が持っていたとしても宝の餅腐れでしょう。
それほどの神器を持っていても、その程度の力しか使えないんだから」
「ふざけるのか! これは我らのものだ。あなたごときには死んでも渡さぬ!」
「そうかなら、力づくで奪うまで。あなたとて理解しているはずだ。どんなに大切なものであろうとも、力がなければ奪われると」
「しまっ……」
今度は白夜の姿が掻き消えた。
いつの間にか、そうとしか思えないほどに静かな瞬間移動によって、徳子は背後を取られる。
徳子は即座に鏡の世界へと飛んだ。
「本当に逃げる先はそこでいいのかい」
鏡の世界。
徳子の異能によって形成された、彼女だけの不可侵の世界に、あっさりと、腕が延ばされた。
驚愕する間もなく、徳子は地面へと押し倒された。
硬く握られた拳が振り下ろされ、もはやここまでと覚悟を決めたまさにそのときだ。
「それで、今さら出てきていったい何の用」
横から、黒く華奢な腕が伸び、拳を止めたのは。




