第9話北条高時
見た目の年齢相応に軽やかな足取りで、夕子はエメラルドの空の下を歩いていた。
燃え盛る民家、道端に転がる死体、決死の覚悟を決めた戦士たちの咆哮。
当時の戦では敵が、此度の戦では自分たちが皆に与えたものだった。
その光景を懐かしむように悲しむようにしみじみと眺めている。
この町の皆が大慌てであれやこれやと対応に追われているというのに、ただ一人、ゆったりと落ち着いた足取りで、逃げ出すのではなく事態の中心地へと向かう。
徳子が足を向けたのは兵どもの夢の跡地。鎌倉幕府滅亡の地、東勝寺だった。
ここは北条家の菩提寺とされ、栄えていたそうだ。が、今ではその面影すら残されていなかった。
千年という月日は栄華を過去とするのに十分だった。
その過去を書き記した石碑にしても、一本の大樹によって根底から破壊されている。
しかも、ただの大樹ではない。見上げども見上げどもその全容を把握できないほど巨大な大樹だ。
「思った通り、順調に成長しているようだ」
よしよしと、徳子は自分の計画通りに事が進んでいると確信し一人笑う。
天へと延びるこの大樹、古今東西ありとあらゆる木がそうするように、この木もまた大地から力を吸い上げていた。
だが、その代償のようにこの土地が干からびていく。
腐っても、かつてはこの国の首都。
人びとが生き過ごし死んでいった。その一時一時が無数に折り重なったはてに生れた情念は汲めども汲めども尽きることはない、それでも限界は存在する。
その犠牲の果てに新しい伝説が生まれようとしていた。
マンドレイク、ドライアド、月桂樹。世界各地で人の形をした植物の怪異は語り継がれ、また、植物が元は人間だったなどという伝承にも枚挙にいとまがない。
今宵目にするのはそのどれにも当てはまらない、新たな妖樹の物語だ。
徳子は目を輝かせながら赤い木の実を目にしていた。
一つ一つの身がとてつもなく大きく、もしも桃太郎が入っていたとされる桃の実がこの世に存在していれば、これはその近縁種かと疑われただろう。
一日の終わりを告げる夕焼け、あるいは血のように真っ赤な実だ。
数にして百は優に超え、千には及ばないまでも、九百近く。この巨木は多くの実を抱え込んでいた。
その一つ一つが小さく揺らいでいた。風と思うだろうが、結界に閉ざされ周囲と隔絶したこの場所は完全に凪いでいる。
ならばこの揺らぎはなんだ。そう思い木をまじまじと見つめればきっと後悔することになるだろう。
大樹の内側。
薄い皮の向こう。果実であれば種子が存在する場所には黒い影が見えた。影はゆっくりと、だが確かに動いていた。
ならばこそ、中にいるのは生き物であり、それが何の生き物かとさらに目を凝らせば、それが我らにとって最も見慣れた生物であることがたやすくわかるだろう。
ーー人だ! この果実の中で人が育っていた。
「ああ、速く、速く育たんか」
この冒涜的な光景を、夕子は恍惚と見つめていた。
まるで愛しい恋人を見つめるようにその表情は蕩けている。
もっとも、ここから生まれるのは恋人でも友人でもなく敵だ。
しかし、平安時代の終末期、戦乱の時代において、強大な敵というのは寝所に通う殿方よりもさらに愛おしい相手だった。
赤い皮は胎盤であり、実の揺らぎは心臓の鼓動なのだ。
初めは小さかった黒い影もぐんぐんと成長していき、その重さは木の枝をしならせていく。
最後には天へと延びる木から地へと堕ちた。
果実は地面というキャンパスに大輪の花を咲かせた。
どろりとした粘液が広がる。
そこに、果実特有の甘いにおいはなく、どこか鉄分を含んだ生臭さが周囲に満ちた。
「ああ、服が汚れて! この時のためにせっかく気合いを入れていいものを用意したというのにぃ!」
どうらや、この一件の首謀者も全てが手のひらの上ということはないらしい。
粘液の飛散のせいで、せっかく用意した一張羅が台無しになった。
こんなことならもっと安い服を着てくればという後悔、これから出会う宿敵にどうすれば晴れやかな姿を示せるか。
結局、時間がないせいで、対処などできなかった。
徳子が着替えを用意する間もなく、大輪の花の中心地。臓物のように広がっている果実の中で、種が芽吹くように人影がごそごそと動き出す。
それは人だった、少なくとも、見た目だけは。
年のころは四十かそこらだろうか。
やせ細り病弱そうな男だ。
その男が何とか立ち上がろうと動いて転ぶ。芋虫がごとく、みっともなく地面を這いまわり、立とうとして無様をさらす、そんなことを数度繰り返す。
ようやく立ち上がれば今度は産後の赤子がそうするように、肺の中にまで詰まった。どろどろとした何かをせき込みながら吐き出していく。
それらをあらかた吐き出し終えて、ようやく一息付けたところで、彼は夢から覚めるかのように開眼したのだった。
そして、目を見開いた彼の視線の先にあるのは、齢が十二から十三歳くらいか。そんな少女が血濡れで立っていた。
手にはこんな体躯の少女が持つには明らかに不釣り合いな大薙刀。
それこそ、今まで人を殺していましたという壮絶な笑顔を見せ自分を迎える。
――なにこれ怖い!!
北条家執権北条高時はこの状況に恐怖を感じた。
「初めまして、我こそは大政大臣平清盛の娘、平徳子」
さぁ、目の前にはこの国を焼き尽くさんとする邪悪がいるぞと、気炎を込め夕子、あるいは徳子は気をたかぶらせた。
「第十四代執権北条高時」
対して、訳の分からない状況に放り込まれた高時は状況に困惑していた。
いきなり訳の分からないところに連れてこられて、知らない幼子が敵対宣言をする。困惑するのは当然だった。
時を超え源平の合戦。その勢力の最後を担ったものが同士が対峙した。
まるで親の仇を、実際に親の仇の末柄を睨む徳子は殺意を隠せなかった。
「初めましてか。清盛様と同じく平氏の血を持ちながら源氏についた裏切り者どもの末裔」
北条の何が気に食わないのか。
そう聞かれれば、徳子は全てと断言する。
戦いもせずに権力をかすめ取ったのが許せない。
我らと同じ平氏の血統でありながら裏切ったことを憎悪する。
源氏と兵士の合戦の自分ですら、こいつらはろくな戦果を挙げることなく高みの見物だ。
最終的に天下をすべたのが源氏であれば悔し涙を浮かべただろうが、納得する。だが、北条が天下を取ったというのはどうしても認められない。
こいつらと話をするために長い長い時をかけたのだ。目をらんらんと輝かせ口をゆがめ狂気に満ち満ちた表情で、徳子は眼前の男に相対する。
「お主が誰かわかった、だがここはどこだ。そもそも儂は死んだはずでは」
当然と言えば当然だが、徳子の雑な説明では何も分からないのと同義だった。
頭の上にクエスチョンマークを浮かべた上で、もっと詳しく説明しろと敵に対して懇願する。
事前に知らせがあったならまだしも、、貰い事故で蘇生された彼に状況を理解しろというほうが無理難題だった。
「信じられぬが、死んだはずの儂が生き返ったのだ。おぬしが、平家の姫君であることに疑いはない。
疑いがないが、なぜこんなことを。そこが分からぬ」
自分の最後の瞬間を高時は覚えていた。自刃した瞬間のことは昨日のことのように思い出せる。
というよりも、実際彼の体感では昨日の出来事だった。
故に、この光景が末期の夢ではないかと疑っていた。
「端的にいえば、私はお前の敵だ」
祈るように手を合わせた。そして手を広げた時、徳子の手には可憐な装飾が施された鏡が握られていた。
それは言わば、彼女の思いそのものの具現だった。
「現代風にいうのであれば、外在型具現三天四獣鏡」
鏡とは太陽の化身だ。
その由来とされるのが三種の神器の一つに数えられている八咫鏡。
天の岩戸に閉じこもったアマテラスを誘い出すためにその姿を映した鏡である。
古来より光を反射するその姿が太陽の現身とされた。
徳子の手元に出現した鏡。
そこからあまねく地平全てを照らすような光が漏れだした。
燃え盛る船と海の中の竜宮城。平家という伝説を構成する二つの要素。
あのとき感じた炎という終末がこの世界に姿を現した。
放たれた光は周囲を焼くというよりも燃えているという結果をこの世界に引っ張り出したよううだった。
「なんだ、何なのだこれは」
自分が今いる場所が地獄で、焦熱地獄で焼かれる寸前だ、と言われたほうが高時には信じられた。
周囲一帯を炎の海とする。何の下準備もなく、いともたやすく。言うは易し、行うは難しというやつだ。
怪物が怪物であることの証明が今なされた。
もはや、戦意などない。恐ろしい化物からは恐怖しか感じない。
「話し合いたい。お、お前の目的はいったい何なのだ」
「お前の首だ」
「ならば、儂の首一つで町の破壊を止めてくれるのだな」
圧倒的な力の差。自分にはどうしようもないもという確認するまでもない現実に、高時が選んだ選択肢は無条件降伏だった。
高時を打倒したあの希代の英雄と同じく、彼と徳子の間に見果てる事すらかなわない差が存在していたからだ。
「まさかお前は、戦いもせずに降伏すると」
精神的にも、物理的にも優位に立っているのに、徳子の声は何かに怯えているように震えていた。
事前にこの状況になる可能性もあるのではないかと、予想していたにもかかわらずだ。
ここは高時が生きた時代ではない、彼を知る人物もいない、幕府もなければ、当然、それにまつわるしがらみも。
戦う理由も義務もないのだ。
はっきり言って、逃げ出さず、民草のために首を差し出す姿はあっぱれとほめたたえられこそすれ、卑怯者とののしられることはない。
「貴様には武士としての誇りはないのか!!」
だが、徳子は卑怯者と非難した。
悲しいかな、、彼女の地雷を踏みぬいていた。
それもこの上なく。
後々の展開を考えれば、降伏は都合がいい。
このまま何も知らない高時の首をはね、復讐のための手ごまを確保する。それが利口なやり口だ。
それができないのは、本当はこんなことはやめたいという、弱さゆえだった。
「儂とお前には戦う意味などないのだ。
そもそもの話だ、儂は死人。死人同士が墓から這い上がり生者を害するなど、笑い話にもならん」
深々と頭を下げる高時に、徳子は圧倒されていた。
このまま、こいつが頭を下げ続ければ、心が揺らぐ。
そう感じたからこそ、甘いリンゴを差し出した。
「ここは貴様の治世よりも千年後の鎌倉だ。私はこの地の人間すべてを生贄にささげることで、死者の軍勢を生みだし、この国に喧嘩を売る。
貴様の背後にいるのはかつての貴様の配下、ともに腹を切った同胞だ。
彼らを貴様を中心に再現した。だからこそ、貴様だけは意識を奪えなかったのだがな」
ただ許してくれと頭を下げるだけだった高時の額が僅かに浮き上がる。
土下座の体制のまま、さっと後ろを覗き見た。
大樹に実る大量の果実。しかし、その中に何が詰まっているなど、彼の目では判別つかなかった。
「それはつまり、儂が死ねばここにいるみなが消えるということか」
徳子はただ笑みを深くした。
乗ってきたと、獲物が針にかかったのを感じたからだ。
「そう、貴様が存在する限り彼らは動き続け、この心臓が動く限り、彼らは私の掌だ」
つまりは、高時が彼らの意志をこの世にとどめ、死ねば意志亡き亡霊の群れとなり、国を荒らす死霊の軍勢となる。
それを防ぐには目の前の女を殺すしかないということだった。
「さぁ、どうする。この国を揺るがす巨悪がここにいるぞ」
徳子は身構えた。
武士としての本会を見てやろうと、魔王がごとく笑う。
彼女にとってこの戦いは復讐ではなく願掛けだった。
自らを打ち破った時代。その集大成がいかなる人物かを見極めるためのもの。
戦うならばよし。自分を打倒すならばなおよし。
勝ち負けに関係なく、その最後が納得いくものでは自身は素直に後進に道を譲るつもりだった。
ただ、北条の最後の執権は、自分たちを打倒した一族の最後の生き残りはあっさりと逃げだした。
「は? まさか我らはあんな卑怯どもに負けたのか」
呆然とする意識を現すように、彼女の手に持つ三天四獣鏡がただむなしく明滅する。
「こんなものか、我らはこんなものに負けたのか」
輝かしい、見るものすべてを魅了する宝石が拾い上げてみたら実は単なる石ころだったような。砂漠のなか、目の前にあると信じて疑わなかったオアシスが単なる蜃気楼だったような。
そんな虚脱感に彼女は襲われた。
内在型具現系の能力で生み出した、言わば彼女の心が手から零れ落ちた。
髪をかき乱して、うずくまり、いったいこれからどうすればいいのかと誰もが一度は考え、だれもがそんなものを過去にしてきたことでみっともなく迷う。
「私は、私はこれからどうすればいいのだ」
「そのようなこと、心配する必要なんてありませんよ。これからあなたは死ぬのですから」
その声は、徳子の背後から響いた。




