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第6話たすけて

 マンションから飛び出す。

 もう二度とこいつらの顔を見ることもないだろう。目に涙を浮かべ、もはや二度と後ろを振り返ることはないと覚悟して踏み出した一歩は、その一歩目で挫かれた。

 最初にイメージしたのは水。

 潜水したかのような息苦しさを感じた。

 

 ーーこれはまさか結界。

 

 体験したことはないが、知識として俺はこの現象を知っていた。

 人間が扱いうる魔術にも同系統のものはあるが、しかし、これは格が違う。

 そもそもの話、こんなこと人間が可能なのか?



「ああ、そうか、そうだな、そういうからくりか」

「え! どゆこと」

「俺たちはもう逃げられないんだ、わざわざ殺す必要がないってことだ」


 ここに俺たちが立案した作戦は白紙に戻された。

 

 考えてみれば当然だった。

 目撃者を消すための襲撃を読んでいたが、何も本人が来る必要はない。

 大掛かりな仕掛けを用意しているのならばそれを発動してしまえばいいのだ。

 実際、俺たちは逃げられないし、これから行われる第二第三の仕掛けに、すりつぶされるように数を減らしていくだろう。

 向こうからすればどうせ死ぬのだから、わざわざ手を下すまでもないと。

 逃げ出したから、混乱したと考えたが、虫を殺すなら殺虫剤でという冷静な判断だったわけだ。



 機会があれば夕子を救いたいが、もう俺は決めたんだ。

 あの炎のなか。夕子の体を乗っ取った何かから逃げ出すことしかできなかった弱い自分を否定すると。 

 俺はもう二度と助けを求める誰かを見捨てない。

 優先順位を決め、この結界の機能を知るべく、ひとまずマンションに戻ろうとした時だった。



「こ、……」

 ここからは生き残ることだけ考えて行動するぞ。

 というありふれた決意の言葉は……。

 

 頭部に勢い良く突き刺さる何かによって、葬られた。

 結論としては、遅すぎたのだ、俺たちは。

 ようやく仲間が危険なことをせず、皆で一緒に行動できると喜んだ美香を、窓からこちらの様子をじっと観察するマンションの住人を。中にはマンションの中、自室で嵐が過ぎ去るのをじっと待ち構えていた家族すら。

 その何かは蹂躙した。

 


 とっさの判断で、俺は気で身体を守った。

 そうでなければ、身体を貫通していてもおかしくはない破壊力。

 

 立ち上がったが、身体がふらつく。

 もしかしたら気絶していたのかもしれない。

 

 すぐそばで俺を迎えに来た美香、あるいはそう俊樹に声をかけようとして、周囲を見渡す。

 最初に目に移ったのは自然界には決して存在しえないダークエメラルドの空だった。

 そのあまりに非現実的な光景に、ここが結界の中だというのを認識させられる。

 


 そもそもの話、結界とはいったい何だと聞かれると、バリアと異界常識の浸食。

 この二つの例を俺は上げる。

 前者に関しては今さら説明するまでもないだろうが、後者に関しては複雑だ。

 魔術というのは異世界の常識、法則をこの世界の呼び出す技術と考えればいい。

 人間が扱う魔術ではその力をくみ上げて利用するものだが、一部の力ある悪魔なり神格は力をくみ取るのではなく、世界そのものを自分が住んでいた環境に変化させることで大きな力を行使できるようにした。


 となれば定石となるのが、結界の起点の破壊。隠されているだろうそれを見つけ出すのはさぞ大変だろうなと、それでもやるしかないという思いがせめぎあう。

 しかし、お目当てのものはすぐに見つかった。

 というよりも、敵はそもそもの話、隠す気がなかったからだ。


 それは、塔であり柱であり樹木であった。

 結界のせいもあり、太陽の光が弱まるこの世界でその木はふそんにも太陽に成り代わりダークエメラルドのまばゆい光を放っていた。

 それだけでわかってしまうあの木が持つ莫大なエネルギー。桜の木の下には死体が埋まっているというが、いったいあの木はどれだけの命をすすりあそこまで大きくなったのだろうか、想像すらできなかった。

 ただ俺にわかるのは、あれを引き起こしたのがあの女だということ。あそこにあの女がいる可能性が高いということだけだった。

 行かないとと、条件反射で思った。

 だが、あそこに行ってどうするんだと冷静に考える自分もいた。

 俺に何かできることはないのか。そんな当たり前のことをどれだけ頭を巡らせようとも、自分が何かできるというイメージを持つことができなかったのだ。



 とにかく今は仲間とこれからどうするのかを話し合おう。

 そう思って、二人に声をかけようとしたから、気がついてしまった。

 そんなはずがない。だって、だって……。


「美香、美香ぁ!! 美香!!」


 その声が、自分のものだと気がつくのに数秒かかってしまった。

 受け入れがたい現実に、事実を事実として認めることができなかった。


 冬虫夏草という寄生植物がある。

 この植物は生物を苗床にして繁殖する。

 目の前で、一本の木のような何かがめきめきと幹を伸ばし葉を茂らせている。

 宿主の身体をそのまま己の肉体に置換しているようだった。


 その宿主は足元にいた。

 茶色のふわっとした髪は血に濡れまとまり、明るく、俺たちにはない希望に満ちた瞳は生気をなくしただ虚空を眺めていた。

 植物どもの養分として、強制的にその身をむしばまれていたのは美香だった。



 先ほど俺の身体に直撃した何か。気という防御手段を持つ俺だからこそ、痛いですんだ。

 俊樹のやつも、なんだかんだで、頑丈なコンクリートの建物の中にいたから無事だ。

 だが、美香は。気を扱えるわけでも、丈夫な建物の中にいたわけでもない美香は、こうなった。


 ーーそもそもの話、どうして美香は外に出てたんだ。

 身勝手にも外に飛び出した俺を呼び戻そうと動いたからじゃないのか。

 俺の身勝手のせいで、美香がこんな目に遭ったんじゃないのか……。


『考えるな』と命令しても、脳がぐるぐると最悪の想像をしてしまう。



 ーー助けないと。


 ふらふらと、何かに導かれるように俺は美香のほうへと進んだ。


「何やってんだバカ!!」


 この緊急事態に、あわててこちらに走ってきていた俊樹は俺に罵声を浴びせる。

 そうだな、俺はそれだけのことをしたんだ。罵られても言い返す言葉もない。

 後ろから、美香が助けた小さな少女が俺たちを追ってきているが、今はそんなことどうでもいい。


 悪いな俊樹。お前には本当に今までさんざん迷惑をかけた。でもこれだけは約束する。たとえ俺が死ぬことになっても、美香を救い出してやるからな。



 装備品から聖水を取り出し、頭からかぶる。

 こんな子供だましでも、ないよりはましだ。


「俊樹、お前は危ないからそこで見ていてくれ。

  

「このバカが!!」

 

 俺の制止、それでも俊樹は止まらなかった。

 鉄火場にこいつをふみ入らせるわけにはいかない。

 最悪暴力に訴えかけてでもこいつを止めなければならないと、黒い覚悟を決めたのだが……。

 俊樹が飛びついたのは俺のほうだった。


「さい……ぎょ…う!! 行くなぁ、行かないでくれよぉ!!」


 俊樹は俺の腰に手を回し行かないでくれと泣きついた。

 殴られる覚悟はあった、しかし、止められるなんてことは想定すらしていなかった。

 いったいこれは、どういう事なんだ。



「何で、何で邪魔するんだ……よ! お前は美香を助けたくないのか!!」

「もう、手遅れだ」


 俺の熱い思いは、ぞっとするほど冷めた俊樹の声に打ち消された。

 もはや一刻の猶予もない。今すぐこいつを振り払い、美香を救いに行くべきなのに、俺はこいつを振り払えなかった。

 本当は分かっていた。

 全身から血を流し、その流れ出る血潮すらもわけの分からない怪物の養分とされる。

 誰がどう見たって生存は絶望的だと。


 でも、だからと言って諦められるかと聞かれれば無理だった。

 だって、そうだろう。友達なんだから。


「死人に時間をかけるな。

 生き残りと協力して身を隠すなり避難所に向かうぞ」


 あれほど固い絆で結ばれていたのに、俊樹はもう美香をいないものとして扱っていた。

 ーーああ、これが死か。

 残酷な現実に、俺はただ打ちのめされることしかできなかった。



 ーー正しい、正しいよお前は。

 心の底、その誠とでもいうべき部分で感じたことを俺はくみ上げることができない。

 この非道な決断をした、真に賢き友に励ましの言葉を送りたいのに、それと同じくらいにお前は間違っていると思うから。 

 あるいはそう、結局俺は『誰も救えなかった』

 その事実を認めたくなかったからか……。

 焦点の定まらない瞳が、亡き友からその視点を外すまさにその時だった。



「た・す・け・て……」


 覚悟に満ちた瞳が、美香の動きをとらえた。

 意識があるのかないのか、もしかしたら、虚ろをさまよい、ただ本能のままに口が動いただけかもしれない。

 でも、俺にはそれで十分だった。

 助けてと手を伸ばした友を見捨てる選択などあるはずがないのだから!!


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