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第5話別れ

 それはほんの少しだけ昔の話し。


「平家物語、平家物語を持ってきたのか」


 扉の向こうではきっと、ちかちかと点滅しながら魔法の鏡が西行を待ち構えていることだろう。

 屋敷に持ち込まれたいわくありげな鏡。

 大した危険はないだろうと雑に扱われていたそれを、両親の仕事を経験したいという妹のわがままから、おままごと感覚でいじくりまわしていた。

 だが、実際この鏡は白雪姫に出てくるようなしゃべる魔法の鏡だった。

 封印を解いて以来、この鏡は西行兄妹に対して好意的だった。

 年上のお姉さんみたいに優しく語り掛け、両親がまだ早いと言って教えてくれなかった魔術の知識を先生みたいに教えてくれた。

 突然現れた保護者だった。



 二人にとって、この鏡は灰かぶりのお姫様に手を差し伸べる魔法使いだった。

 求めれば求めた以上のものを与える宝石箱。

 何の見返りも求めず遊んでくれるのを申し訳ないと思ったのか、ある日夕子が何かお返しをしたいと言い出した。

 こういうのは、隠れて相手が欲しいものを用意するのが定石だが、鏡の欲しいものなんて兄妹に分かるはずがない。

 あれこれ話し合った末に、結局素直に聞くのがいいとなり、その結果、平家物語がプレゼントになった。



 そのワクワクとしていながらも、どこか疲れたような声は妙に耳に残っている。

 何せ古い古い鏡なのだ。

 彼女がどういった経緯で鏡の精霊になったのか。その経歴も、正体も、何もわかっていないのだ。

 彼女しか分からない遠い過去に思いを寄せていた。

 その視線が向かう先がどこであるのかなど、今を生きる二人にはわかるはずもないが、それでも推測くらいはできた。

 きっと、この女性はこの物語で描かれた時代の人間なのだと。

 


 そして、同じ女性。

 なお、鏡に性別などがあるのかというのは置いておく。

 それゆえに、一際親近感が強い夕子は自分の手で贈り物をしたいと言い張った。

 兄である望月も妹の初めてのお使いを、まるで親にでもなった調子で見守ることを決めた。

 それが扉の前で足を止めた真相だ。


 きっと、鏡の精霊も喜んでくれただろうなと思っていたのに、扉を開ければ聞こえてくるのは怒りの声を発する鏡と泣き崩れる妹の姿。

 自分の想像を鏡写しにしたような分けの分からないものだった。



「ヒグ……ひぐっ、そのね。平氏について知っていることを話せって言われたから……。………に………人たちだって」


 泣き崩れているせいで、西行には夕子が何を言っているのか理解できない。

 鏡にどうして怒っているのか、聞きださないなと思ったが、今は泣いている妹への対処のせいで動けなかった。

 後になって、この時の真相を聞いておくべきだったと後悔しても、もう尋ねる機会なんて訪れないのだから。







「ちょっと、聞いてるの。こんな非常事態になんで女の子をナンパ……」


 真横で、美香がご高説を垂れているようだが、俺には何も聞こえていなかった。

 こんなところに妹がいるはずがない! ってことはわかっているのに、この女のカバンから飛び出してきた真実のピースを見つけてしまったからだ。


「なぁ、俺が誰なのかわかるよな。あんな仲良くしてたんだ忘れるはずがないよな。

 それでどうだった、俺の妹の体を奪った感想は。

 いたいけな何も知らない少年少女をだまくらかしたんだ、さぞ楽しかったよな」


「まさか、お主はあの時の!」

 

 ここで、目の前の化物は俺がいったい誰であるのかを思い出したのか、それとも、もう隠し通すことを諦めたのか、俺の問いかけに答えた。

 そこが限界だった。



 妹の体を乗っ取った誰かを思いっきりぶん殴った。

 脳裏に妹の顔がちらついて、最高なのに、最悪の殴り心地だ。

 吹き飛ばされ、地面に倒れたやつを俺は飛び掛かりさらに追撃を加える。

 巌も砕くとまではいかないが、それでも木くらいなら平然とへし折る気を加えた一撃だ。

 何発も何発も浴びせればただでは済まないはず。


「ちょいちょいちょい! なに、え! なに」

「おい、何やってんだ」

「来るな! こいつが今回の一件の黒幕だ!!」


 状況をまるで理解できない二人が困惑したままに、俺のはた目から見れば蛮行を止めに来た。

 そして、二人の動きが止まる。

 俺の呼びかけに納得したのではなく、頭上から雨のごとく降り注ぐガラスの破片から自分自身を守るために。

 きらきらと周りの光を取り込み俺たちの姿を映し出す。


 透明な幕が二人だけの世界を作った。

 ーー一体こいつは何をした!



 俺の拳は木をへし折れど、大地を揺らすことはない。

 つまりこの衝撃の伝播はこいつが何かしたってことだよな。

 だが、具体的にどうしたか分からない。

 ここでこいつを殺せるならば死んでもいいという自分を、どこか冷めた俺がストップをかけた。

 未知への警戒が俺の手を鈍らせる。

 やがて、俺の視界がゆがむ。

 もしや攻撃かと身構えて、それが攻撃でも何でもなくただ降り注ぐガラスが顔を薄く切っただけだと気がつくのにかかった時間はほんの一瞬。


 その一瞬で俺の悲願は、振り出しに戻された。



「どこだ、どこに逃げたぁ!!」


 蟻一匹すら見逃さない。

 瞳孔を開き、耳をとがらせ、どんな些細な変化ですらも見逃さぬ。

 その覚悟は実を結び。とある部屋。避難民がたむろしているビルの三階あたりからの悲鳴。

 そこか、そこにいるのか。

 立ち上がる時間すら惜しい。

 俺は獣の四足歩行にもクラウチングスタートにも似た姿勢で跳ね起きようとして、「図に乗るな」そんな声が聞こえた。


「くそ、式神か」


 背後から、俺のうなじを狙いすましたように突撃してきた姿が見えないミサイルのせいで俺は土を舐める羽目となった。

 地面にはガラスの破片。

 全身にガラスの薔薇が突き刺さる。



 だが、こんなところで止まったら、夕子に合わせる顔がない。

 急いで駆け付けたけれど、その時には部屋の中は雪でも振ったかのように静まり返っていた。

 そこにあるのは、倒れた男と壊れたスマホだけだった。



「くそ! どこだ、どこに逃げた!!」


 何が起きたのか聞きだすために、男を揺さぶる。

 もちろん、気絶した人間を揺さぶるのはよくないと重々承知しているが、知ったことか。

 今はどんな手を使ってでも、あの糞やろうがどこに逃げたか聞きださなければ。



 そんな俺にストップが入った。


「離せよ!!」

「脳にダメージがあるかもしれないんだ。一旦落ち着け」


 これ以上怪我人に乱暴を行うのであれば、体を張って止める。その覚悟を見せられ、俺自身もこの被害者に乱暴をすることに罪悪感を憶えたからこそ、揺さぶる手を止めた。


「それよりも先に、いったい何がどうなってるのか説明してくれ。

 この状況、周囲からはお前が犯人に見えてるぞ」


 そんなはずと思ったのだが、周囲にはこの状況を聞きつけ集まってきた群衆。

 そして俺の手の中には、あの化物に乱暴され気絶している被害者が力なく横たわっている。

 あれ、これ第三者から見れば俺が犯人に見えね!

 違う、違うんだ。

 この一件の犯人はあの女で!



「……うう」


 よし、目を覚ましたみたいだ。良かった。

 速く俺の無罪を……いや、夕子の行き先を。


「いったい、何があったんだ」

「分から……ない。突然目の前の小さな少女が現れて、気がつけばこのざまだ」


 もっと詳しい情報はないのかよ。

 いや、あの女がきれいさっぱり姿を消してるのを見れば、気も扱えない一般人が何もできないていうのは自然だから、これが八つ当たりだというのは分かる、分かるのだが……。

 しかたない、ここは俺の冤罪が晴れただけでも良しとしよう。



 そんな弛緩した雰囲気の中で。


「ちな、みなさんや、取込み中なのはわかりますが、この子が怪我しちゃって包帯なりなんなり持ってきてくれませんかね」


 そして遅れてやってきた美香はどうやら、自分よりも小さな女の子の腕を引いている。

 このマンションの住人なのだろう。ここで籠城しているうちの何人かが、「月与ちゃん」と、少女の名前を呼んで包帯なり消毒液を持ってきてくれた。


 あの化物がガラスを破壊したことで、その二次被害を食らったのだろう。

 可哀そうに。



「でさ、西行はあの女の子について知っているみたいだけどさ、こんな大規模な事件引き起こすようなやばい奴なの」


 それについては、ここに集まった皆が多かれ少なかれ疑問に思っているからか皆の視線が俺一点に集まった。


「少なくとも俺の実家。複数人の退魔士が在籍する一族を不意打ちとはいえ滅ぼせるくらいには」

「そうか……」


 俊樹と美香が、俺を憐れむように見つめてくる。

 俺の行動から感じ取った違和感が、確信に変わったのだろう。

 話したいことはたくさんあるが、同じくらいに話したくないことが多い。


「じゃあ、どうしてそんな奴が避難勧告なんてするわけ」


 美香は実直に議論を進めた。


「さあな」

「なら言い方を変えるよ。あれって元人間」

「多分」


 直感から感じたことを美香は形とした。

 その遠慮のなさが今は心地いい。

 


「そんな危険人物が、推定この事件の首謀者が自分に何の得もないのに避難警告するなんておかしいよね。

 考えられるのは二つに一つ。

 避難所に何か仕掛けがあるのか。それとも、これから何か問題が起こるからさっさと非難してほしいのか。

 元人間なら、後者もあり得るよね」」


 いまだ推測でしかなく、根拠何て何一つない推測だというのに、筋が通っているからか皆の顔に不安が蔓延していく。


「いや、いくら何でも避難所だぞ。あんな堅牢な場所で派手な動きなんて無理だよな」

「元人間というのを感じれば、やっぱりこれから派手にやらかすから避難しろってことかな」


 現実面からの考察に、ここは危険区域ではないのかという不安が皆によぎった。

 

 本音を言えば、少し複雑だ。俺をだまくらかして、妹の体を奪ったやつに善意なんてものがあるとは思いたくはない。思いたくないが、まぁ、可能性の一つとして考えるくらいなら……。



「だが、証拠はあるのか」


 悪い。やっぱり納得できない。

 あんな冷酷な奴が他人に気を遣うなんて。


「証拠は西行がまだ生きているってことでいいんでない。

 あの女の子が消えた瞬間、何されたのかわかった」


 非常に腹立たしいことだが、俺には何もわからなかった。



「つまりは、あの瞬間殺そうと思えば殺せたってこと。

 なのに殺さなかったってことは人殺しを避けたいってことじゃないの」

 

 それにほらやっぱりこれ壊れてる。

 と、美香は男の手に持っている携帯を取り出した。


 他には壊れている人間はいないと確認すれば、数人が挙手した。


「これで決まりね。身バレに気を使っているというのは正体がばれたら困るから、それなのに私たちを生かしているということは人殺しに対しての最低限の忌避感があるから。

 でさ、ここにあいつの写真があるのよね。それを警察なり、軍なりに任せれば解決と思うのだけど」



 そういって、美香が自信満々に掲げたのは、俺たちが共同で使っているおんぼろのスマホだった。

 容量が少ないせいで写真ばっかりとっているのだが、それゆえにすぐにしまったのが功を奏したようだ。

 というよりも、情報漏洩対策が思ったよりもがばいな。


 写真だからこうなったのか、能力のオンオフの関係かは分からないが。


 事件の黒幕と思わしき存在を写した写真だ 。この状況では幾千金の価値があるといってもいい。


「でもさ、あいつはとっさに逃げたけど、すぐに戻ってこないか。何せ、ここまで証拠隠滅が不出来なんだし……」



 間違いなく、あいつは俺と出会った時、冷静ではなかった。

 すぐに逃げ出したのは、それを証明している。

 冷静になって考えて、こいつらをやはり皆殺しにしようと考えても、それは確かにおかしくない。

 そして、あいつにとって、一番目障りなのは俺だろうな。

 自身の来歴と名前、そして顔もわかっている。

 俺としてはそれは仇が目の前に来るのだから、望むところだが、話を聞いていた周囲は勘弁してくれよと嘆きの声をあげた。



「俺は、あいつの昔の写真を持っている。

 それを持って兵士がいる所に向かうよ。

 その間に、別方向からこの写真を届けてくれないか、誰か」


 自分の町を救えるかもしれない、重要な情報を得たのだ。

 正直なところ、本当にあの少女が元凶なのかどうか疑っている面子も、危険人物がいることを疑ってはいないらしい。

 いつもの通り、電話がつながらない。

 が、それでも走って伝言を行うと、何人かの若い男が勇敢にも名乗りを上げてくれた。



「いや、それさ。あんたが危険すぎるよね。何かほかに手が……」


 別の角度で美香が問題点を提案すれど、その時にはもう未練を押し殺すように俺は走り出した。

 樹海での前例で学んだのか、間髪入れず、美香は俺を追ってきた。


「約束したよね。もう、勝手な行動をしないって!!」


 どうにか俺に追いすがり、荒い息であれど、しっかりと自分の意志をぶつけてくる。


「勝手な行動してごめんな。もう、お前らとは一緒にいられない」


 ーーいつも俺は謝ってばかりだな。

 その意志を、俺は直視できなかった。

 約束は、こいつらと仲間でいるためのもの。

 それを破ったんだ。これでお別れだ。



「望月またな!!」


 美香に遅れて俊樹がマンションの中から、俺に別れの挨拶をした。

 決死の覚悟で飛び出したのに、そこには爽やかさすらある。

 場美雑言を浴びせられると考えていたから、俺としても意外だった。


 それは美香も同じだった。

 あるいは俺以上か。

 信じられないと驚愕をあらわにした。



「ここで西行を行かせたら、もう会えないかもしれないのよ! それなのに、それなのに、何で……」


 俺のことを思って、美香は叫ぶ。

 その思いに俺は答えられない。


「間違っていないからだよ。

 こいつの案はさ、俺たちを含めてみんなを助けるためのものだ。

 それにだ、悔しいが、友達だからわかる。

 こいつはこういいだしたら止まらないって。その友達が本気で誰かを救うために進むんだ。なら、行かせてやれ」


 俊樹の激励に、俺は勇気づけられた。

 きっと、そんな未来は来ないだろう。

 でも、これだけは言わせてほしい。


「大丈夫だ。俺も死ぬ気はないさ。もしも、そう、もしもお前が勝手な行動をした俺を許してくれるなら、また、お前らの所に返ってくるからな」



「ずるい!! ずるいよ、そんなの」


 その言葉は俺ではなく、地面に向けられた。

 美香はもう、俺を見てすらくれなかった。



「待って! 待ちなさい、待てよぉ!」


 後ろを振り返ることはもうない。

 真っすぐ、前だけを見て進んでいく。

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