第3話準備する悪党
また遅れました、すいません。
イギリス、ウェールズ。
片田舎の田舎道を小さな女の子が歩いていた。年のころは十と少し。背は小さく、肌は黄色い。チャイニーズかと周囲の人間は思うかもしれないが、この少女が身につけている着物は日本の伝統衣装であり、日本人ということがわかる。
もっとも、それならばそれで、そんな異国の少女がどうしてこんなところにやってきて一人で歩いているのだろうかという別の疑問が生まれてくる。
地元民には周知のことであるが、彼女が向かう先にはさびれた修道院しかない。どうにも、かなり古くいわくがあるものらしく、時々専門家なり、マニアが足を運ぶが、あまりにも老朽化が進んでいるために地元住民からはできる限り近寄らないようにと注意喚起までされている。
「この国ではなかなかに手に入らない貴重な一張羅だ。話をするにしてももっと清潔な場所はないのか」
その可憐な少女から、おおよそ似つかわしくない老成した、落ち着き払った声が飛び出した。
「あなたこそ、ここは我らの拠点の一つ。目立つのは感心しない。もっと地味な服で来るべきだったは思わないのかい」
「我ら、ね! お前のだろう。少なくとも私はお前の仲間になった覚えはないぞ」
少女の出会い頭の非難の声に、黒い服に、黒い肌。全身を黒で固めた神父は軽い皮肉で返す、さらに少女がと、それだけで、ここにいる面子の関係をうかがい知ることができた。
少女はこの程度の障害物が何の意味もないことを知っていながらも、それでも壁に身体を隠すように立ち、顔だけを出して神父に話しかけた。
「ありえんな、ナイ神父。お前ほどの術師なら知っているだろうが服装や生活習慣、そう言ったものでも技の冴えというのは違ってくる。
たとえわずかな差であろうとも敵に隙をさらさない主義でな」
「それはあくまで人の話。最下級であろうとも神の座に届いたあなたにはその程度のこと意味がないと存じますが、す……」
そこで、小さな少女。北条徳子が黒い神父を睨め付けた。
崖の淵に立っているせいか、今にも崩れ落ちてしまいそうなほどぼろく不安定な場所にて、二柱の神秘が牽制し合う。
世界かな見れば、この教会は小さな水たまりに過ぎない。されど、この両者が持つエネルギーは津波にも匹敵する。
この両者が対峙する。ただそれだけのことでも、人類史という観点で言えば大災害なのだ。
「こちらにあなたを害する意思がないことくらいとっくの昔にお判りでしょうに」
「どうだか」
「まったくどこで育て方をも違えたのか」
「そもそもの話し、おまえに育てられた覚えがないのだが」
敵愾心をむき出しにする徳子に、ナイ神父は心底楽しそうに面白そうに笑うのだった。そして、とっておきのネタを披露する。
「戸籍の上では私は父親だろう。学校で元気よくパパと呼んだことを忘れていませんよ。それに、瀕死のあなたをかいがいしく介護してあげた恩を忘れたわけではないだろう」
もしも視線で人を殺すことができたなら、徳子は確実に実行していた。それほどまでにすさまじい視線を男に向けていた。
徳子からすれば屈辱だが、少なくとも、戸籍という人間社会が作り出した書類の上ではこの男の養子というのは間違いでも何でもなかった。
そして正体を隠すために、学校でパパと呼んだことも。
「それだけの恩があるのだ、もう少し協力的になってくれてもいいのだよ。あなたが望むのであればいつでも奥へと招待するが、どうだい」
コツコツと神父はその黒い靴でドルイドの時代から残るとされる教会の土台を突っついた。
「いっそのこと。普段でも私のことをパパと呼ぶのはどうだ」
「そういえば、おまえは星の智慧という教会を運営していたな。だったらパパというのも」
それがジョークか本気か、ナイ神父にはわからなかった。故に、笑った。嘲笑の混じらない純粋な笑みだった。元々、相手に嫌がらせするための話題だった。それが、自分ですらかなわないと思えるだけの、気の利いた返答に思いのほか楽しめたと男は手すら叩いている。
しかし、まだ混沌は這い寄ることをやめない。
「だけど、そう、あなたはこの私をパパと呼ぶことに対し嫌悪感を見せた。だというのに周囲の目があるとき。特に学校では妥協を見せた」
これはどういうことだろうと混沌は笑う。
「私とて、部をわきまえている。人類社会そのものに喧嘩を売ることはせん」
「ここは遠い異国の地。あなたの経歴を知るものはなく、肉の器を手に入れているからこそ誰の目にも止まらないというのに?
少しくらい不用意な言動をしても文化が違う程度で処理されるでしょう」
答えに、本当にそうかと混沌はその心の奥深くに踏み込んだ。
「本音では、君は今の生活に満足を感じているのではないかい」
「愚門だ。私には命に代えてでもせねばならない使命がある。それはこの命程度と天秤にかけることなどない」
「では、改めて聞こう学校は楽しいかい。復讐にはまったく関係なく、ただ時間を浪費するだけ。本来どうでもいいはずなのに、プライドを曲げてまで私をパパと呼んで立場を守った学校は」
徳子にとって心底から不本意なことではあるが、ナイ神父との付き合いは非常に長い。 起床から就寝まで行動パターンが把握されていたとしても、何ら驚くことでもない。
だからこそ、自分の細かな生活や行動を例に出し、的確に徳子の行動思いを推測してくる。
「子供だましではあるが、退屈ではないな」
どこに地雷があるのかわからない、それでいて、下手な嘘は揚げ足を取られることは分かりきっていた。正体不明の息苦しさに身を焦がされながらも、徳子は素直に思ったことを答えた。
「そう、ならば知ったはずだ。身分のない社会を」
「いったい何の話だ」
頭がいい人物特有の話の飛躍に、徳子は置いて行かれた。それに気がついたない神父は分かりやすく話を噛み砕くことに決めたようで。
「そうだな。ならばこう言い換えよう。君の時代と今いったいどちらが優れていると思うかい、さあ話してくれ」
「それは、場合によるとし……」
「おいおい、仮面を司る私の前でごまかしを口にするなよ」
くだらないごまかしを、仮面の神格があざ笑う。徳子が気づけば、ナイ神父の端正な顔が眼前まで迫ってきた。
瞳をじっと見つめ、偽りを決して許さないと暗に語っているように見えた。
「統治するならば愚民に限る。
どこから思想家がそう言っていました。学がなければ、帳簿の改竄でもルールの改変でもやりたい放題だ。そうやってあなたたちは民衆から搾取してきた。
対して今の時代。
誰もが学問を手にし、すべての人間がその気になればより良い世界を、よりよい未来を作り出すことができる。
これはあなたの時代では、上位者との特権だった。限られたものの思想のみで作られる社会と、自由という混沌の中で形造られる思想。
いったいどちらが優れていると思いますか」
「それは……」
「ごまかすなよ」
壇ノ浦から八百年。
平氏から源氏。
源氏から北条。
北条から足利。
足利から、織田、豊臣、徳川と時代は流れた。
大政奉還を経て世界を動かすのは武家ではなく国民へと移り変わった。
今の時代と平安。
いったいどちらが優れているのか。「そんなもの……」と言いかけて、気がついた。
そう、いつの間にか徳子は認めていたのだ。自分が生きた時代よりも、今の時代のほうが優れていると。
平安の世、『不治』とされ、祈るしかなかった重病も治療法が発見された。
妖の時間とされた夜には光が灯り、手紙はメールに、いまだ多くの争いはあれど、人が増え豊かになった社会を散々その目で見せられたのだ。
「少なくとも人間性は……」
「人間性、人間性かぁ」
それでも、絞り出すかのように否定を絞り出した。しかし、神父にはお気に召さなかったらしい。
「あなた方人類の生誕以前からこの星で暮らしてきた私が断言しよう。そんなものは幻想だ。人など所詮賢いだけの獣でしかない。
動く理由など、金女名誉。そんなものでしか命を張ることができない愛おしき愚かで勇敢な俗物だ。
今も昔も人は変わらない。断言しよう、あなたが感じている違和感は幻想だ。
自らが生きた時代に最適化されたからこそ今の時代に違和感を感じ、その違和感を劣化と出力しているに過ぎない」
「そ……それは、だが正当性が」
あまりにも理詰めで多くの情報を叩き込まれたからこそ、徳子は言葉を窮してしまう。
「正当性? ああ、自分を打ち破った源氏なら納得できたが、政権をかすめ取った北条が頂点に立ったことが気に入らないと。
それこそ、あなた方との戦争のさなかですら、内輪もめをやめなかったいい加減な源氏にすら打ち勝てなかったあなた方に正当性があると」
一を聞けば十で返す。それほどまでに饒舌に神父は受け答えするが、その口調には熱がない。鮮やかに言葉を飾り立てるが、その実さほど興味はないようだった。
「先ほどから私のなすことに対して否定の言葉を吐くがそう言ったおまえはどうなのだ。
お前こそ何の目的もないのではないか。貴様に一体どんな信念がある」
追いつめられたからこそか、徳子はもっともありきたりでそしてくだらない返し、そういうお前はどうなんだと口にした。そしてすぐ後悔した。
「信念はある! 簡単だ!! 私の信念は狂気!!! 狂気こそが新しい世界を形つくる。くだらない倫理観で中止した実験を、犠牲が多すぎると停滞した道筋を、恐怖から足踏みしてしまった進歩を無理やりにでも推し進めてやる!! それが私の計画であり信念だ!!」
ナイ神父の潜在的な狂気が。皮の下に隠された本性が露出していく。 圧倒的な力量差に、顔を背け逃げ出しそうになるのを意地で踏みとどまる。
もはや逃げるのは飽き飽きとしている。一生分の逃走を徳子は前世で経験していた。
「おまえはいったい何を言いたい」
「言い訳をするなということですよ。あなたにはもはや大義などないのだと。今行っているのは単なる暴力でしかないと」
今の今まで目をそらしてきた罪をナイ神父は暴き出していた。
いかに大儀だ正義だと口にしようと、結局徳子が行うのは人殺し。牢獄の中、みじめったらしく世を呪う囚人と何ら変わりがない。
「ああ、わかった。もうわかったとも。お前が何を言いたいのかなど。
徳子さまでも、清盛様のためでもない。
私の意地だと。単なる自己満足だと!!
これで満足か」
「ええ、ええ! どうやら覚悟は決まったようだ。
とはいえだ。ならばこそ、あなたに力を授けてしんぜよう」
詐欺師でもやらないような胡散臭い口上。質が悪いのはその気障なセリフが真実ということだ。
祭壇の上に、ナイ神父は一粒の種子を置いた。それにガラスのケースとそこに施された二重三重の霊的な防護にもかかわらず徳子と同等、あるいはそれ以上の威圧感を周囲に与えていた。
「気のせいか、忌々しい気配を感じるのだが」
「あっていますよ。これはあなたをぼこぼこにした白夜さんを研究した結果生みだされた素体をいじってできたものであるからね」
露骨に、徳子は嫌そうだった。
何せ、万全の準備を行い三種の神器奪還のために動いたというのに、半殺しにされたのだからだ。
それに加え、目の前の男であれば他に手などいくらでもあると分っていた。
これを渡したのは嫌がらというのを徳子は察したからだ。
いつもこの調子なのだ。気が長い徳子もさすがに疲れる。
今では、名前を聞いただけで婦女子がゴキブリを見たときのような拒否感を感じるほどだった。
それでも手を組んでいるのは、敵が強大だからだ。
だが、――相手は確かに強いが、しょせんは化外の民だ。やりようなどいくいくらでもある。
国家と、混血集団の軋轢について、もう彼女は把握していた。
なにせ、自分という脅威が国家の中枢に攻め入るまで動かそうともしなかったのだ。
それは上が無能であるというだけではない。もっと構造的な問題がある。彼女もまた戦人。戦火の時代に生きた人間であるからこそ理解できる。
ちなみに、そのソースは怨敵源氏の内輪もめである。
それと同時に、まったく別の思いも徳子の中にはあった。
ーーこいつと組むのは正しいことなのか、と。
人の姿をした混沌は、人類そのものを食らう巨悪だ。
あの戦いで多くの同志が死んだ。それは間違いない事実だ。
もはや自分たちの遺志を継ぐものすらどこにもいない。それでも、そう、客観的に見て自分たちの同志、その血族が一切合切消え去ったわけではない。
あの残虐な小心者が平家の血脈を執拗に追い回したとしても、部下や家臣。あの戦いを共に戦った者たちはそれからもごくごく普通に暮らし、その血は今も故郷で脈々と受け継がれていることだろう。
ならば自分がすべきことは、この世界を犯す毒に戦いを挑むことではないのかと、それこそが皆の無念を晴らす道ではないかと。
それでも、徳子は自身の進む道を決めていた。
あの日。平氏について知っているのか、そう尋ねた時に帰ってきた言葉を。徳子はいまだ忘れてなどいなかった。
冒涜的な力を発する種子を徳子はつかみ取った。
その瞬間、彼女は落ちていく、どこまでも。
彼女の目の前に現れたのはねじくれた巨木の様な身体を持った巨人だった。
その存在が、ふとこの場所に現れた客人に対して、興味を持ったようにざわめきだした。
それだけで、徳子はーー死を覚悟した。
同じ神格であろうとも、その存在の規模は天と地ほどの差。
もしも、目の前の存在がほんの少しでもその気になれば、彼女は次の瞬間あっけなく消え去ることだろう。
ただただ恐ろしい。逃げ出したい、生物としての格が違いすぎる。
でも逃げられない。
ゆっくりと、その腕が徳子に迫る。黒くゆがみ、冒涜的な腕が。
そしてーー
「うわあああぁぁぁあああ!!」
しかりと、地面を踏みつける感触とともに、徳子は現実に帰還した。
「どうやら、彼女に気に入られた見たいだね」
こうなるのをあらかじめ予想していたのだろう。ペットボトルを投げ渡し、それでどうだったと、興味深そうに、ナイ神父は様子をうかがう。
普段ならば、毒を警戒し、施しを受け取ろうとしない徳子も、この時ばかりは余裕がなかったのか、その水を一気飲みした。
「これが、私がたどる未来か」
「対価を払えなければそうなるでしょうね」
胸に穿たれた傷跡を、徳子はそっと撫でた。
それは契約の証だ。神格が自身の下僕を見定め、そして、対価さえ払えば協力してやってもいいと傲慢不足に投げ渡される、自らの印。
逆に言うのであれば、神との間に逃げることができない不可逆的なつながりが生まれたことを意味している。
もしも、その贄が希望に沿わないものであれば、神の機嫌を損ねることがあれば……、次の瞬間には徳子は神罰に身を焼かれることとなろう。
それほどまでに理不尽な契約を神との間で行った。
「今回は所彼女も様子見。初対面ですし、私が書いた招待状もありました。感謝してくださいよ。他の神ではこううまくいかなかった。温厚な彼女に感謝ですね」
実際に見たからこそ、あれと出会えて、ただ生きているというだけでも運がいいということも、言葉通りこいつがいなければ自分は死んでいたということもわかる。
「なんだ、あの木とも知り合いか」
「ええ、関係でいえばそうですね……、姉でしょうか。
私たちに人間の家族関係がどこまで当てはまるかわかりませんが」
「そうか」
自分の手のひらの中にある戦利品を胡散臭そうに見た。
何せ、これは目の前にいる胡散臭さ満載の神父の姉である。本当に信じていいのか、今さらながら疑問だった。
「それで、あなたの行き先は。予想はつきますが、壇ノ浦でしょうか」
「いや、違う。私が向かうのは鎌倉、腹切り櫓だ」
返答に、ナイ神父は不可解だと首を傾げた。
「それはその、いくらなんでも回りくどすぎませんか」
「なに、北条の末柄がどんなものか見定めたいのでな」
挑発的に笑い、徳子は複雑な内心を覆い隠す。
彼女とてもはや心の内では真実を悟っていた。
自分がやっているのは混乱をもたらす悪事だと、重々承知していた。
しかし、だからと言って納得できるはずがない。
我らから政権を奪取した源氏はまだいい。結局彼らは自分たちに勝利したのだ。
しかし、その源氏から政権をかすめ取っただけの北条が歴史に名前を残すことは許せなかった。
だからこそ、歴史に挑む。
もしも、我らを打ち取った源氏から政権をかすめ取った北条が我らとぶつかり合うにたる武士であるのであれば、全てを認め自分は歴史の闇に消え去ると覚悟を持って。




