海防艦 択捉級から御蔵級。そして真打ち登場か。現場はもっと数を。
軍政のごたつきで軍内が混乱しているのをいいことに、占守級が北方特化で南方海域では使いにくいとの声を受けた一部の関係者が新たな知見[ズルツァー]に基づく新装備を予算と共に計上し通過させた。
と言っても建造中の択捉級に手を入れ能力を向上させただけである。本番は択捉級の次、御蔵級であった。
択捉級は電探無しで通常の爆雷装備の普通の艦になる予定だったが、御蔵級は新たな知見による二一号改電探を初期から装備する。特にAスコープだった従来表示に対するPPIスコープの優位さは歴然で読み取りに対する習熟時間の減少と読み取り精度の向上は大変効果的だった。
択捉級は爆雷を当然装備しているがヘッジホッグを帝国海軍で最初に装備している。[ズルツァー]を参考にした探針儀の装備方法は次期御蔵級からとなっている。
発電能力を上げるために大型大容量の発電機へ変更されている。
船体も外部放射音低減のために機関部のマウントに防振ゴムをかます、スクリューと減速機の間もカップリング部分に防振ゴムなどの対策をしている。自艦騒音放射の減少は聴音性能の向上にも繋がった。
これは潜水艦にも導入された。かなり静粛度が改善され船外騒音が小さくなった。当然艦内騒音も減少し多少は居住性の改善に繋がった。
何故かというと潜水艦探知能力の上昇は、択捉級の運用演習で択捉級がいる船団に潜水艦が近寄れば探知され対潜攻撃成功判定を受けるという事態を引き起こしたからであった。近づくには静粛性を上げるしかなかった。その後、潜水艦の損害が低下した可能性は有る。
対空能力よりも対潜能力の向上が優先されたので主砲の高角砲化は間に合わずに平射砲のままだった。門数はヘッジホッグ装備による重心上昇を気にして原設計の3基から2基となっている。
択捉級は10隻で建造が打ち切られた。御蔵級の設計が間に合ったためだった。電探は4隻目から竣工時に艤装されている。
択捉級は南方でも使われたが、建造開始時に既に発注済みであった暖房用補助缶が付いていたため御蔵級の就役後に暖房用配管を巡らせてから北方警備に廻されていった。
電探は高性能で船団からは頼られた。ただ敵機を探知しても25ミリ連装機銃2基では対空能力皆無と言っていい状態であり、対空戦闘には役に立たなかった。対潜能力は従来の海軍艦艇に較べ格段に高く御蔵級と入れ替わる18年夏までの南方配備中に潜水艦3隻撃沈確実を記録している。
御蔵級は占守級択捉級のように北方警備向けではなく、主として南方海域で活動するように配慮されている。建造予定数は40隻という大規模なものだった。
船体は占守級択捉級を基本に簡易構造としている。対氷構造は無く艦首は曲面が少なくなっている。暖房用補助缶も搭載していない。機関は前級と同一であるが、武装強化による燃料搭載量減少により航続距離は減っている。
武装はこの級から高角砲が装備されるようになった。12センチ単装高角砲2基である。他に25ミリ連装機銃4基と同単装4基。対潜兵装はヘッジホッグと爆雷投下軌条2基とY砲3基に、ヘッジホッグ用投射弾4回分と爆雷40発を搭載している。
搭載している対空電探は小型艦には負荷が大きい二一号から小型で高性能な一三号になっている。対水上電探は二二号を搭載した。射撃管制電探は未だ開発中で18年後半と言われている。
探針儀は艦底形状の研究が間に合わず択捉級とほぼ同じ能力である。
建造期間は7ヶ月を当初見込んでいたが、8ヶ月となった。簡易化と見積もりの甘さを関係者は認めている。
御蔵級は改良型の日振級が現れる19年春までに22隻が就役している。
前線の輸送船団からは「駆逐艦はいらない、御蔵を」と言われたほど評価が高い。
御蔵級で特筆すべきは救命装備の増加である。従来海軍艦艇には救命ボートは少数しか搭載されていなかった。それを乗員人数分以上に搭載したのが御蔵級である。これは損害艦の乗員救助用という名目で搭載された。自艦乗員用と最初立案した時点で臆病者呼ばわりされたせいである。ただこの救命装備の多さに救われた命も多い。
この影響で他の海軍艦艇も救命装備品の増加が見られた。自艦用ではなく損害艦の救助用である。戦友を助けるためだという理由で。
御蔵級の後継として開発された日振級は1000トン級海防艦の真打ちと呼ばれるほどの高性能艦だった。しかも建造期間が平均4ヶ月半と2ヶ月短い。最短記録は113日である。
この級から[ズルツァー]を参考にした艦底形状が採用され探針儀の探知性能が向上している。
能力向上のために増加する上部重量に対応するため艦型が50トンほど大きくなって990トンとなっている。
大型化した船体に対して機関も強力になっている。
代わりに船体構造は大幅に簡略化され曲面が無いとまで言われる。建造工程の工数低下にもつながり工期が短縮された。それでも水密区画は減っていないどころか増えているし機関もシフト配置になっている。
武装は強力で、日振級から高角砲が八九式12.7センチ単装高角砲2基に改められている。機銃も国産化が成功したボフォース40ミリ連装機銃を2基搭載した。
[ズルツァー]のものに較べれば能力は低いが電探射撃管制装置がこの頃から海軍新造艦に装備されるようになった。日振級も装備している。
後期艦と呼ばれる19年冬以降に就役した二三隻目以降の艦には、ボフォース40ミリ連装機銃管制用として三一号射撃管制電探をさらに簡略化した三三号機銃管制電探が搭載された。
日振級は終戦までに48隻が就役した。
日振級
排水量 990トン
機関 ディーゼル2基 4800馬力
速力 19.2ノット
航続距離 16ノット/6600海里
兵装 八九式12.7センチ単装高角砲 2基
ボフォース40ミリ連装機銃 2基
九六式25ミリ3連装機銃 6基
九六式25ミリ単装機銃 6基
二式対潜投射砲 1基 (ヘッジホッグ)
弾数8回分
爆雷投下軌条 2基
九四式爆雷投射器 3基(Y砲)
爆雷80発
電探 一三号対空電探 1基
二二号対水上電探 1基
三一号射撃管制電探 1基
三三号機銃管制電探 2基(後期艦)
水中装備 二式探針儀 1基
三式聴音機 1基
択捉級は対潜能力で頼られたが対空能力皆無で当てにされなかった。対空能力は御蔵級でようやくという感じであり、現場ではさらなる高性能艦と数を求められた。
高性能艦は日振級で対応できた。では数は、となると御蔵級日振級で建造予定数が60隻強である。
前線では、まだ足りないと悲鳴を上げている。
しかし、この艦型だと造船所の能力もありこれ以上増やせない。なら造船所側で対応できるまで小型化してしまえと700トン級海防艦が企画立案された。
丙型海防艦である。艦長が佐官ではなく大尉で艦長もありなのがミソである。人材不足ですな。数が増えるのを機に艦名を島の名前から番号制にしてしまった。潜水艦と同列である。決して島の名前が少ないわけではない。命名式や命名手続きが面倒だったのではという憶測はある。沈むと艦名の元になった島の人達が嘆き悲しむという事態への配慮が無かったわけではない。
艦型は単純に日振級を短くしただけで幅は変わらない。短くなった分、甲板上の配置も変化している。機関区容積減少にともない機関も小型で馬力が小さい。小さくなった割に武装がそれほど減っておらず、燃料重油が減ると復元性が怪しくなったり、乗員ひとり当たりの居住性が悪かったりした。
対空兵装は高角砲が艦前部の1基とされた。日振級では全面防楯の砲塔形式だったが軽量化のため防楯は後部が解放となっている。艦後部にはボフォース40ミリ4連装機銃が配置された。ボフォース40ミリ機銃は三三号機銃管制電探で照準をする。
爆雷投射装置はY砲からK砲に替わっている。
工期は小型化された分短く3ヶ月である。
竣工は19年春からで合計138隻が就役した。半数程度の艦はディーゼルが間に合わず蒸気タービンとなり航続距離が4000海里程度まで低下した。タービン搭載艦も見た目の違いは煙突程度なのでタービン艦を丁型とし、艦番号は200番台以降を使用することで船団編成時に機関性能の違いから間違えないようにした。
丙型(丁型)
排水量 780トン
機関 ディーゼル2基 4000馬力 (タービン2基 3800馬力)
速力 17ノット (16.5ノット)
航続距離 14ノット/4500海里 (3400海里)
兵装 八九式12.7センチ単装高角砲 1基
ボフォース40ミリ4連装機銃 1基
九六式25ミリ3連装機銃 4基
九六式25ミリ機銃単装 4基
二式対潜投射砲 1基
弾数4回分
爆雷投下軌条 2基
四式爆雷投射器(K砲) 6基
爆雷60発
電探 一三号対空電探 1基
二二号対水上電探 1基
三一号射撃管制電探 1基
三三号機銃管制電探 1基
水中装備 二式探針儀 1基
三式聴音機 1基
護衛対象が優秀船だと置いて行かれるくらいの速度しか出ないが、ほとんどの船は荷を積むと出てもこの程度か空荷でも出ない船が多いので速力は十分だった。
潜水艦を追尾するにも水中速力を上回っており問題とされなかった。