5,バーで再会を
鳥居をくぐった瞬間、空気が一変した。
まるで時間が止まったかのような静寂が、辺りを包み込む。いつの間にか、街の喧騒も消え去り、俺の耳に届いたのは――ジャズの音楽と、楽しげな会話。
……ん?
俺は目を開いた。そこには広い空間が広がり、天井には柔らかい光を照らすランプがぶら下がっていた。
茶色の机と椅子がたくさん並び、そこで男性と女性が楽しく酒を飲んでいる。
壁際には無数の酒瓶が並び、カウンターには満席の客が座っている。
……バー?
「ここ、どこだ?」
俺が状況を把握しようとしていると、突然、荒々しい声が飛んできた。
「おい、人間!」
声の方向を見ると、茶髪で整った顔の青年がこちらを見据えていた。赤いジャケットを着て、頬には戦歴を感じさせる深い傷が刻まれていた。
「ここは神聖な場所だ。お前みたいな人間が何故ここにいる!」
その言葉に、場の空気が一瞬にして緊張した。周囲の客たちも一斉にこちらを注目し、静まり返る。
「え、えっと……」
どう説明すればいいのか分からない。モクモクの言葉を信じるなら、ここが「天界」だという可能性もある。でも、そんなことを口にすれば、ただの狂人だと思われるだろう。
「黙記稲荷摂社の鳥居を潜ったら……」
勇気を振り絞って口を開くと、男は少しだけ眉をひそめた。
「黙記……稲荷摂社? お前、まさか」
男が何かを言いかけたその時、奥のカウンター席から柔らかな声が聞こえた。
「彼を責めるのはやめなさい、アレス。」
その声の主は、長い金髪をたなびかせた女性だった。彼女は美しい白いドレスをまとい、その姿はまるで絵画から抜け出したような神々しさを帯びていた。
「あなたは……?」
俺が問いかけると、彼女は静かに微笑みながら答えた。
「私はアテナ。この場所の守護者であり、導き手でもあるわ。誰から聞いたのかはわからないけれど、ここについて何か教わったの?」
その問いに、俺は無言で頷い――
「有祐〜〜〜〜〜!!」
「っ!」
聞き覚えのある声が聞こえた。声の主へと振り向くと、黒いバーテンダーユニフォームを身に包んだ青年が鼻水垂れ流しで、泣きながら走ってきた。今の俺は満永空八だが、前世の名前を呼んでいるのだろう。
「有祐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
彼は手を広げてハグをしようとした。
「……」
――俺は無言で彼のハグを寸前で躱した。
どうして? だって、こいつの鼻水ついちゃうじゃん。
「あ?」
声を漏らしたのは、彼が走ったその先にいるアレスという男。
「お、おい、ストッぷどおわぁ!」
「えへへへ、有祐……あれ?」
アレスはタックルされて、そのまま青年に馬乗りにされた。
「え、有祐じゃない! どこ!? 有祐どこ!?」
「ここだよ」
「あ、有祐〜〜〜〜〜〜!!」
そして、彼はまた俺に向かって走り出した。
「はい、ストップ!」
「おえっ!」
その時、アテナが彼の襟をつまみ上げた。
「ちょ、アテナ! 邪魔しないでくれ! 最近見たドラマの感動シーンの再現をやりたいんだ!」
「お前……今日から、一日にテレビを見れるのは1時間までね」
「え! イヤダイヤダイヤダ!」
「……」
彼――モクモクはまるで子供みたいだった。
え、モクモクってあんなやつだっけ?
「えっと……」
「あ、彼は気にしないで」
アテナは、モクモクの首を掴んで猫のように持ち上げた。
「いや、ちょっと待て! 有祐は俺と知り合いだぞ! ダチだぞ!」
モクモクが叫んだ。
「え?」
「え?」
アテナと俺は疑問の声を漏らした。
「え? ちょ、ちょと待て! 有祐、俺のこと覚えてるよな? ダチだよな⁉」
モクモクは焦る。
「君、コイツと知り合い?」
アテナが俺に聞いてきた。
「……いや、知らないっす」
「え!?」
「なんだ。……コイツ、燃えるゴミと一緒にだそう」
「有祐!!」
「あ、思い出した」
「ほっ」
モクモクは安堵した。
「コイツ、俺の大事なノートを盗んだやつだ!」
俺はモクモクを指さした。
「え? 有祐!? 冗談だろ?」
「……」
「なんで黙ってるんだよ!」
「小僧は嘘をついていないからだ。分かるだろう? モクモク」
近くのカウンター席に座っている眼帯をつけた壮年の男がそう言った。
「ええ、オーディンの言う通りです。」
アテナがオーディンに答える。
へぇ〜? 神様って、嘘が分かるのかよ。
「いやいや! 俺は有祐と知り合いだって!」
「そうですね、確かにそれは嘘でした」
「なら――」
「けど、彼は大事なノートをぬ・す・ま・れ・た・という言葉から、嘘が感じられなかったけど」
「……」
「……沈黙は肯定ね」
「有祐! プリーズ・ヘルプ・ミィー!」
モクモクは首を摘まれながら、アテナに連れて行かれた。
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俺はカウンター席に座っていた。数十分後、アテナが戻ってきた。
「あの……モクモクは?」
「うん? 邪魔者は消したわよ」
その言葉に、俺は心の中で、モクモクが連れて行かれた方向に手を合わせた。
もちろん、モクモクはここにいない。
後ろにいるアレスたちとオーディンは静かにお酒を飲んでいた。
……しかし、この神たちの名前、前世で聞いたことあるな。
アテナはギリシャ神話に出てくる戦いの女神で、戦車や織物などの技術を司る神。
アレスもギリシャ神話に出てくる軍神。マルスとも呼ばれている。
オーディンは、北欧神話の主神。知識や魔術の神で戦いの勝敗を決める神。
つまり、オーディンが勝ち負けを決めたら圧倒的優勢でも負けるし、圧倒的劣勢でも勝つことができる。
チート。チートだよ
……そういえば、モクモクって何の神なんだろう?
名前からして弱そうだけど、地球の元管理神だし、アテナさんと仲が良かったし……。
意外と顔が広いのかな。
もしかしたら、神話に出てこない神かもしれない。
神話に出てくる神が全員じゃないしね。
「さて、あなたの名前を教えてくれないかしら?」
アテナが聞いてきた。
「はい。俺は満永空八といいます」
「あら? モクモクは有祐って呼んでいたけど?」
「えっと、前世では御影有祐って呼ばれていて――」
パリンッ。
アテナがグラスを落とした。
「……あ、あぁ、ごめんなさい。い、今、拾いますから」
「……?」
明らかに動揺していた。しかも、何故か俺に敬語を使ってくる。
いや、お店なら普通か。
アテナがガラスの破片を拾い終えた。
「ち、ちなみに有祐様は、モクモクとどういう経緯で知り合ったの?」
「えっとですね。転生のときに知り合いました」
「「「「「「「ブーッ!」」」」」」
お酒を飲んでいたアレスたちが一斉に吹き出した。他の人たちは、こちらを放心状態で見ている。
「え、えっと、空八くんって……もしかして」
「はい?」
「こ、この、この本を書いた人?」
アテナは店の端にある本棚から、黒と金色の表紙の本を取り出してきた。
その表紙には『My Ragnarok』、そして『著者 御影有祐』と書かれている。
「……はい。俺です。」
その直後、男性の歓喜の声と女性たちの黄色い悲鳴が店中に響き渡った。