13.新たな日常
2025年11月1日・修正
朝7時。
とある家の二階、薄暗い部屋に響くのは――なぜか昭和の頑固親父みたいな声だった。
『ピコン。朝7時だぞ。早く起きろ、馬鹿たれが!! 朝7時だぞ、早く――!!』
重たい布団の中から、俺――満永空八は、片手だけをズルズルと伸ばし、スマホを掴んでアラームを切った。
妙にクセのあるアラーム音を選んだのは、過去の俺だ。
……いや、マジでなんでこれ選んだんだ俺。寝起きに罵倒されるとか拷問だろ。
「うるせぇ……」
布団の中で小さく悪態をつく。
朝からオッサンの怒号を聞かされるとか、どんな精神修行だよ。
まぁ、でも、このアラームだから、すぐ起きることができる。
それでも、スマホを放り投げるころには、少しだけ意識が浮上してくる。
昨日の疲労感が、じんわりと体に残っていた。
配信を終えて帰宅したのは夜中の二時。
風呂入って、軽く反省会して、やっと布団にダイブしたのがその時間だった。
それでも“初配信をちゃんと終えた”という達成感が、どこか胸の奥に残っている。
「ふぁ〜……ネム……」
まだ寝ていたい。心からそう思う。
でも起きないと、妹の朝ごはんが作れない。
(妹>睡眠)
兄としての義務は、案外めんどくさい。
仕方なく、布団のぬくもりを振り切り、ゾンビのように起き上がる。
目を擦りながら部屋を出て、階段を降りた。
キッチンから、なにやら香ばしい……いや、ちょっと焦げくさい匂いが漂ってきた。
(この匂い……まさか……カレー?)
恐る恐る覗くと、制服の上にエプロンをつけた妹――満永亜友が、真剣な顔でキッチンに立っていた。
おたまを振る姿だけ見ると、なんかできる女子っぽい。見た目だけは。
「あ、おはよう、お兄ちゃん!」
「おはよう……。なにしてんの?」
「カレーパンを作ってるの!」
元気いっぱいな声。
だが俺はその言葉に、心の中で警報を鳴らした。
(おいおい……お前、料理できたっけ?)
亜友の成績は優秀だ。
が、唯一の汚点が家庭科。
特に“伝説のリンゴジャム事件”は、今でも我が家の黒歴史である。
あのとき、台所中に広がった腐った卵のような匂い……。
母さんは泣き、父さんは無言で窓を開け、俺は魂が抜けた。
「む! 私だって料理できるもん!」
ぷくっと頬を膨らませる妹。
その言葉に、俺は“地雷”の予感を覚えたが、あえてスルーを選んだ。
「……そ、そうか。じゃあ、俺は弁当作るわ」
「ん。お願いね〜♪」
(軽いな……命懸けの朝食なんだけどな)
包丁を握って人参を切りながら、昨夜のことを思い出す。
妹にはまだ言っていない。俺が配信を始めたことを。
モクモク(配信仲間)から「家族バレだけは絶対にNG」って念押しされたからな。
隠しごとがあるのは落ち着かないが、それでも――少しだけワクワクしていた。
……そんな時だった。
「……なんか、腐った卵の匂いしない?」
鼻をひくつかせる俺に、亜友はやけに早口で返した。
「き、気のせいだよ!」
「いや、明らかに気のせいじゃない匂いなんだけど……って、お前、なんで目そらすの?」
亜友はわかりやすく動揺していた。
(はい、犯人確定)
「どれどれ? 亜友さん、料理は順調ですかね〜?」
「ちょっ! 見ないで! 変態!!」
「へ、変態って!? 兄だぞ俺!?」
突然の濡れ衣に、包丁を落としそうになる。
「くっ……顔が濡れて、力が出ない……!」
「どこのアンパンヒーローよ! 顔は乾いてるでしょ!」
朝から漫才だ。
ちなみにこのあと、カレーパンは本当に“腐った卵の再来”だった。
開けた瞬間、家中が地獄絵図に。
当然、ゴミ箱直行。
妹は「心が傷ついて、力が出ない〜!」と二度目のアンパンヒーローを演じていたが、俺は黙って朝の支度を続けた。
学校に着くと、2-1の教室はすでに半分ほど埋まっていた。
朝の光が差し込み、ざわめく声が心地よい。
……俺以外には。
誰とも目を合わせず、無言で窓際の席に座る。
スマホを取り出して、特に意味もなく画面をスクロール。
(別に孤立してるとかじゃない。……いや、孤立してるけど)
そう、俺はいじめられっ子。
この学園では珍しくもなんともない。
「なぁ、昨日の彩さんの配信見たか? 黒騎士、マジで強すぎだろ!」
「アレだろ、ユニークモンスターを1人で倒したやつ! あんなの普通無理だよ!」
教室の会話が耳に刺さる。
(黒騎士って……俺のことなんだが)
「私、黒騎士と付き合いたい〜♡」
「助けてもらってお姫様抱っこされたいよね〜」
「「「わかる〜!」」」
おい、現実とネットの落差すごくない?
「そういえば彩様が、黒騎士を探してるらしいよ。【戦神の鐘】に入れるためだって!」
「え、マジで!? いいなぁ〜!」
戦神の鐘――。
それ、『My Ragnarok』の主人公が作ったギルドじゃねぇか。
しかも、その設定ガチめにやばい組織なんだが。
物語の最後に主人公が行方不明になると、そのギルドが裏でテロとか陰謀とかいろいろ好きにやってしまう、バッドエンドルートのやつ。
そのとき、教室のドアが開いた。
「おーい、黒! 昨日の配信見たぞ!」
黒――工月黒が入ってくる。
人気者、イケメン、Aランク冒険者。つまり、陽キャの権化。
「ありがとう。おかげさまでAランク昇格だ」
「マジかよ! おめでとう!」
教室中が拍手に包まれる。
……が、次の一言で空気が変わった。
「そういや、配信に“奴隷”いなかったよな?」
「え? あぁ、アイツ? 追放した」
「やっぱり! よかったな! お荷物いなくなって!」
笑い声。視線。俺。
(あー……はいはい。そういうパターンね)
以前の俺なら俯いて、息を殺してただろう。
でも今は違う。
俺の実力は、もうAランクどころじゃない。
「おい、奴隷! お前、追放されたんだってな!」
「マジかよw ざまぁ!」
俺は彼らを見返すように目を細めた。
無意識に拳が握られる。
(……殴ってやりてぇ)
けど、すぐにその手を緩めた。
暴力で返すのは、黒たちと同じレベルに堕ちるってことだ。
(俺は違う。俺は“見せて”やる)
(この力が、どれだけ遠いところに行ったのかを)
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