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飯を食べ終わり、キースはベッドに寝転がる。ひとまず腹は満ちたはずだが、満足感はない。何とも贅沢な前世の記憶である。
宿屋でも作って客に提供できそうなレシピを頭の中でいくつか考えてみる。肉は高いし衛生面を考えると毎日市場に行って購入が必要なのは面倒だ。まずは野菜を中心に提供できそうなメニューを探した方が無難だろう。
ベッドから起き上がり、何か文字が書けそうなものを探す。しかし、すぐにキースの記憶が呼び起されてため息を吐いた。
そういえば、キースは簡単な単語しか書けないし使える気がしないから、と筆記用具を部屋に置いていなかった。紙とペンが置いてあるのは姉・サラがいるという両親の部屋と、宿泊名簿が置いてある一階のフロントだ。少し悩んでから、サラの元へ向かうことにした。
扉を開けて、廊下に出る。すぐに軋んだ音が出て、キースは軽く仰いだ。すごくうるさい。聞き慣れてるはずなのにいつもより響く気がした。
隣の部屋の扉をノックすると、サラの声が聞こえる。ドアノブを開けて部屋の中に入ると、サラは手元から目を離さずにキースの名前を呼んだ。
「キース、熱は下がった?」
「……多分、下がったってお母さんが言ってた」
「そっか。無理はしないでね。キース、一週間も熱が下がらなかったんだから」
「え……そ、そうなの?」
「うん」
カレンダーなんてものはないので意識していなかったが、どうやらあの酷い状態の熱が一週間続いていたらしい。
医療技術が前世ほど進んでいないことを考えると、熱を下げる薬も割とお高めだしそもそも医者の数も少ない。普通の風邪だと思ってベッドで寝かされていただけなんだろう。よく死なずに済んだものだ。
キースはサラの近くに寄った。サラはやっと顔を上げてこちらを見る。そして、何度も見たことがあるはずの姉の笑顔に、心臓を高鳴らせてしまった。
おいおい。姉、めちゃくちゃ可愛いじゃん。なんでこんなところで父さんの靴下なんて繕ってるんだ。絶対店先に出して看板娘にした方がいいだろ。もったいない!
サラは口を開けて顔を見つめる弟を見つめてから、少し呆れたように笑う。針を置いてキースの頭を撫でてから、額にぺたりと手の平で触れた。
「どうしたの? まだ熱が……いや、別に熱くないし……」
「ね、姉ちゃん」
「ん?」
サラは首を傾げる。あざとい仕草だが、嫌味じゃない。普通にかわいい。やっぱり、姉にも協力してもらって実家の再興を目指した方がよさそうだ。そう思い口を開いた――が、このタイミングで、サラのことを思い出した。
サラは、キースのように歩き回れるような身体じゃない。かなり病弱だ。この宿屋が傾いているのは営業面もあるが、サラの治療費が嵩んでしまっているのもある。月に一度医者がこの宿屋に来るのを思い出して、キースは歯噛みした。
しかし、サラの病名が分からない。ただ単に病弱で、少し歩いただけでも「眩暈がする」と言っているイメージしかない。キースは腕を組んでサラをじっと見つめた。
もしかして、毎日あの食事をしてろくな運動をしていないから、ただ単に体力がないだけでは? ちゃんとしたもの食べて適度に運動すれば、多少は健康的になるのでは?
キースは軽く頷くと、サラの近くにあった椅子を引き寄せる。そしてそこに座ると、サラに優しく語りかけた。
「俺……この店を変えようと思ってるんだ」
「……え? 何言ってるの?」
「姉ちゃんも気づいてるでしょ? うちの宿屋、やばいんじゃないかって」
「……それは、まぁ、そうね」
サラは軽く目を伏せる。庶民なのに白い肌、細い指、儚い雰囲気を持つサラは、絶対にこの傾いている宿屋を救う存在になる。いや、してみせる。キースはぐっと拳を握ると、大きく息を吸い込んだ。
「まずは、姉ちゃんを元気にしたい。そして、うちの宿屋も繁盛するように頑張る」
「え? わたし?」
「うん。ねぇ、お医者さんは何て言ってるの?」
「……原因は分からないって。今は子供だから元気がないだけで、大人になったら自然と良くなるかもしれない、って言ってる」
「詳しい病名とかは、分かってないんだよね?」
「うん」
それなら、とりあえず健康的な生活を心がけて様子を見よう。思い返せば、サラはろくに食べずろくに動かない、引きこもりのような生活をしている。これでは健康になりようがないだろう。
多分、サラは今の食事に不満を持ってる。しかし、ただでさえ両親に迷惑をかけているから、食事に対して文句を言うことができないんだろう。かといって自分で調理ができるかというと、病弱だからとキッチンに立たせてもらえないのだからどうしようもない。それならば、キースがどうにかすればいい。
「分かった。あのさ、姉ちゃん。紙とペンを借りてもいい?」
「? もちろん」
サラは近くのテーブルの引き出しを開けると、メモ用紙の束と鉛筆を手渡した。この世界、何故か鉛筆はあるんだよな。紙はともかく、インクと羽ペンとかじゃないのが違和感を覚える。何て言うか、都合がいいところは前世と被るというか。
「何を書くの?」
「んー、これからやることとか、目標とか、かな」
「そう……わたしにも何かできる?」
「うん。ちょっと色々考えてから……それから、姉ちゃんにも相談する」
「分かった。あまり無理はしないでよ、病み上がりだし」
「そうする!」
立ち上がり、椅子を元の位置に戻しておく。いつもとは少し違うキースに困惑しているであろうことは分かるが、思いついたら即行動は元々キースの性分だ。前世の自分は、やらないといけないことも、面倒なときはギリギリまで後回しにするタイプだった。
キースは扉の前で振り返ると、サラに向かっていつも通りに笑って見せる。サラは少し目を瞠ってから、柔らかく微笑んだ。
「姉ちゃん、またね」
「うん」
姉はいつも通り、弟に手を振ってその背中を見送る。変わらない態度にほっと息を吐いたのは、キースだったかサラだったか、それともどちらともだったか。キースは軋む廊下に再び出ると、先ほどの部屋に戻る。そして、これからのことについて練り始めた。