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ある晴れた日のギムナジウムにて

作者: 彩東士郎(さいとうしろう)

『ある灼けつく陽の朝、星砂の浜にて』につづく、彩東士郎式ファンタジー劇場第二弾をお届けいたします。

もし面白ければさいわいです。

未発表の『ある.....の日の』シリーズはほかにもいくつかあります。

どうぞよろしくお願い致します!

 澄みきった夜明けの薄暮の中、山あいに響いていた鳥のさえずりがすっと静かになった。

 その音の間隙かんげきをぬって、あわい光のかたまりが、蛍のような軌道を描きながら飛んできた。

 光のまわりにはいくつかの小さく黒い影がまとわりついている。子犬ほどの大きさだ。それらを高速度撮影した画像を再生したならば、ぬめるヒルのように見えるものであるが、実際には水分は含んでいなさそうだった。

 いや、むしろ、立体感すらない黒そのもの、闇そのものであった。 


 光の塊は、その飛行する軌道から苦しげに見えた。

 しかし、なにかに気づいたように飛び方を変えると、ある方向めがけて直線的に飛び出した。

 その方向には大きな施設があった。石造りの三階建てで、草の茂った広場と倉庫など補助的な建物からなる施設だ。


 光は広場に突っ込み、地面になだれこんだ。

 ごろごろころがって、ちょうどブランコの手前で止まる。

 闇たちはその直前に光から離れて、広場の上空にちりぢりに散開した。

 そして、光の真上をなにかくやしげにしばらく回ってから山奥に去って行った。


 光の塊は、腰につけていた木の棒を地面に突き立てると、ゆっくり立ち上がった。一見、人の形をしているが背中が異なっている。

 翼があるのだ。

 ゆっくりと広げられたそれは、全幅が身長の二倍以上あった。

 けれども、その他の容姿ははっきりしない。

 なぜならば、その光の存在は天使であり、かれら以外の者にはすべてが見えないからだ。

かれらを見るためには、かれらの目が必要なのである。


「痛ったーい。あちこちやられちゃった。帰ったらしかられちゃうなあ」

 天使は体のあちこちを見回りながらつぶやいた。

 それからもう一度翼を大きく広げた。が、すぐにたたむ。

「ううう、もう飛べないわ。無理してこのギムナジウムを出ても、また襲われるかもしれないし......しかたない。助けを呼ぼうっと」


 天使は棒の先を地面に当てると線を引き始めた 天使と同じあわい輝きの光の線だった。

 ただ、天使のそれが純粋な透明の光であるのに対して、うすく輝く緑色の線であった。

 まず、広場いっぱいに同心円を幾重にも書き、次にその中に文字を埋めていく。


 棒は古い月桂樹である。これは質量のある本物の枝から作られていた。

 なにかの時にはこれで魔法陣を描いて先輩たちを呼びなさい。

 そうおっしゃった大天使さまはやさしかったけれども、行ってはならないところに入ってしまったわたしには、きっと怖いお顔をされるにちがいないわ。

 考えるほどになさけない気分になるけれど、自分がしたことだからしょうがない。

 天使は暗い気持ちで天界の文字を書き続ける。


 ところが、何となく、なにか見られている感じがした。

 うしろを振り返り、視線を空に向ける。そこには、黒い存在がいた。

 さっき追いかけられたのとは違う、自分の倍ほどもある者であった。

 授業で習った、きっとこれが悪魔ね。

 天使のあたまの中が真っ白になっていく。


 悪魔は鉄棒遊具の上、十フィートほどの高さにいた。

 まだ群青色の天を背に、ぴたりと止まっていた。じっとこっちを見下ろしてる。

 怖い。怖いけどふしぎ。

 悪魔は羽ばたかなくても飛んでいられるんだ。


 翼は自分の倍。天使とは形が違う。なんか嫌な形ね。あたまのてっぺんからヤラシイ角まで一本はえているし。

 手足はわたしらと同じ二本づつ。でも、目や鼻や口はわからない。

 まっ黒で見えない。

 悪魔からは、こっちがどう見えてるのかしら。

 天使は立ち上がると、月桂樹の杖をさし向けた。


「あんただれ?」

「他者にものをくなら、まずは自分が名乗るべきだろう」

「わたしはグーテン・シェーンハイト」

「ほう、天使様らしい名だな」

「だからアクマ、なまえなんていうのよ」

「ん~俺に名前はない」

「感じわるいね」

「悪魔に何かを期待するほうが悪い」


 悪魔がにやりと笑ったような気がした。なにも見えないけど。

 グーテン・シェーンハイトは、怖さと不愉快さをを胸のうちにしまいこんで、再び文字書きに専念した。

 教会とか、ここ学校は聖域であり、決して悪魔が降り立つことはできないと習っていたからだ。

 そうよ、やつはここには降りられない。だからああやって待ってるんだわ。


 ややこしい呪文と文字を思い出しながら書いていると、悪魔の存在もたいして気にならなくなってきた。

 不意に悪魔がうなった。天使が振り向く。わき腹から、その体と同じ漆黒のひもが飛び出し、うねっている。親指ほどの太さ、一フィートほどの長さのそれは、蛇のようだった。

「どうしたのよ」

 グーテン・シェーンハイトは思わず声をかけた。


 悪魔は、答えずに"ひも"を引き抜いた。全長は二フィートはあろうか。

 なおもうねり続ける"ひも"を悪魔が手放す。

 それはうねりながら落下し、聖域空間に入った瞬間、まばゆく発光して、地上に接触するまでに消えた。

「なに、いまの」

「何でもない」

「ずいぶん痛そうじゃない」


 悪魔は、暗黒の手で脇を押さえたまま答えなかった。その表情は見えないが、どうやらうるさがっているようだった。だからといって、立ち去るわけでもない。意図がわからなかった。

 グーテン・シェーンハイトはまた文字を書き始めた。ただ時折、その光のシルエットが悪魔をかえりみていた。

 しばらくして、校庭の中心あたりで独り言のように言う。

「わたしを食らうつもりならやめてよね。へそまがりだから、たぶんおいしくないよ」


 悪魔はやはり答えず、元の空間に留まったままだ。

 あいつ、もしかしたら何かを待っているのかしら。グーテン・シェーンハイトはなぜかそう直感した。もちろん、思い当たることはないのだが。


 ふはははは。

 突然、離れたところから不吉な笑い声が聞こえてきた。グーテン・シェーンハイトと悪魔は周囲を見渡した。

 つたにおおわれ尽くした三階建て校舎の上に、別の悪魔の姿があった。一匹目よりさらに大きく、不遜ふそんな気を漂わせている。


「その天使を狙っているのか」

名無しの悪魔は答えない。

「天使、おまえの名はなんというか」

「わたし? わたしは」

名無しの悪魔が右手をまっすぐに横に伸ばした。グーテン・シェーンハイトは口をつぐむ。

「なんだおまえ。ちびのくせにどういうつもりだ」

 高みから、あざけるように言葉を投げかける。

「これは俺のだ」

「ほう、そうなのか。そりゃすまんが、まあよこせや」

「帰れよ」

「お......なんだって? えらく強気じゃないか。やるのかあ」

「帰らないんならな」

「ふーん。なんかむかつくなあ、おまえ」


 名無しの悪魔が跳躍するように飛んだ。

 大きな悪魔は首をぐるりと回してから、かまえた。そして笑った、ように見えた。

 天使には、実際には見えない名無しの悪魔の笑いと後者のそれがまったく違うものに思えた。

 両者が空中で接触した。

 左右のてのひらを組み合い、しばらく力くらべをしながらどんどん高度を上げていく。次に、にらみ合った形で頭を下に落ちて来る。

 誘導しているのは、腕力でまさる大きな方だ。力まかせに名無しを聖域に押し込もうとしているようであった。


 名無しが翼を大きく広げた。地面に向かってさらに加速する。押し込もうとしている方向に名無しが出たので、一瞬、大きいのの力が抜ける。

 腕を振り払いながら、さらに加速。仰向けの体勢で聖域の表面ぎりぎりを滑空する。邪悪な波動が聖域空間の表層を波立たせる。


 グーテン・シェーンハイトは、高速で頭上を過ぎるふたつの闇の塊を見上げ、自分が水面下にいるような錯覚に見舞われた。

 漆黒しっこく螺旋らせん状にからみあいながら再上昇する。なにか叫び合っている。

 去れ......ドちび......が。 

 ......まえこそ去れ......シュミのじゃま......な。


 講堂の屋根をもみあいながら過ぎていく中、大きな方が苦痛の叫び声を発した。

 だが、それはすぐさま激しい怒声に変わり、争いのエネルギーに転化される。

 大きな方は、ありうべからざる動きで名無しに打ちかかった。

 もつれた闇の塊から、小さな闇がはじき出された。

 斜め四十五度で一直線に降下して、倉庫の屋根に音もなく激突した。


 グーテン・シェーンハイトは思わず身長分、体を浮かせ、屋根の上を覗いた。

 片方の翼を失った名無しの悪魔がうつぶせになってうめいている。

 だが、天使の姿を見ると、微笑むように頭を傾けて、右手に握っていたものを煉瓦色の屋根がわらに転がした。

 庭球ほどの黒いそれは、傾斜を転がってから宙に浮き、放物線を描いて地に落ちた。

 はずみもせずに着地したそれが、光を発しながら容積を失っていく。

 とはいえ、先ほどの”虫”と比べるとずいぶんゆっくりで、なかなか消滅しない。

 摩滅する様子をながめるうち、天使はその球が悪魔の眼だと気づいた。

 そして、もう一度空を見上げる。

 北の方角に去っていく大きな悪魔。遠のく黒影は、確かに左手で頭部を押さえていた。


「グーテン・シェーンハイト」

 南側から、かすかに声が聞こえた。振り向く。小さな三つの光。あっという間に大きくなり、できあがった魔法陣の上に降り立つ。

 三人の先輩たちだった。


「大丈夫か」

「ひどい怪我じゃないか」

「じっとしてないと」

 第一の天使がグーテン・シェーンハイトの腕を取って地上に降り立たせる。


「本当にひどい。遅くなってごめんよ」

と、第二の天使が怪我の具合を調べていく。

「翼がこんなになって。いったいどこに行ってたんだよ」

「ごめんなさい、ごめんさない」

 第三の天使の強い口調に、とにかく謝る。もちろん、心配がきわまってそういう言い方になっていることがグーテン・シェーンハイトにも理解できた。


「とにかく、早く引き上げねばな」

 第一の天使は、文字の書かれた校庭を見渡した。

「そうだよ。ジャンプしよう。さっきみたいなのが何匹も来たらたいへんだ」

 第二の天使はまだ傷を調べている。

 第三の天使はそのようすを眺めながらも遠くの空に注意を払っていた。

「まあ、ここは危険だからねえ・・・よく生きてたよ」


「え、キケンなの?」

グーテン・シェーンハイトは意外な気持ちを視線に込めて第三の天使に顔を向けた。

「きみは知らないだろうけど、このギムナジウムは廃校になってもう三十年なんだ。”想い”の力はかなり弱まってる」

 第一の天使がその言葉を受けて続ける。

「すべての力には源があるんだよ。聖域結界もそうだ。源が枯れてしまっては結界の力は徐々に衰えていく」


 第二の天使が、顔をぐっと近づけてきた。

「ミナモトってわかる?」

「わかんない」

「習ったはずだよ。学校ならば、生徒たちの息吹いぶきさ」

 第三の天使が翼を羽ばたかせて、頭上に上がった。

「今のところ悪魔の姿なし。覚えとこうぜ。生徒たちが去った学校の結界はとにかく弱まっていく。三十年もたってしまえば、聖なる力は半減している」


 第一の天使がうなずいた。

「さっきいた悪魔にしても、そこの悪魔にしても、よく襲われなかったものだ。きみはとても幸運だ」

「え、わたし、幸運だったの? でも、あそこの名無しさんは襲ってこなかったよ」

「なに言ってんの」と、第二の天使。

「遠くからでも見えてたよ。やつらはきみの取り合いをして争った。でも相討ちになった。きみの魔法陣に気づいたぼくらはなんとか間に合った」


 第一の天使はグーテン・シェーンハイトの頭に手を置いた。

「では帰ろう。おてんば新米天使さん。ジャンプするよ」

「え、もう帰っちゃうの。だってあの人が」

「あの人? ガラクタ悪魔のことか。気にするなよ。やつらは敵だぜ」

 第三の天使は、そう言いながら地上に着地すると、グーテン・シェーンハイトの手を取って魔法陣の中心へと導く。

「え、ちょっとちがうような気がするんだけど。まってよ」

「待たない」


 天使たちは同時にそう言い、グーテン・シェーンハイトを陣の中央に押し込んだ。

 まだ倉庫の上に定めたままの、彼女の視線をさえぎるように翼六枚がふわりと広がる。はすの花に似ていた。

 魔法陣の最外縁から中心にかけて、緑の光の線と文字が砂地から浮き上がり始めた。

 それは半球状のドームの形であった。

 校庭にかぶせたようなそのドームがゆっくりと回転し始めた。


「欲を呑むやつらと、夢を呼吸するわれわれとでは、すべてが異なる」

「相容れないんだよ」

「授業で習ったはずだぜ」

 三人の先輩が順番に言った。

「みんな、ありがとう」

 グーテン・シェーンハイトが礼を言った。

「ありがとう」

 月桂樹の杖を両手で握りしめ、胸に抱きながら、もう一度、独り言のように言う。


 緑光のドームの回転が少し早まる。

 回転の早まりにつれて、校庭のあちらこちらに、無数の半透明の影たちが現れたのだった。

 それは歩行者だけに解放された大通りの交差点に似ていた。

 夏の朝を登校していく年少の生徒たち。

 冬の夕暮れを下校していく年長の生徒たち。

 整列して体操する体育着の生徒たち。

 課外活動でボールを追いかける男子生徒たち。

 大きな銀杏の下で笑い合っている女子生徒たち。

 そして、彼らをいつも見守っている教師たち。


 みなこの場所に刻まれた過去の記憶だった。

 だからその像は半透明であり、像たちの向こう側には現実の光景が透けて見えている。

 枝々から吹いた芽が若葉となって天に伸び、天の青みが深くなるにつれて葉は暖色を経て力を失い校庭に舞い散る。

 強い北風が抜けたかと思うと重い色の雲から軽やかな雪が降りてきて空間を支配し、地上から色彩を消し去り白一色に浄化する。

 そして太陽が光量を取り戻すにつれて雪は風に乗って少しずつ去って行き、草木は目覚め白い世界を破壊する。

 四つの季節と七色の光彩と無数の笑顔が数十個のオルゴールを一度に鳴らすかのように校庭と校舎を満たす。

 そのオルゴールを駆動しているのは天使の書いた回転する文字群だ。

 絢爛けんらんたる世界の記憶を再現させていた回転盤がやがて徐々に速度を落としていくと、子供たちの姿は透明感を増してきた。終わりが近づいてきたのだ。


 名無しの悪魔はふと我に帰って幻想の中心に意識を戻した。天使たちはもういなくなっていた。

 伏せていた上半身を起こし、倉庫の屋根から地上にころがり落ちる。そして、ゆっくりと立ち上がった。

 闇でできた体のあちこちから光がにじむように現れて、消えていく。

 まるで玉ねぎの皮をいていくかのようだ。

 悪魔は、翼を失った方の右肩を左手で押さえながら、消えつつある緑光のドームの中をゆっくり横切って、ギムナジウムの正門を出た。

 正門にはすでに扉はなく、雑草がその役割をになっていた。【終わり】


参考

◆ギムナジウム Gymnasium

主に大学への進学を希望する子供たちが進学する学校で、9年間の日本でいう中高一貫教育で、ギリシア語、ラテン語、ヘブライ語などの古典語や、英語、フランス語などの近代語、理数系の教科に重点を置いたものなど、いくつかの学校のタイプがある。ギムナジウムという名は、ギリシア語の γυμν?σιονをラテン語で表記したものから由来している。(ウィキペディアより)


◆グーテン・シェーンハイト Guten Schönheit



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