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2:ある鉱山の麓で

 先の大戦から100年。帝国は数多の小国を抱え、実に大陸の北側半分を支配している。南方の国々は帝国に対して小競り合いをたまに起こすが真っ向から戦争をしかけようとはしてこない。それどころか南方の国同士で戦うのに帝国の力を欲する始末。不利益を被ってまで帝国に敵対できる国はない。


 と、ここまでは帝国の者ならば新聞が読めなくともなんとなく噂話程度に知っている事。だがほとんどが特にその話をすることはない。なぜなら考えても仕方ないから。話すなら、身の回りのこととか、仕事のこととか、せいぜい遠くとも隣の街の話とかそんなところだ。歴史だとか、国同士のことなんて偉い奴が考えればいい。


 どうせ言ったところで変わらない。


 太陽を遮っていた雲が動き光が俺を照りつける。眩しさに目を細め、ため息をつく。熱の季節が近づいているからか暑く、汗が背中を垂れる。


 帝国の中心に程近い内陸、鋼鉄産業によって栄える赤の国ゴーシュトラスに俺はいる。

 街から外れた鉱山の(ふもと)、そこからさらに外れたクズ石置き場。俺たち《親なし》はクズ石の山の中から加工したら価値の出そうなものを拾い集めて換金していた。重労働ではあるが、未開の森に連れて行かれて獣の(おとり)役になるよかマシだと、俺は思う。これでも少しは幸福だ。選択をできない、生きることもままならない《番号なし》じゃない。

 遠くの街は(きら)びやかだ。文字通り。何せ太陽の方角にある。街にはたくさんの店があって、たくさんの家があって、たくさんの人が生きている。俺は一度だけ行ったことがある。行っただけ。親なしの俺には何もできることがなかった。


 羨ましいかと問われれば「別に」


 気にしたら終わりだ。分不相応な願いは自分を惨めにするだけだ。それなら今からでも森に走るほうがいい。憲兵に見つかって処分されるか、獣に見つかって身を裂かれるか。不利益が大きすぎる。


 諦めていた。


 ズダ袋を背負い、足を引きずるようにして歩く。たどり着いたのは薄汚い赤色のあばら家。ツタだらけで窓のないレンガの壁は俺の身の丈の3倍はある。ただ扉は俺より小さく木でできていた。


「ほらよ、婆さん、今日の分持ってきたぞ」


 肩に積んだズダ袋を木扉の前に下ろすとズドンという鈍い音がした。


「婆さん、いないのか?」

「いるよ」


 しわがれた声と共に扉が少しだけ開いた。


「ひとりか」

「ちょっと後で来るって」

「……フン」


 扉の中からしわだらけの細腕が伸びたかと思えば、ズダ袋を一掴みして一瞬で扉の中に引き込んだ。俺が両腕でやっと持てる重さなのにとんだ怪力ババアだ。


「イフ、イム、イス……今日は小粒だね」

「晩に雨が降ったからだろ」

「フン」


 しわだらけの細腕が中身のないズダ袋を差し出す。受け取ると腕が引っ込み、すぐにまた出てきた。金だ。落とさないように受け取る。


「ン、婆さん、ちょっと多くないか」


 扉の向こうでケヒャッと笑い声が聞こえた。


「生真面目なヤツだ」

「対価は誰にも等しく、だろ。婆さんが言ったことだ」

「いいさ、今日は持って行け」


 細腕は引っ込み扉は閉められた。俺は首に下げた小さな巾着に金を入れ、ズダ袋を拾って肩にかけた。


「にいちゃん」


 幼い声に振り向くと、俺の半分ほどしか背丈のない、土埃で薄汚れた少年が俺のものよりずっと小さなズダ袋を抱えていた。


「遅いぞ、リム」

「ばあさん、いる?」

「いまならいる。俺はさっき渡した」

「んよし。よし」


 リムは自分のズダ袋に手を突っ込んだ。


「みて、ひろった」


 小さな手を差し出す。俺は唾を飲んだ。

 手のひらから溢れんばかりの大きさの真っ赤な鉱石があった。


「おまえ、盗ったんじゃないだろうな」

「ひろった」

「ほんとかよ」

「ひろった。ん。ひろったもん。ばあさんにわたしてくる」


 リムは扉へと進む。あんなにでかい鉱石なら数日、いや数十日は働かなくともパンが買えるほどの金がもらえるだろう。

 運がいい、と思った。

 これほど扉の近くで話したのなら今更奪ったところで婆さんは聞いている。リム以外の誰が扉の向こう側に渡したところで金はもらえない。そして、リムが渡したとして婆さんはちゃんと金をくれることはくれるが、一度には渡してくれない。働き手がいなくならないように少しずつしか渡さないのだ。

 運がいいな、と再度思い背を向けた刹那。


「持ってくるなッ!!!」


 婆さんの金切り声に俺は思わず飛び上がりそうになった。


「な、なんだ」

「それを持ってくるなッ……オォ、おまえ……ウゥ……」

「にいちゃん」


 振り返る。扉の前でリムはあのでかい鉱石を持ったまま困惑した顔をこちらに向けていた。

 何があったかわからない。あの鉱石は毒か何かなのか? 扉の間から伸びた細腕はリムを指差した。


「戻してこい……戻してこい……!ゲホ、ゴホ」

「おい婆さん大丈夫か」

「早く行け…!」


 リムが小走りで俺の方に走ってこようとして数歩進んで止まった。


「リム……?」

「に、にいちゃん……」


 リムの声でようやく俺も異変、いや、異音に気付いた。

 大きな翼の羽ばたく音。

 この国の下々の人間ならば誰もが知る音。


「おや、おや、まだまだ年若い」


 頭上から不気味に柔らかく降ってきた女の声に俺はゆっくり顔を上げた。


 竜。とてもとても大きな、禍々(まがまが)しい竜がいた。岩のような鱗は赤黒く、光を遮る身体は影を作り俺を包む。膜にしては分厚すぎる皮が鋼鉄のような翼を一度動かすだけで風を起こす。

 ズダ袋が舞い上がったのを押さえることができない。

 思わず膝をつく。本能がそうさせる。怖い。喉が細くなる。息ができない。

 竜の影が近づく。逃げる? 無理だ。


 竜からは逃げられない。


「失礼」


 軽く肩を叩かれて緊張が解け喉が開く。勢いよく吸い込んだ息でむせる。大きく二度息を吸ってやっと視界が戻る。


 頭上の竜は消え、俺とリムの間に、長身の、かつこの場所に似つかわしくないほど美しい妙齢の女がいた。燃え終わりの炭のように赤黒い髪がふわりと揺れる。リムは口を開けて呆然と立っている。


「おや、おや」


 女は髪と同じ赤黒い目で俺をちらりと見ると、扉の方を向いた。


「立ち直りが早い。あなたの影響はやはり良い方向に働きますねアングルボザ」

「仕事をしたらとっとと帰りなガブリエル」


 扉の向こう側から婆さんは聞いたことのない恐ろしく低い声で返した。リムが我に帰ったように口を閉じた。俺からもう女の顔は見えないが、呆れたのかあからさまなため息をついたのは聞こえた。


「ずいぶんと、らしくない使い方をするものです。あなたの目ならまた一山当てて豪遊することだってできたでしょうに」

「時代が変わったんだ」

「変わるものなどそうありませんよ」

「さっさと持って行けガブリエル」

「……ええ、そうしましょう」


 ガブリエルと呼ばれた女は軽く靴音を立てながらリムに近寄ると、まるで小石を拾うのと同じような軽さで抱き上げた。リムは失神したのかされるがままになっていた。


「おい、どこに行くんだ」


 ガブリエルが振り返り俺は飛び上がりそうになった。声を出したのは俺だった。なんで俺は声なんか出したんだ。膝が震える。なんで。やばい。動けない。

 ガブリエルは微笑んだ。


「もちろん、お城です。こちらのとてもとても運のいいお子様は王女様の気まぐれの宝玉を見事拾い上げました!これすなわち、運命っ!」


 ふふ、とリムに顔を向けて、また俺の方を見た。

 俺は動けない。女の口元はまだ柔らかかったが、目がもう笑っていなかった。


「あなたもお越しになりたくばご自身の力でどうぞ。……と、思いましたが、それだと面白くないですねぇ。せっかくですし、あなたは私からのお土産にしましょう」

「え」


 とっさに身が強張る。構えようとしたが無意味だった。女の片腕が俺の腰を抱え込むと軽々と持ち上げた。


「え、えっ、え」

「騒がしい」


 ゴッ、と鈍い音と同時に視界が揺らぐ。殴られた? 誰かが何か言ったのが聞こえた気がしたが、誰かわかる前に俺は意識を手放した。


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