シアポス慰安婦問題
実際の出来事をベースとしていますが、時系列や、出来事の細かな内容には相違があるとおもいますし、誇張している部分もあります。
あくまでも、事実を参考としたフィクションです。
その星には5つの大陸があり、そのうちの3つの大陸が引き起こした戦争は世界を巻き込み、世界大戦を巻き起こした。
そんな世界大戦からすでに40年が経とうとしていた。
さて、世界の中央に位置する大陸の東の先に島国としては世界一の面積を誇る国があった。
大戦前はシアポス帝国を名乗って帝国主義を標榜し、中央大陸東部へと領土を拡げたが、大戦にて敗北、手にした植民地を全て解放した上で一時は戦勝国の占領下におかれ、今はシアポスを名乗る国だ。
東方の大陸、アデルゴ大陸全土を統べる大国、アデルゴ連合国の占領下で軍が解体されたシアポスはその後に急速な復興と成長を遂げて、アデルゴ連合国に次ぐ世界第2位の経済大国へと成っていった。
アデルゴ連合国の占領下から離れ、一度は解体された軍も、同盟関係を結んだアデルゴ連合国の要請を得て形を変えて自衛軍として再編された。
戦後40年、すでに大戦を経験していない世代が現役世代を担うようになって久しい中で、シアポスの隣国、中央大陸の東端、ルド半島に位置するデン国とのあいだでシアポスはトラブルを抱えることとなった。
デン国は戦後にうまれた国だ。戦後シアポスから解放されたルド民族はデン民主国をつくるも、中央大陸の共産国家の支援をうけた勢力が突如としてクーデターを起こし、ルド戦争が勃発。
現デン国政府側にアデルゴ連合国が旗をとり、国際連合国軍が作られ、支援されたことで、この戦争は休戦協定が結ばれた。
アデルゴ連合国を中心とした自由主義勢力と共産勢力との対立が起こした戦争ではあったが、様々な要因が決着へといたらせなかった。
まず、共産勢力のうち2大巨頭といえるソリアン連邦とサンガ共和国は世界大戦後の冷戦構造による対立から国際連盟への出席をボイコットしており、その事が反対に速やかな自由主義勢力による「国際」連合軍の召集の承認に繋がった。
アデルゴ連合国軍特務司令官ジョンソン・マクレーガン少将は内乱が勃発するソリアン連邦とサンガ共和国が十分な支援を行えないことを知って、国際連合軍の介入で簡単に終戦協定を結べると、終戦後の賠償などを重点を置いて任命されており、参加各国の将校もまた、そうした事後の交渉を得意とする文官よりな人選であったが、しかし、連合軍側にも誤算が生じる。
デン民主国首都ソルガルをあっさりと占拠されたデン民主国政府はテッサンへと逃亡し、あろうことか首都奪還をせずにテッサン周辺に兵力を集中させ、ひたすらに守りを固めていたのだ。
連合軍はあくまでも援軍であり、戦時化におけるルド半島内の統帥権は勿論のことデン民主国政府及びデン民主国軍にあった。であれば、連合軍と合流後、連合軍を指揮下に置いて、速やかな反転攻勢をするのが常道というより、それしか無いのだ。
しかし、テッサンに訪れたジョンソン・マクレーガン司令官にたいして、デン民主国首相、並びに国軍司令官が放った言葉は「さっさと無法者を追い払って、首都を解放してくれ」だったのだ。
いくらなんでも、統帥権を持たないまま、要請とも言えない言葉だけで勝手にルド半島内で軍事行動を行う事は戦後に重大な問題となるのは必定であるために、ジョンソン・マクレーガン司令官は統帥権をもつデン民主国首相か国軍元帥、または委任された武官か軍人とともに部隊を前線へと送り、連合軍と共闘することを持ちかけるが、テッサンの守りのために部隊は動かせないと譲らない。
業を煮やしたマクレーガン司令官はついに最後通牒とばかりにあり得ない提案をする。
「統帥権がなければ、我等は自由な軍事行動は執れない、統帥権を我等に委譲するか、統帥権を持つ者を司令官として部隊を送るかを選んでくれ」
当然にマクレーガン司令官はここまで言えば、独立国の矜持として統帥権を他国に委譲できないと、部隊派遣を決めると思ったのだが。
「委譲するから、頼むから、さっさと追い払ってくれ」
と即答されてしまったのだ。
これで、戦力差が圧倒的な連合軍は完全に士気を失った。当たり前ではある。自分たちで国を守る気もなければ、後方で自分たちを守るために国軍を張り付かせて、他国の軍に丸投げしようと云うのだから、いくら、その後のメリットを勘定したところでやる気も無くなるというものだ。
だというのに、ろくな支援を得られなくなった筈のクーデター側は粘りに粘った。
やる気のない連合軍と必死に抗戦するクーデター側は拮抗し、なんとか、首都からは押し返したところで、「追い払ってくれ」の要請は達成したと、統帥権を持つマクレーガン司令官がクーデター側に「休戦」を呼びかけたことで、ルド半島は北にルド人民民主主義共和国を名乗る国家と南に旧デン民主国政府から国体を引き継いだデン国とに別れたのだ。
こうして誕生したデン国は建国の経緯もあり、アデルゴ連合国、シアポスと共に軍事同盟を結び、来るべきルド戦争再開のさいは共闘することを誓ったわけだ。
デン国は元々はルド半島にあった王朝の末裔を名乗る者たちが戦後に興した国であるが、大戦前にシアポス帝国に吸収されたのは占領によるものではなく、ルド王朝の要請によるものであった。
ソリアン連邦やサンガ共和国の南進や、西方大陸の列強など、ルド王朝を支配下におき、植民地にしようとする動きは日に日に強くなるなか、中央大陸東南部を纏めて、列強に対抗しようとするシアポス帝国にデン王朝の王族自ら、併合を望んだのだ。
であるから、大戦当時のルド民族はシアポス帝国民であった。軍人や慰安のために従軍する娼婦の募集もシアポス帝国民として分け隔てなく行われた。
大戦当時、シアポス帝国軍には多くのルド民族出身者がおり、彼らの中には将校へと出世をはたした者もいた。優秀な者は士官学校への入学と、それに際しての支援も行われた他、出世すれば高待遇が期待出来たため、募集を上回る希望者が集まり、倍率は非常に高かった。
このような状況であるため、慰安目的の従軍娼婦、通称「慰安婦」には純シアポス帝国民だけでなく、ルド民族出身者も同時に募集したのだ。慰安のためとなれば、言葉が通じて心が休まる同じ郷里の者が相応しいという配慮からであり、事実として、ルド民族出身の兵士はルド民族出身の慰安婦を選ぶことが多く。シアポス帝国民もまた、同じくシアポス帝国民を選ぶことが多かったようだ。
こうした行軍のさいは現地では自国貨幣の送金や調達が困難なため、軍券が発行されて使われていた。
兵士への給金や恩賞にも同行する者たちへの手当にも使われたほか、占領地での売り買いにも当然に使われた。
これは慰安婦への支払いにも使われたのだ。
戦後、こうした軍券は紙くずとなったが、シアポス政府はデン民主国にたいして、国家賠償を行うと共に、戦争被害者への個人補償も確約した。
デン民主国首都で行われた協議の結果、公的、私的問わず、全ての賠償をシアポスは完了させ、デン民主国は請求権を今後は有しないことが「ソルガル基本協定」で両国の間で結ばれた。
デン民主国がデン国とルド人民民主主義共和国とにわかれても、「ソルガル基本協定」は両国間で変わることなく引き継がれた筈だった。
大戦からもうすぐ40年がたとうとした頃、シアポスの大手新聞社のひとつシアポス日報が一面にて掲載したニュースが大問題を引き起こしていく。
大戦当時の従軍慰安婦はすべて、シアポス帝国軍が強制的にルド民族の女性を拐って連行し、無休で働かせた上に無給であったと、奴隷のように扱っていた人権問題であると、告発形式の記事を載せたのだ。
シアポス政府はこれに反論した。事実と異なり過ぎているばかりか、この記事は既に解決済みの戦後補償にまで口を出していたからだ。
だが、シアポスを弱体化させたい内外の勢力はこれを利用した。
国際連盟は調査官を使い、連盟議会にて調査官マクサミ女史の名で「マクサミ報告書」を提出、シアポス帝国軍によるルド民族への人権侵害があったと決定した。
そして、シアポス国内でも、シアポス現政府を弱らせ政変を起こすべく、トミト・スイレン女史が弁護士として元ルド民族慰安婦へと接触した。
トミト女史は慰安婦たちへ、はじめはこのような呼び掛けをして希望者を募った。
シアポスが支払った賠償のうち、戦争被害者個人に向けたものはデン民主国政府が着服してしまい、被害者一人ひとりには渡らなかったが、デン民主国政府も引き継がれたデン国政府も「シアポスは賠償を行っていない」と国民へ説明していた。
なので「あなた方が持っている、紙くずになった軍券の換金要求をシアポスにしましょう」そう持ち掛けたのだ。
自分たちの正当な対価であった軍券の換金は本来ならシアポスから賠償金を受け取ったデン民主国、ないしデン国政府が代行しなければならない。シアポスはその手間を考えて、個人への賠償に関しては直接被害者へと行うと申し出たが、当時のデン民主国政府は内政干渉だと、国の窓口への一括納付でなければ認めないとしたのだ。勿論に着服するために。
そんな事情を知らない元慰安婦からすれば、紙くずになった軍券を補償してくれないシアポスへの不信感は相当に強かったことは間違いなく、だからこそ、この申し出にはそれなりの元慰安婦が参加を表明したが、そもそもに紙くずとなった軍券を後生大事に保管してる者が少なく、紛失したり、捨ててしまったという者も大勢いた。
しかし、トミト女史はそれも織り込み済みであった。そして本題へと移る。
「あなた方はシアポスに搾取され、利用されたのです。人権侵害があったと国際連盟も認めた今、シアポスに奴隷として尊厳を傷つけられたと訴え賠償を求めましょう。軍券の換金などより、もっと多額の賠償が得られるとおもいます」
この提案に元慰安婦たちは半信半疑だったが、軍券の換金が確実でないなら、どのみちやらぬよりはましだろうと、彼女の案に乗ることにしたのだ。
そうして、国内の反政府勢力に与した彼女は現行の政権を国際社会から孤立させるべく動いていった。
この慰安婦騒動で国家の枠組みを替えようと目論んでいた勢力は、しかして既に大戦から40年、シアポス政府と国家としてのシアポスの影響力を軽んじていた。
弱腰外交となじられ、アデルゴ連合国の属国などと揶揄されたところで、世界2位の経済大国であり、列強に連なる国の中でも唯一の黄色人種の国であることは、地政的な意味合いでも各国のパワーバランスに欠かせないものであった。
端的に言えば、これ以上は強くなってほしくはないが、あまりに弱体化されるのも、下手して共和国側につかれるのも絶対に避けなければならなかった訳だ。
慰安婦騒動はそうした思惑のもと、シアポスが追加賠償を行うことで決着するも、デン国はまたしても、これを着服し、国内には問題が解決せず、シアポスは謝罪をしていないと偽の情報を流布し続けた。
デン国は今や窮地にたたされている。
賠償を求める元慰安婦が亡くなっていくなかで、ルド戦争時や、中央大陸で起きた冷戦の代理戦争「ベレム戦争」時にアデルゴ連合国が行ったルド民族への人権侵害行為をシアポスに付け替えてまで、慰安婦被害者を拡大したが、こうした行為により、真実が反対に暴かれることになっていく。
シアポス日報は慰安婦報道が誤報であったと認め謝罪記事を載せることになり、アデルゴ連合国では大戦当時の慰安婦への聞き取りを行い、戦争犯罪などを調査した報告書が公文書として保管されていると、親シアポスの有志による告発があり、公開されている公文書の内容が、「マクサミ報告書」と真逆であることや、大戦当時存在しない航空機や運搬車両での連行の証言、証言者の年齢では大戦当時は10歳にもみたない幼児であることなどから、悪意をもって、捏造しているか、アデルゴ連合国が「ベレム戦争」にて行った行為がすり替えられていると逆告発が相次いだ。
結果的には問題が自国に飛び火することを恐れたアデルゴ連合国大統領の要請に応える形で、三度目の「最終合意」という賠償が「慰安婦個人のための賠償を行う団体」へとなされる事が決まり、「最終かつ不可逆的に問題は解決された」と合意文書が、アデルゴ連合国大統領が証人となる形で執り行われた。
しかし、長年の同盟国を敵性勢力として国内に洗脳を行ってきたデン国は、そのツケを支払うことになる。
この合意を不服とする勢力によって、政権交代後にこの合意は一方的に反故にされたばかりか、支払った賠償金を返還もせずに追加の賠償を要求しはじめたのだ。
トミト女史は今や没落したシアポス国内野党の党首だが、未だ、彼女を政治家として当選させる勢力がシアポス内部にいる。
そして、アデルゴ連合国に泥を塗り、それに気付かずに共和国側にもコウモリ外交を続けたデン国はすでに3度目の国家破綻寸前である。
シアポスに破綻危機を救われながら、
「シアポスのために破綻危機に陥った」
「シアポス以外の国に救われた」
「そもそもに財政破綻などなかった」
と嘘を繰り返したデン国はついにシアポス、アデルゴ連合国双方に見棄てられ、その恩恵を利するべく群がった西側諸国すら見限られている。
トミト女史もまた、自国を裏切り、己の幼稚な思想のために他国の女性を利用した所業が情報伝達手段の多様化と高速化のもとに晒されている。
因果応報と言えば、それまでだが、そうした行動に巻き込まれた被害者のことを思えば、それで済まされる問題ではない。
もし、この騒動が起きなければ、シアポスとデン国との間に友好的な関係を築く未来もあった筈なのだ。
今や、洗脳された国民にあふれたデン国と、その隣国に不信と不満を募らせた両国の友好は全くの五里霧中である。
自分たちの権力を守るため、幼稚な思想で国家を転覆させようとしたがために国民に犠牲をしいた者たちに天罰のくだることを。