トマトしか売らない八百屋
[あらすじ]
近所に新しくできた八百屋では、なぜか客がトマトしか買っていかない。店の前には『〝回〟文以外おことわり』の看板があった。
回文(逆から読んでも同じ文)が出てくる小説です。よろしくお願いします。
近所に新しくできた八百屋の前に長い行列ができていた。どうやら開店特価で安く売っているらしい。
おれは夕食の材料を買おうとその列に並んだ。すると、買い物客と店主の会話が聞こえてくる。
「トマト」
「あいよ。まいどあり」
店主は明るい声で、次々と客をさばいていく。
「トマト」
「へいまいど。また来てよ」
「トマト」
「はい。ありがとね」
ん? またトマトか。
客たちはトマトばかりを買っていくようだ。トマトが安いのだろうか。
「トマト3つ」
「おっと、ダメだよお客さん。これ、見てちょうだいよ」
店主は首を振って店の前に立てた看板を指さす。看板には、
『〝 回文〟以外おことわり(3文字から)』
と書いてあった。まさか、
まさか、回文でしか注文できないということなのか。回文と言えば、前から読んでも後ろから読んでも同じ言葉でないといけない。
トマトは回文だが、トマト3つは回文じゃないからおことわりなのか……。
トマト3つを頼んだ客が困っている。
客はしばらく考えこんでからこう言った。
「トマトとトマトとトマト」
「あいよ。トマト3つね。まいどあり」
なるほど、そういうシステムか。しかし店主よ、お前はトマト3つと言っていいのか。
なんとも理不尽な店だ。トマト10個買うときの「ト」の量を想像すると身の毛がよだつ。
どうやらこの八百屋では回文で注文するしかないようだ。しかも3文字からとあるから、桃はNGだ。
となると……、この八百屋ではトマトしか買えないのではないか。
「貝とイカ」
「あいよ。貝と、イカね。はい、また来てよ」
おお。ファインプレーだ奥さん。いや待て、この店は八百屋ではないのか。魚介類はOKという認識でよろしいのか。
「軽いイルカ」
「あっと、それはちょっと、、、」
そこの女子大生。そんなもの買ってどうするのだ。しかしさすがに八百屋でイルカは買えんだろ……。待て、イルカは魚介類なのか……。
「後で家まで送りますんで、この紙に住所書いてくださいね」
買えるのか。送れるのか。
送られた後一体どうするのか。乗るのか。乗って水面を滑ってるみたいなことするのか。
「ゾウ買うぞ」
「わっかりやした。住所をお願いしやす」
おいジジイ。お隣さんのジジイ。ゾウを家で飼うな。一番大きい動物を飼うな。そしてついでに新聞紙も買ってんじゃない。
「竹やぶ焼けた」
「まいどあり。住所書いといてください」
おいおいサラリーマン。それは何を買ったんだ。店主は何を送り付ける気なんだ。回文だからって何でもいいのか。
「感じとるケルト人か?」
「いいえ、感じてない日本人ですよ……。じゃ、また来てよ」
質問したのか。これだけ並んでその質問がしたかったのか。
「酢豚見たブス」
「おーい、サチコ~。…………はい、まいどあり」
今のは嫁さんではないのか。いいのか。
一体どうなってるのだ。
まずい。もうすぐおれの番だ。さすがにこの流れでトマトは言いづらい。回文か。よく考えよう……
来た。ひらめいた。
おれの番だ。よし。
「ゾウ描いたブス感じとるケルト人貸す舞台買うぞ」
「…………」
「ゾウ描いたブス感じとるケルト人貸す舞台買うぞ」
「すみませんお客さん。うち……八百屋なんで、舞台は置いてないんですよ」
へー。
なら仕方ない。
「トマト」
「へい、トマト1つ。まいどあり」
(了)