(コラム)洒落に関する感覚
語っちゃいます。
洒落の作品を作ってみる事で、言葉を音で楽しむという事を知ったように思います。音が重なるとなぜか楽しいですよね。
いろいろ作っている内に、文における音の感覚が身についてきたように思います。それまでには意識できていなかった感覚でした。
しっくりくる音とか、なんか可笑しい音、こういうものにこだわるようになってきました。
例えば、「言葉あそびの歌」の項に、
愛撫で間延び
というフレーズがあります。〝で〟をどうしようかって考えちゃいます。実際は韻がかかっていない部分なんです。意味だってほぼ無いですし。だから何でもいいんです。「は」「が」「に」「の」とか、何でもいけます。
結局は感覚で「で」にしましたけど。音と意味、両方の兼ね合いがあって、決めてると思います。これに関しては音を重視してると思いますが。今見ても、どうなんだろうって思っちゃいます。
この章はしょっちゅう後から1文字だけイジったりしてますw。
それと、母音が重なっていなくとも、子音の重なりも気持ち良いと分かりました。「あいぶ」と「まのび」では、「び」と「ぶ」で母音は外れて子音が合ってますね。それだけで、なんかイイ。
特に濁音と清音の差は大きいと思います。「び」と「ひ」はかなり響きの違う音に感じられます。
別のページですが「価値観が近い千佳」と初めはしていたんですが、だんだん「が」が異物に感じてきて結局「価値観近い千佳」にしました。やっていくうちに敏感になってきたようです。
実は私が言葉あそびに引き付けられるのは、「ことば」と「あそび」の清濁が合っているからなのかもしれません。
話を変えます。
私の一番好きなダジャレがあって、
布団がふっとんだ
です。何回見ても笑えますねw。何だろうって思うんですよ。何がおもろいんやろって。
電話に出んわ。カエルが帰る。
おもしろいけど、うん、まあまあですね。
アルミ缶にあるミカン。
うまいけど、笑えはしないかな。うまけりゃ笑えるというものでもないですよね。
ふとん、と、ふっとんだ、はちょっとズレてますし。
画を想像したら面白いというのはありますけども。カエルが帰ってたり、アルミ缶にミカンが乗ってたら確かに面白いです。
でも、布団がふっとんだは、画の問題じゃないように思います。文をみたり、声に出すだけでおもしろい気がします。
「ふっとんだ」という言葉がそもそも面白いんじゃないかと思うんですよ。
電話がふっとんだ。カエルがふっとんだ。
ダジャレよりも面白いような気がするんですけど、私だけでしょうか。
こういうのを語感ていうのでしょうか。不思議ですよねえ。
小説にもこういう感覚は活きてくると思っています。笑いを誘う目的ではなく、読み心地の良さを目指す上でも、音や語の感覚というのは役立つことだと思っています。
そんな偉そうなことを言うのはダレジャ。
オレジャ。
それじゃ、このへんで終わります。
おまけ
貴社の記者が汽車で帰社する時 鮭を駅舎で激写しに来 シャキシャキ鮭を刻む弊社の次期社長。
↓その後
汚なげな廃棄鮭を貴社殿に喜捨すれば悪しき社風は一気斜陽に。
識者色めき釈迦の像を毀釈へ。
(陸 なるみ様 寄贈)