98 悪女教育
「…………おめでとうございます、お嬢様」
「ええ、ありがとう、セシリア!」
少し言葉を止めた後、真っ先にセシリアが祝ってくれたわ。
「……まぁ、僕は何にも言わないけど。その」
ヨナがリンディスとカイルの顔を困った顔で見上げる。
「いえ。私も。少し思考が止まってしまいました。お嬢、婚約が決まったというのならお祝い申し上げますよ」
「ありがとう、リンディス。でも落ち着いて話さないといけないと思うわ」
「……そうですね」
「それから、まだ婚約だから。結婚したワケじゃあないわ」
そういう言い方も良くはないかもしれないけれど。
「ですが、お嬢の事です。自分から望んだ事なのでしょう? というかアルフィナを離れて1日だけなのに婚約してくるスピーディーさは……」
「リンはいいの? って、少し考えてからよね」
「んー……」
リンディスは、いつもとは違って困ったような顔。
眉毛を下げながら微笑んだわ。
「私は、お嬢が幸せならそれで良いのです。結婚すらせずに野をかけて暮らしていく事が幸せだと言うのなら……それでも」
「……そう。ありがとう、リンディス」
でも野をかけて暮らしていくって、そこまで野生じゃないと思うわ。
「というか。私はともかく、そのですね。バートン卿にお声を掛けていただいても……?」
リンディスがそういうからカイルに目を向けたわ。
「…………」
「カイル?」
あら。完全に固まったままだわ。
「カイルー?」
黒い髪をした幼馴染の顔の前にブンブンと手を振ってみるわ。
まぁ、完全に反応してないわよ! 凄いわ! これが修行の賜物かしら?
「兄さん。心を完全に穏やかにする技を今使わないでください」
「はっ!」
ねぇ、何その変な技。私も教えて欲しいわ!
どうやって身に付けたのかしら……。大変だったでしょうね。
エルトの家の『ワイン返し』もそうだし、皆の家にはそれぞれ秘伝の技があるのかしら。
「お嬢様。兄さんにも少し時間が必要です」
「うん……そうね」
とにかく、落ち着いて貰ってから皆とまた話し合う必要があるわ。
……カイルはこれからどうするのかしら。
私は彼を、自分の傍に縛り付ける権利はなくなったわ。
色々と力を貸して貰った恩も返したいけれど。
「お姉ちゃん」
「ヨナ」
「その……よく分かってないかもだけど。婚約、おめでとう!」
「うん。ありがとう、ヨナ」
私はヨナの銀色の頭を撫でてあげる。
……これで私達が血の繋がった家族で。
ヨナが弟で、カイルが私のお兄ちゃんで……そんな関係だったら。
こんな風にカイルにも素直に祝って貰えたかしら?
◇◆◇
「本当ですか、お嬢様!?」
「ええ。エルト……ベルグシュタット卿との婚約を神殿に証明して貰ったわ」
「おめでとうございます!」
「ありがとうございます!」
ありがとうなのかしら? まぁ、彼らは元々エルトの部下だものね。
アルフィナに来てくれていた騎士3人。
「今日までよく仕えてくれたわね。でも……これからどうしようかしら?」
視察隊には私の浄化を見せた。
アルフィナでの私の功績の証拠として数多くの魔物の素材を保管してある。
証拠として神殿を通して陛下へ献上するつもりよ。
恐竜の骨とか皮もあるわね。
……売れば資金になったんだけど、こればっかりはね。
「アルフィナは救われた、という事でよろしいのでしょうか?」
「うん。そう思いたいわね。まぁ視察隊と一緒に現状のすべてを報告して判断して貰うしかないと思うけど。予言も当てになるのかならないのか分からないし」
「そうですね。そもそもクリスティナ様を傾国の悪女呼ばわりしている時点で、予言にはかなりの違和感がありますから……」
「フフン! でも『悪女教育』も頑張っているのよ!」
「はい?」
私は胸を張ったわ!
「悪女教育とは」
「ご説明しましょう」
「うわっ!?」
「セシリア!」
シュタッとセシリアが私の傍に着地したわ!
着地? 着地したわよね、今。
どこから飛んできたの? 見えなかったわよ!
「悪女教育とは……クリスティナ様を立派な『悪女』に育てる教育でございます」
「あ、悪女に? 淑女ではなく?」
「悪女は淑女の嗜みの一つです」
「フフン!」
「いや、意味が分かりませんが」
「……どういう事でしょうか?」
騎士達3人が首を傾げているわね!
「クリスティナ様のお人柄を貴方達も知った事でしょう。この方は…………お人好しのバカでございます」
「セシリア?」
とっても失礼じゃないかしら!
「ですので悪意に対する返礼を、悪意ある者に対応する心構えを。そして寛容だけが交渉ではない、人の為になる事ではない事を学び、悪女としての振る舞いを身に付ける教育を施してまいりました」
「何してるんですか……?」
「せっかく純粋なお嬢様を……」
「おや。純粋なだけでは、誰も彼もを『良い人』と信じ込んで、いつか連れ去られてしまうかもしれませんよ? それではベルグシュタット卿もお困りになるのでは?」
「ううん……?」
「そうだろうか……」
悪女の嗜み……悪女スマイルは中々に効果があるからね!
セシリアと一緒に頑張ってきたわ!
あとナナシにも手伝わせたのよ!
そうだわ、ナナシ!
「ねぇ、セシリア。ナナシのところへ行きたいのだけど」
「かしこまりました。とうとう処刑されるのですね。兄の師でしたが、お悔み申し上げます」
「殺さないわよ?」
ナナシはカイルの暗殺稼業の師匠。
リンディスやヨナと同じ魔族で、銀髪の男。
名前を名乗らなかったから『ナナシ』と名付けてアルフィナで軟禁中。
ミリシャに依頼されて私を暗殺しに来たのよね!
「えーと。彼に何か? 時折、畑仕事をさせられてましたが」
ナナシはカイルやセシリア、リンディスの監視付きで労働をさせてたりしたわ。
今のところ抜け出して私を殺すっていう雰囲気はないのよね。
「悪人と渡り合うのもまた悪女教育の一環……」
「その話、大事な事なんですかね……」
「これもお嬢様を守る為ですので。私は私の出来る限りを尽くしてクリスティナ様を守り、育てるつもりです。……受け取れなかった愛と、その傷に付け込もうとする輩が現れた時にお嬢様の道を正す為に。……ベルグシュタット卿に対する判断は、これから追ってする事と致します」
「あ……、なるほど……?」
「ふふふ。セシリアはよく出来た私の侍女ね!」
「……もったいないお言葉」
セシリアには色んな事を学んできたのよ。
流石は私の侍女、アルフィナの侍女長ね!
よく私の頭を撫でて一緒に寝てくれるし、とても良い子だわ!
抱き締められると温かくてポカポカするからね!
「セシリア。それでカイルは……」
「……まだ時間をお与えください。そして、どうか兄の言葉を受け取って欲しいのです。お嬢様」
「もちろんよ。私に言葉を返す資格があるかは分からないけど……」
「そんな事はありませんよ。……私がこれからもクリスティナお嬢様にお仕えするように。兄さんもきっと同じ気持ちでしょうから。……ただ、男性としての気持ちのケジメは……つけさせて欲しいと思うのです」
「……ええ。分かったわ」
家族の皆には祝って貰いたいわ。私の我儘だけれどね。
私とセシリアは、ナナシの居る部屋に向かう。
ナナシもそうだけれど……もし、アルフィナを離れて王都へ向かうとしたら、どうすべきかしらね。
全員で王都へ向かうのは現実的じゃないし。
かといって誰をこの地に置いていくべきかしら?
エルトの騎士達3人はどうすれば良い?
野盗上がりのマルク達はどうすればいいかしらね……。
最近は改心しているようにも見えるけど、まだ数カ月程度しか経っていないし。
「ナナシー!」
バン! と私はナナシの居る部屋の扉を開いたわ!
「……何だ。うるさいな」
「貴方、これからどうしたい?」
「は……?」
「私、これから時間は掛かるけど王都へ一度は帰るつもり」
「…………へぇ。で、その日の為に生かしておいた俺に、王妃候補様の悪事について証言させたいって?」
「ミリシャの? んー。でも、それって証拠あるの?」
証言だけで糾弾するのはちょっとね。
「あると言えばあるが……しばらく帰ってないからな。家探しでもされて家ごと証拠は焼かれているかもしれないが」
「ちなみに、その証拠ってどんなの?」
「……契約書だよ。依頼者直筆のな」
「…………よく素直に話されますね」
セシリアが警戒しながらナナシを見つめるわ。
「……このお嬢ちゃん相手に駆け引きしてもなぁ」
「それはごもっともです」
「セシリア?」
何か失礼の気配を感じ取ったわよ!
「その契約書はどこにあるの? それってミリシャ本人がしたって事?」
「そうだ。どこで知ったか知らない暗号を使って本人が直接な。ま、知る人間が少ない程いいもんだが……普通は手下を動かすな」
「当然、誰の手下か調べてから動き始めますよ」
「へー」
暗殺稼業も大変そう。
依頼されたら依頼者を先に調べて、それから暗殺対象も調べて、実行に移すのよね。
ハードワークだわ。
「まぁ、ミリシャはいいわ。その点をツツいたらカイルやセシリアまで巻き添えを喰らうのだもの」
「……自分が殺されそうになったってのに、赦すのか?」
「だって私、ナナシには殺されそうになってないもの」
マルク達に襲われそうになったけど返り討ちにしたし。
その間にナナシはカイル達に返り討ちにされたわ。
だから恨みようがないのよね。
ミリシャったらおバカさん……というぐらいよ。
「チッ……」
「暗殺仕事も出来ないノロマが1本取られましたね」
「てめっ、セシリア!」
「向いていないのでは? 弟子の兄さんにも裏切られる始末ですし。足を洗った方が分相応ですよ」
「ぐぬ……!」
そうよね。今までどれだけの仕事をしてたか知らないけど。
私にとっては暗殺の『あ』の字も出来てないのよね……。
夢の中でさえ私を殺したのはカイルだったみたいだし。
「貴方、暗殺者としては役立たずなのね!」
「ぐっ!」
「フフン!」
ついでに私は『悪女の蔑み笑い』で思い切り見下してあげたわ!
これがセシリアと積み重ねてきた悪女教育の賜物よ!
腹の立つ相手には、殴るよりもこうした方が精神的なダメージが大きいらしいわ!
「てめぇ……!」
「そんな暗殺者に不向きな貴方には……これから私の『影』になる仕事を与えてあげるわ! 再就職よ!」
「…………あ?」
「フフン!」
密偵よ。私の為に色々と情報を集めてきては黒い服を着て、呼び出したらセシリアみたいにシュタッと何処からともなく降り立つのよ。なんだか楽しいわ!
リンディスと一緒に動いて欲しいわね!
でもリンディスはリンディスの人生を生きなきゃいけないと思うわ!




