82 懲罰室
私の部屋がある場所とはまた別の地下があるらしい。
けっこう大きな修道院ね。
院長について地下への階段を降りていくと、また扉があったわ。
「入りなさい、シスター・クリスティナ」
「…………」
私は無言で従うわ。
夢の中でしかなく、可能性の話とはいえ、一歩間違えば私自身がこの扱いを受けていたかもしれない事。
それから目を背けられなかった。
この世界における私は、捏造された証拠を元に修道院行きを強制されている。
その事を企んだのは誰?
わざわざルーナ様が苦手としている男を選んで、発言させないようにしての断罪だった。
(まぁ……ミリシャよね、多分)
あの子は、どこまで私を憎んでいるのかしら。
何があの子をそこまでするのか分からないわ。
「ここが懲罰室」
狭く、暗い部屋。
窓はない。小さな通風口はあるみたいだから、呼吸は出来るわね。
壁に打ち付けられた椅子。
奥にはドアがあるわ? お手洗いかしら?
そしてベッドはなく、布が敷かれているわね。
枕はなさそう。上に羽織る布も一枚だけ。
冬場に来たら寒くて死んでしまいそうな場所ね。
「シスター・クリスティナ。貴方は、ここで3日間過ごして貰います」
「3日」
長いわね。証拠も何も調べてない癖に。
「その際、朝と昼に水を持って参りましょう。騒ぎを起こした罰として食事は抜きです」
「…………」
自分自身が起こしたワケでもない騒ぎ。
冤罪でそんな事をされていれば、病気にだってなりそうね。
しかも私に弁明の機会は与えられなかった。
「分かりましたね?」
「…………」
私はとっとと部屋の隅の備え付けられた椅子に腰掛けたわ。
このリムレッド院長もミリアリアも現実に居て、その性格や言動は変わらないのかしら?
私の評判を知った上で、最初が肝心だと厳しくしているだけ?
「返事をしなさい。シスター・クリスティナ」
「……どいつもこいつも私に冤罪をかける事しか能がないのよね」
ピクリとリムレッド院長の眉が動いたわ。
そして私の手を鞭打とうとする。
私はそこで一輪の薔薇を咲かせたわ。
「!?」
バシッと音を立てて鞭が薔薇を打ち、そのまま咲かせた薔薇は霧散する。
「……どうしたの? リムレッド院長。もしかして『イリスの薔薇』でも見えたのかしら? 貴方がどう聞いているのか知らないけれど。私は薔薇の天与を偽った罪人だと、ここに送られて来たわ」
そう、そして。
「これで、それが冤罪だって貴方は知ってしまったわね。イリスの薔薇を咲かせる女を……罪人に仕立て上げ、閉じ込める。女神への冒涜……。ふふ。天罰が下るわね、きっと」
ふふふ。澄ました顔をしているけれど、青ざめてるわね。
【悪役令嬢クリスティナ】と違って、私は薔薇の天与だって思い通りに扱えるのよ。
「……貴方は奇術を用いて薔薇を咲かせて見せたと聞きました。そうして人々を謀り、王子の妻になろうとしたと」
「そう。王都から離れた場所だから、間違った噂が流れてきても仕方ないわね」
このやり取り。
たしかに目の前の彼女は『私』の言動と会話が成立している。
……この夢の世界の住人も、生きている人間と同様の思考をして、行動もするらしいわ。
「でもね、リムレッド院長」
私は光る薔薇を一輪、手元に咲かせながら彼女の目を見た。
「罪人でないものに、あらぬ罪を問い、罰する事を。その悍ましき行為を。……イリス神は、お赦しにならないと肝に銘じておかなければ」
「っ……!」
驚愕する彼女。
「私の懲罰が終わる知らせが早まる事を願っているわ、リムレッド院長。誰が嘘を吐き、誰の意見を聞かなかったのか。少なくとも私が暗闇に心を砕かれる事はない。こんなに光り輝くイリスの薔薇が……私の周りに咲くのだから」
「…………では、また3日後。シスター・クリスティナ」
あら。脅したのだけど刑期は変えてくれないみたい。
真実の検証とかもしてくれない気かしら?
リムレッド院長は重そうな扉を閉めて。そして鍵を掛けて去っていったわ。
「……まぁ、一介の修道院長に王都で下された沙汰を覆せる筈もないし。厄介者の私はこうして黙らせるのが一番? なのかしら」
この修道院がこの調子だから、私は将来ここで病死ね。
うーん。それだけが真実なら別に私はここに留まる理由はないわ。
「……それにしても理不尽ばかりね」
本物の天与を偽りだと罵られ。
レヴァンとの婚約を破棄され。
実家に帰る事する赦されず、修道院に送られ。
その修道院でも理不尽に遭う。
光る薔薇を枯らせて霧散させると、懲罰室は暗闇になった。
「……こんな場所で3日間。何もしていないのに。弁明の機会すら与えられず。食事も抜きで」
湧き出すのは、哀しみと絶望。それから怒り。
ぐつぐつと煮えたぎるような激情。
それでも、義理の両親や見知った従者達を殺した程の絶望は湧いてこないのか。
それとも今、ここに居るのが『私』だからなのか。
死の毒薔薇は咲き誇らず、私は人間性を保っている。
もしかしたら……。こうして我慢している内に、食べる物も食べず、どんどん衰弱していくのかもしれないわ。
「……イリス神。私に必要な天与は薔薇じゃなかったわ」
怪力の天与があるから私は私らしく振る舞えてきた。
それがなければ。
こうして理不尽に、ただ耐え、黙り、やがて誰かに食い潰されるだけの女だったわ。
「…………」
力を持ったから自由に振る舞える私。
あの日までそうじゃなかった私。
今までの私は目を背け過ぎていたのかもしれない。
ミリシャの悪意。周りの人達の悪意。
それらは嫉妬なのかもしれないし、他の感情からなのかもしれない。
私は、ブルームお父様やヒルディナお母様の事を何処かで信じていたのだと思う。
だからもしかしたら、この修道院に入った後の【悪役令嬢クリスティナ】も、こんな理不尽な状況には抗議してくれるんじゃないかって淡い期待を抱いていて。
「でも『貴方』は、彼らが私の両親などではないと知らないままなのね、クリスティナ」
だから耐える。
手を差し伸べて貰えないかと。
自分も両親に愛されているのだと、縋るように。
この世界のリンディスはどうしているだろう。
もしかしたら、ブルームお父様に殺されたかもしれない。
私はそれすらも知らずに、ここで絶望を抱えながら耐え、待つのだ。
病に倒れれば、その事が伝われば誰かが、と。
「……レヴァン。私、やっぱりどうあっても貴方とは長続きしなかったと思うわ」
ミリシャが色々と企てる事もそうだけれど。
貴方は、私が苦しい時に差し伸べてくれる手を持っていない。
様々な運命の中で……貴方は私を断罪する側に回るばかり。
それは現実でもそうね。
まぁ私は王妃には向いていなかったし。
この夢のすべてを何者かの罠だとは思わないわ。
でも、この理不尽な夢の数々が何かを警告しているとすれば。
「……私は、もっと理不尽に抗うべきだったかもしれないわね」
王命とはいえアルフィナに行く際も大人しく従い過ぎたかも。
王都ではまた面倒くさい事になっているらしいし。
次は何を言われるやら。
うん。決めたわ。
今度は、王命も、レヴァンの命令も、アマネの予言も、マリウス家の指示も全部聞かない。
私が、私らしく生きる権利を脅かす何者とも争ってあげるわよ。
たとえ、それが女神であってもね!
「んー……」
それはそうと、どうしようかしら!
この夢が無意味なら大人しく懲罰を受ける意味は本当にないわ。
「懲罰室に他に助けないといけない人が居るとか」
だとしたら、やるべき事は……脱獄ね! ふふふ。
グゥーと、そこでお腹の音が鳴った。
「……質素な食事だったしね」
その上、これから3日も食事抜きよ。
「すぅー、はぁー」
夢の中の私は薔薇の花でお腹を満たして飢えないようにしていたわ。
多少の浄化もね。
私は硬い石畳の床に敷かれた布一枚の上に横になり、祈りを捧げる姿勢を取る。
「薔薇の天与」
お腹の中に薔薇の花を。咲かせ過ぎないように。
「んー……」
身体が熱くなってくる。
たぶん、こんな感じだったかしら。
これでしばらく食事しなくても平気そう。
でも、あの時と違って水は飲んだ方が良さそうね。
「ふぅ」
じゃあ次は扉を開けられるかよね。
怪力が使えれば扉をぶち壊してしまうのだけど。
薔薇で鍵穴をガチャガチャしてたら開くかしら?
「よっ!」
私は身体を起こして。あ、そうだわ。
もう一つの部屋の扉も確認しておかないと。
何日も閉じ込める為の場所みたいだし……。んー。やっぱりお手洗いね。
王都の地下牢よりマシなだけの……マシかしら?
狭いし、暗いし、こっちの方が酷いかもしれないわ。
懲罰室とはよく言ったものね。
「灯りもロクにないし」
扉の上部にある鉄格子付きの窓から溢れる廊下の灯りだけが頼り。
その廊下の灯りも心許ない。夜の時間になったら消されそうだわ。
「とりあえず扉ね」
私は扉にピタリと張り付いて鉄格子越しに鍵穴の場所に目星をつけた。
そして薔薇を操り、その鍵穴に侵入。
さっき院長が持ち歩いているのを見た限り、鍵の作りはシンプルな筈よ。
「ふふふ。脱獄、脱獄」
ちょっと楽しいわね! 薔薇を鍵穴に敷き詰めて必要な形状を整えて……。
カチリ。
鍵を開ける事に成功したわ!
フフン! 怪力がなくてもやれるわよ!
「よっ。ん、重いわね」
でも扉を開く事には成功したわ!
懲罰室前の廊下に見張りは立っていない。
いけそうね。ふふふ。
ひとまず一晩は大人しくしている所を見せておいて、水の差し入れが来た後のタイミングで動く事にしましょうか?
◇◆◇
「シスター・クリスティナ。水ですよ」
夜。おそらく他の修道女達が夕食を終えた後の時間帯。
顔も知らない修道女が、本当に水をコップ一杯だけ運んできたわ。
それから扉の下の方にある受け取り口を開いてコップだけを渡してくる。
「……ありがとう」
流石にこの水をひっくり返しては……こないわね。
水すら与えなければ、それはもう懲罰ではなく死刑みたいなものだし。
修道女は水の入ったコップを渡すと、そのまま去っていったみたい。
「んくっ」
毒とかはー……なさそう?
貴重な水分ね。ここでは他にする事もないし、この水をひたすら感謝しながら、チビチビと飲むぐらいがここでの懲罰?
こんな事を続けられたら、あっという間に気が狂いそうだわ。
「……夢の中とはいえムカつくわね」
あのミリアリアって女。これは冗談では済まされないでしょうに。
院長も院長だし。修道院としては私の鼻っ柱を最初に折りたかったにせよ。
いっそ自殺でもして見せたら周りは私の苦痛を理解するのかしら。
「……ダメね」
私が追い詰められると喜ぶ人がいる。
私が苦しむと笑う人がいるのよ。
自殺するにしたって、ちゃんと根回しをしなくちゃだわ。
私を追い込んだ人達が、私の死によってしっかりと苦しむように。
とりわけ、この世界だと、あの捏造男とかミリアリアね。
「……私は」
私の名誉や尊厳に無頓着だったかしら?
もっとすべき事があったかもしれない。
こんな世界にならない為に。
こんな場所に閉じ込められたりしないように。
いつだって私が夢見るのは問題が起きた後の世界。
……それは問題が起きる事自体は変えようがないから?
夢の中にはアマネがいないの。
だからアマネの予言があろうとなかろうと……マリウス家や王都での生活で私が築き上げたモノは、そんなものだったって事。
だから婚約破棄の運命は変わらない。
私が王妃になる未来だけは存在しない。
「……レヴァン。やっぱり、私。王妃になんてなりたくなかったのよ」
いつだって拗ねていたのかも。
こんな事したくない。
こんな勉強したくない。
こんな立場になりたくない。
そう。
貴方と家族が持てたらなんて、夢は見たけれど。
でも、そこに肝心の愛はなかった。
この関係は仕方ないから結ぶもの。
私にはどうしようもない事だからと。
貴方を愛してはいなかったのよ。
だって今の私に根付いている『彼』への感情が愛だとしたら。
……私はレヴァンを愛していなかったわ。
私は懲罰室の重たい扉を開いた。
真っ暗な廊下。人の気配はしない。
私が辿ったかもしれない運命の果ての一つ。
「……こうして夢の世界のクリスティナの運命と向き合って、変えていけば。私がかつて何をすべきだったか見えてくるかしら?」
かつて欲しかった愛情は、求めた人達からは与えられなかったけれど。
今の私の心には、たしかにあるもの。
「学ぶ事が多いわ」
愛だけでなく、悪意すらも。
……私が相手に悪意を持たなくても、私に悪意を持つ人は居るのね。
あのミリアリアみたいに。
まぁ現実の彼女がそうかは見極めないといけないけれど。
アマネと同じ真似だけは御免ね。
「────」
「……ん?」
今、何か声が聞こえなかった?
呻き声のような何か。
私の居た懲罰室とは別の部屋?
聞き耳を立てながら廊下を進む。
「────」
やっぱり聞こえるわ。空耳じゃない。
「……ここ?」
別の懲罰室。私は窓越しに中を見た。
でも中には誰も寝ていないわよ?
布団代わりの布は畳んで床に置かれている。
ここには誰も入れられていない。
「────」
でも中から声は聞こえるわ。
「……気になるわね」
まぁ、夢は夢だし。入っちゃいましょう。
私はその部屋の扉を開こうとしたわ。
……鍵が掛かってる。
「……誰か中に居るの?」
声を掛けてみた。
しぃんと静まり返った廊下に私の声だけが響く。
返事はないわ。やっぱり懲罰室の中には誰もいない。
「ふぅん」
じゃあ、やる事は決まってるわね。
私は薔薇を使って鍵穴を弄る。
ガチャガチャという音を立ててから、カチリと鍵が開く音。
「ふふふ」
脱獄の次は潜入だわ。
懲罰室の造りは同じみたい。
ただ違うのは……中にある扉の先にある物。
お手洗いがある筈の場所。
その扉を開くと。
「──階段だわ。更に地下に続く」
これは間違いなく『何か』がある場所って事よね?
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