67 悪女の処刑①
「…………」
幽鬼のように歩いていた。
リンディスが死に。
お父様を殺して。お母様を殺して。
どこに行けばいいのかも分からず。
何もかもが見えなくなって。
黒い薔薇で飾られた屋敷を見に来る者はいなかった。
だから私は裸足のまま歩いていく。
見えなくなった左目は、きっと世界の綺麗な部分を見つめていたんだろう。
今は見えない。何もかもが色褪せてくすんで、汚らしく見えた。
「ああ……」
目の前をヒラヒラと蝶が舞う。
青白い光を放つ蝶々。とても綺麗で……他に行く当てもない私は、その蝶々についていった。
フラフラと歩いて、何の意味もなく蝶々についていくと、やがて森の中へと入っていく。
「……ふふ!」
なんだか楽しくなった。
意味を失った世界の中で、その蝶々だけが意味を持って私の傍を飛んでいる。
だから、私は何の疑問も持たずにその姿を追って森に入っていった。
「あら」
やがて、森に雨が降り始める。
……ちょうど良かったと思ったわ。
だって今の真っ赤に染まったドレスで人に会ったらビックリさせてしまうもの。
「ふふふ!」
雨の中を裸足で歩く。蝶々が少し速度を早めたから私は、そのまま駆け出してみた。
「楽しいわ! なんて楽しいの!」
ドレスもマナーもなんて意味の無い。
家族も信頼もなんて価値の無い。
魔族というだけで人を差別して挙句に殺してしまうお父様。
娘じゃないからと愛情を注がないくせに、その癖、自分は母親じゃないことは隠していたお母様。
だったらもっと早くに教えてくれれば良かった。
ブルームお父様とも、ヒルディナお母様とも、リカルドお兄様とも、ミリシャとも。
本当は家族じゃないんだって知っていたなら、私だって何も期待はしなかったのに。
家族という幻想は、あの蝶々のようだ。
婚約を結べば自分にだって理想的な家族が持てるかもしれないと夢見ていたものは、すべて失った。
……どうやら家族を持つ前に私は『愛』を育むべきだったらしい。
ルーナ様はレヴァンに愛されて、私は愛されなかった。
花を贈られた事を、もっと喜んでいれば何もかも変わっていたのかしら。
「リンディス……」
私にとって家族とは声だけの彼だった。
もっと年老いた姿だと想像していて、実は本当の父親なのかもしれないと夢想した事もあったけど。
彼は私とそう変わらない姿の青年だった。
何が間違っていたのかは分からない。
どうしてこうなっているのかが分からない。
だから私は笑うことにした。
「あはは、うふふ」
雨に当たって、血染めのドレスを洗いながしながら。
裸足のままで険しい森を駆け抜ける。
痛みは感じない。もう怪我は何の意味も無い。
だって私は王妃でもなければ、もはや貴族でもないだろう。
今の私は、ただの殺人鬼に過ぎないと知っている。
頼るべき相手を自ら殺した私に行く当てはない。
だから蝶々を追いかけるの。ふふふ。どこまで行くのかしら?
地の果てまでと言ったけど、このまま追いかけたら地の果てにまで行けるのかしら。
「……あら?」
青白く光る蝶々が導いた先には洞窟があったわ。
「もしかして雨宿りできる場所を探してくれていたの?」
蝶々は何も答えない。ただ、洞窟の中に消えていくのを私は追いかけた。
「……こういう場所には野生の獣が居るって聞いたけど」
まぁ、その時はその時でしょう。
殺された時は殺された時だから。
「ふふ。どうしようかしら?」
この洞窟は私の家だわ。こんな場所があるのなら、もっと早くに見つけたかった。
1人になりたかったなら、この洞窟に来て夜を明かすの。
それでも話し掛けたら、声だけリンディスが答えてくれて。
……そんな日常で、私は良かったのに……。
「……リンディス」
涙は流れなかった。まだ実感が湧かないのかもしれない。
だって私にとってのリンディスは『声だけ』だったから。
もしかしたら、あの美しい死に顔をした青年の遺体はリンディスじゃなかったかもしれない。
……どうしよう。
そうしたら、お父様を殺したのは失敗だったかもしれないわ。
あの死体がリンディスであると、私に嘘を吐いたのかもしれない。
だったら、この世界のどこかに本物のリンディスが居るかもしれないわね!
「ふふふ!」
じゃあ、明日からリンディスを探しに行きましょう。
何事も前向きでないといけないわ。
焚火の熾し方も知らない私は、その洞窟で横になった。
雨に濡れたままで寒くて冷たい。
こんな場所で風邪を引いたら、きっと助からないけれど。
「……それもいいわね」
ふふふ。なんだか疲れちゃったもの。
……それから。
どれだけ時間が経ったのかは分からないけれど。
長く続いた雨が止んでも、私はまだ生きていた。
「…………」
1日は経っただろうか。
もっと時間が経ったようにも、それとも半日も過ぎていないようにも思う。
「…………お腹、空かないわね」
なんでかしら。
長い間、食べていない気がするけれど。
「んん-……」
ふっと、起きる気になって身体を起こす私。
すると何かが込み上げてきて、私は吐き出した。
「かはっ、ごっ、ふっ……!?」
胃液を吐いたと思った私の口から零れたのは『薔薇の花びら』だった。
「かふっ……!?」
どうして口の中から薔薇を吐くのかしら……。
もしかしてお腹が空かない事と関係ある……?
「かふっ、けほっ……」
無意識なのかは分からない。
私の授かった【天与】がお腹を満たしてくれていたらしい。
変な感じ。ご飯はもう食べなくていいって事かしら。
でも薔薇の花びらだけを食べて生きていくの?
「……ふふっ」
そうね。それもいいかもしれない。
これからはご飯のことも気にせずに歩けるわね。
「あっ……」
身体を起こした私の前には、またあの青白い蝶々が舞っていて。
「ふふっ。もしかして貴方がリンディスの正体?」
なんだかそんな気がした。
だって、この蝶々はリンディスがいなくなってから現れたのだもの。
「そうね、きっとそうよ」
まぁ、なんて素敵なんでしょう。
私は、そういう事にして蝶々と旅をする事に決めたわ。
声だけリンディスはもう声すら掛けてくれなくなったけど、私とこうして旅をする約束は守ってくれるみたい。
「ふふふ! じゃあ行きましょう!」
地の果てまでの旅行だもの! きっと楽しいに違いないわね!
それから私と蝶々の旅は始まった。
薔薇のお陰でお腹は空かない。
お腹の中から浄化されてしまうのか、出るものも出ないわ。
涙さえ出なくなったけど、きっとこれは便利よね。
「ひっ……!?」
やがて蝶々が導いた先には街があった。
どこの街かしら……、あまり記憶に無い。
でも、マリウスの家からはそう離れていないわよね。
私は馬ではなく徒歩で移動してきたのだし。
「蝶々はどこかしら……」
道行く人が私を見るけど、そんな事よりも蝶々を探しましょう。
この街に連れて来たかったの? どうして?
何か旅に必要なものがあるのかしら。
「────」
しばらく歩いていると私は、男達に声を掛けられた。
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている男だ。
ゲスな顔をして私を見ている男と……私の顔を『気持ち悪い』とでも言いたげに引いている男。
なんだかそれが新鮮だったわ。
私、美人の筈だから。この男にとっては、そうでもないのかしら……。
「ああ……」
「────」
「うるさいわね」
でも。蝶々を探すのに邪魔だったから。
目の前に居た男達は、その場で薔薇になって咲いたわ。
「ふふふ」
どこからしら。リンディス。私の蝶々。
街の向こうから悲鳴が聞こえた。
私の近くから。或いは遠くからも。
「……あっ、いたわ!」
青白い蝶々が空を舞っている。そして……蝶々が舞う空が……ひび割れた。
「あら?」
何かしら。
ひび割れた空からは……大きなコウモリのような黒い魔物が現れた。
「まぁ」
あれって魔物かしら? 大変ね、こんな街で魔物が現れるなんて。
「……屋根を登ればいいかしら?」
私はリンディスを追いかけて屋根を昇ることにした。
「薔薇よ」
梯子のように。或いは波で船を浚うように。
私は薔薇の蔓のうねりに腰掛けて、建物の屋根に昇った。
「ふふふ」
高い所から街並みを見るのも楽しいわ。
「あら」
屋根の上から街を見下ろすと、いたるところで火の手が上がっていた。
さっきの身体の大きなコウモリのようなものが街を襲っているみたい。
「……ふぅん」
市井の街も大変なのね。
こんな風に魔物に襲われる事もあるだなんて。
騎士団は間に合うのかしら?
「あ、見つけたわ」
蝶々が飛ぶから私はそれを追いかけましょう。
ふふふ。魔物を見たって言ったら■■■■も喜ぶかもしれないわ。
それから私は蝶々になったリンディスと一緒にいくつもの街を歩いて訪れた。
何日が過ぎたのかも分からない中で、そんな私の元に……騎士団を率いるレヴァンがやって来たの。
それにルーナ様も一緒だったわ。
「……クリスティナ」
「ああ、レヴァン王子殿下。ごきげんうるわしゅう」
私は血塗れのドレスを摘まみ上げて挨拶をしたわ。
「……なぜだ!」
「はい?」
「何故、こんな事をするんだ!」
何がかしら。こんな事って。
「民が何をしたと言うんだ? 君が傷ついたと言うのなら……僕を殺しに来れば良かっただろう!」
「……何の話でしょうか」
私は首を傾げたわ。
「とぼけるな!」
「……レヴァン?」
ますますに分からない。
「王国各地から報告が上がっている! 主要な街を突如として襲う魔物達! そして……この付近の街では、君の目撃証言! ……その上……マリウス家の無残な姿!」
レヴァンが剣を抜いて私に吠えるように怒鳴った。
あんなレヴァンの剥き出しの……憎しみのような顔は初めて見たわ。
「ふふ、そんな顔もするのね、レヴァンったら」
きっと私は、彼のことを何も知らなかったのね。
ああ、それでは愛が育めなくて当然でしょう。
私が欲しいのは家族で、愛じゃなかったから。
きっとレヴァンはそうじゃなかったのよね。
「三女神より賜った【天与】を人々を傷付ける為に振るう悪女、クリスティナ! 君の存在は赦されない! ……赦されてはならない!」
剣を私に向けるレヴァン。
そしてそれに従って剣を抜き、私を囲う騎士達。
「愛に狂ったバケモノめ!」
愛に狂ったですって。愛って何かしら?
もう分からなくなっちゃったわ。
「……クリスティナ。抵抗はしないでくれ」
「抵抗?」
ええと。騎士達が剣や槍を向けて私を取り囲んでいるのだから。
……ああ。お父様達を殺した罪を問われているのね。
貴族を殺した罪は重い。
しかも血縁を殺した以上、私は令嬢としての扱いも受けないでしょう。
「……んー……」
ここで捕まるのも良いかもしれない。
ああ、でもリンディスはどうしろと言うかしら?
私は、レヴァンの瞳をじっと見つめた。
「……ふふ!」
「なっ」
どうせなら。暴れてみるもいいかしら?
だって、どうせ。どうせ、この世界には私が求める場所は無いんだから。
「……薔薇よ!」
「なっ!?」
私を中心にして乱雑に咲き乱れる薔薇達。
「うわぁああ!?」
暴走するように溢れ出てくる力を思う様に振るう。
「あはは、あはははははは!」
おかしくて、おかしくて私は笑った。
「あは、は、かふっ……!」
そして薔薇を吐き出した。
「あっ、ぐっ……!」
痛い。内側から肉を食い破るように何かが出てこようとする。
「ぃいいい……ぁああああああっ!」
「く、クリスティナ……!?」
手や足から薔薇が生えた。肉が潰れて、血を撒き散らして。
私の左眼を潰したのと同じように。
「痛い、痛い、痛い……」
コントロールが効かない。
この薔薇を操る為の大切な何かが今の私には足りなくて。
黒くて、臭くて、醜悪な何かを吸って咲く毒の薔薇を私は制御できなかった。
【聖女を穢せ】
……と、変な声が聞こえて私に纏わりつく。
「…………かはっ、」
私はルーナ様を見つめたけれど、その声も影も彼女の所へは向かわず私に纏わりつくだけだった。
「あははははっ……」
どうしてこうなっているの。
ねぇ、どうして? 私は家族が欲しかっただけ。
優しくて愛し合える家族が欲しかっただけ。
その証である宝石が欲しいと願っただけ。
それの何がいけないのか分からない。
……憎い。憎い。リンディスを奪ったこの国が憎い。
私にばかり纏わりついて離れない影が、より薔薇を黒く染め上げる。
だけど、そんな黒い薔薇も暴れ回るその力も。
ルーナ様が見せる清らかな『聖守護』の光の壁を貫く事は出来なかった。
「ああ、あああああああ……」
痛みと、憎しみと、愉快さで。
私は悲鳴を上げているのか、笑っているのかも分からない声を上げて。
ただ流す血が増えていく。
騎士達の。そして私の血がどんどん流れていって。
「──そこまでにしておけ」
黒衣の騎士が、光の壁から抜け出して、咲き乱れる薔薇を掻い潜り、悪女の元へと辿り着いた。
「…………」
金色の髪、翡翠の瞳、切り裂かれて血を流す白い肌。
「終わりだ、クリスティナ」
彼が持つ黒い剣が私の心臓を刺し貫いた。
「かはっ……!」
剣で刺されて、私は血を流して。
哀れむような、それでいて冷たく怒るような瞳を見た事のない騎士が私に向ける。
「……、ありがとう」
「────」
そこで私の意識は途切れる。
……だけど知っている。
私の身体は【天与】によって作り変わっている事を。
心臓を貫かれて死んだ筈の私は……そのまま死ぬ事は出来なかった。




