57 側妃が見ている
「どこにもぶつけてはいないのだけど」
左目から血を流していた私は、王宮の医務官を訪ねて手当をして貰ったわ。
「……目が充血しています。それに視力も落ちているようですね」
「なんで?」
「……、特に毒などではないようですが……。他にお身体に異変は?」
「特にないわ」
でもとにかくこのままじゃ良くないからって私はしばらく眼帯を付けて過ごす事になったの。
フフン! ちょっと格好いいわね!
「……ふふ」
まぁ、そんな態度したら誰に怒られるか分からないから抑えておくわ!
それで馬車に乗って寮の特別区に戻る。
帰るのはマリウス家じゃないわ。王都から遠いものね。
自分の部屋に戻って、ひとまずベッドに腰掛けたの。
私の左眼を見て、ぎょっとする子は何人か居たけど話し掛けてくる子は特にいないわ。
(あれ? そう言えばフィオナは──)
それから『私』の意識は、また別の場所へ移ったわ。
「えええ? 悪役令嬢のクリスティナが側妃になるとか! 絶対に何か企んでるじゃん!」
はぁ? なにかアマネの腹の立つ言葉が聞こえてきたわね!
私の視界は、またアマネの世界を映していたわ。
(戻って来た? っていうのもおかしいけれど)
『トロフィー:【王妃と側妃】を取得しました。』
魔法の黒い予言板にそんな文字が浮かぶ。
トロフィーって何を意味しているのかしら……?
ピコン! という何か軽快な音と共に、黒い板の右上に映し出されるの。
前見た時は【傾国の悪女の生まれた日】だったわ。
「ここでトロフィー? トロコンまでしたいんだけど。けっこう多いのよねー」
トロコンって何かしら……?
アマネの世界の用語はたまにワケが分からないわね。
「うーわ、選択肢なさそう。絶対に分岐なし直結バッドエンドルートだわ、これ」
んー。つまり破滅を辿るってこと?
そうよね? アマネの予言によると私、側妃になってもダメみたいだし。
それは良いんだけど、いちいち意識が『別の時間』に吸い込まれるのはしんどいわ。
今だってなんだか左眼が痛い気がするもの。
「アマネー、いつまでゲームしてるの、お父さん、帰ったわよー」
「はーい!」
父親が家に帰宅して、母親が迎えて、そして元気よく答える娘。
(…………)
これがアマネの日常。貴族なんかじゃなく、平民の暮らしだけれど。
…………彼女、帰りたくないのかしら。
このご両親なら。
いなくなった娘の帰りを待っているんじゃないのかしら。
異界にある世界なんて楽しいかもしれない。
冒険気分で色々な場所を歩いて。私でも楽しくなると思うわ。
でも、もしも……そこにいつまでもリンディスが居なかったら。
ヨナも、セシリアも、カイルも誰も居ないままだったら。
(楽しさと寂しさが半々かしらね。時間が経つ程に寂しくなりそうだけれど)
アマネったら今、どうしているのかしら?
私が見ている光景は、きっと『過去』だわ。
だから私は見ているだけになっている。
今のアマネを見る術は私には無い。
……それに、意識を吸い込まれた先にあるのは未来の光景?
ううん、それはありえないわよね。
アレは、ただのありえたかもしれない時間よ。
でも左眼を怪我していたのは……薔薇の【天与】のせいよね?
こっちではリンディスを殺されたりしないと思うんだけど……。
私が悩んでいる内に、また意識が黒い板に吸い込まれていったわ。
もう大忙しね!
◇◆◇
「王太子様の気持ちを繋ぐ為に自ら怪我をしたのでしょう?」
「くす、くす、哀れね」
相変わらず私の周囲では、私に対する悪意が聞こえるように囁かれる。
『私』の怪我は、薔薇の【天与】によるものでしょうから、自ら怪我をしたのは確かなのよね!
正解だわ!
「クリスティナ様! お待たせしました!」
「……ルーナ様」
ルーナ様がにこやかに微笑む。
私は微笑み返したわ。
「えっ!? クリスティナ様、そのお顔……!」
「ああ、これ」
そう言えばルーナ様の『聖守護』なら治して貰えるんじゃないかしら!
頼んでみましょう!
「……なんでもないの」
は?
「で、ですが」
「ルーナ様が気にする事じゃありませんわ」
なんで? 治して貰えばいいじゃないの。
『私』だったら。
「……そ、そうですか」
「はい。分かっていただけて?」
私はルーナ様をそう突き放したの。
ザザッと妙な音と共に視界が歪む。
【穢せ】
(ああ、またね)
【聖女を穢せ】
(うるさい)
【陥れよ、悪に堕とせ、血に染め上げよ】
この声って『どこ』から聞こえてるのかしら?
聖女……ルーナ様をどうこうしたいなら、直接そちらに手を向ければ良いのに。
声は聖女を穢したいと言いながら……常に私に纏わりついて私を歪めた。
……親愛も何もかもがなくなっていて。
私を問題視する人々が増えていく。
親しかった筈のレヴァンの瞳が、やがて私を恐れ、嫌悪し、憎む目に変わっていった。
「……いい加減にしてくれ、クリスティナ! 君はいつまで!」
「レヴァン」
(あら、エルトだわ)
まったく今の状況と、澱む心とは関係のない気持ちが湧いた。
(宝石のお礼のお手紙書かなくちゃ)
「────」
(何?)
たぶん、エルトが私に何かを言った。
凄く冷たい顔だったし、凄む顔だ。
きっと私に対して、ルーナ様を傷付けるなとか、そういう事を言ったんだと思うんだけど。
(それはそれとして)
「……エルト、宝石を、ありがとう」
「────?」
私は『私』の気持ちを伝えたわ。
その瞬間に視界全体が歪んで、黒い霧が立ち込めた。
ザザッという音を立てて、ぐにゃりと歪む視野。
妙な文字列が、乱雑に空中に浮かび、点滅する。
視界の下には、あの『メッセージの書かれた窓』があった。
『エンディングL:側妃が見ている Looking at the concubine.』
(んん?)
何が、何?
何か唐突に終わったんだけど??
……エンディングって何かしらね!
『トロフィー:【側妃が見ている】を取得しました』
んんん!?
私、何かダメな事しちゃったんじゃないかしら!?
見たいものを見ようとしてたのに、何かを『飛ばして』しまったわよ!
結局、側妃になった私はどうなったの!?
「あっ……」
今回はひとりでに崩れるように世界が砕けていって、私の意識が浮き上がっていく。
「あー!」
そして、黒い世界から引き離されてしまったわ!
……私、何かしちゃったのかしら!